「どうして君が」

「……何だ、まだ生きていたんですね」


 彼は二発の銃弾を受けていた。左肩と右の太もも――致命傷ではないにせよ、いずれ失血多量で死に至るだろうということは、その真っ赤な海を見れば一目瞭然のことであった。我々を見上げる彼の視線は決して負けを認めるものではなく、それは確かに私がこれまでに見てきた凶悪な犯罪者たちと同質のものであり、それが私には堪らなく悲しいものであった。


「良かったですね、先生、猫目石さんと再会できて」


 肩を上下させ、喘ぐように告げる彼の顔は、あのあどけなさを残した少年そのものであった。


「どうして君が……」


 私は足元に横たわる人物――小鳥遊少年に、何と声をかければ良いのか分からず立ちすくんでいた。K教授の言う裏切り者、それは彼の最後の弟子である小鳥遊少年であったのだ。これはK教授にも予測できなかった事態だろう。彼は小鳥遊少年を完全に信じきり、容疑者の一人に数えてはいなかったのだから。

 今にも息絶え絶えの少年の胸倉を猫目石が掴み上げた。


「貴様はどうせ死ぬ。そうなる前に、もしも貴様に最後の良心が残っているのなら、Ms.M――あいつの正体について教えろ」

「……」

「猫目石、無茶だ」


 私はそっと彼女の肩を掴んで制止しようとしたが、猫目石は決して譲ろうとしなかった。


「君は黙っていたまえ。おい、貴様」


 猫目石は既に目が見えていないであろう少年の顔を覗き込んだ。彼女の横顔からはいつもの冷静さが失われ、怒りに満ちている。


「よくも僕の助手に手を出してくれたな。もしも彼に傷一つでもついていたら、今頃僕は貴様を死ぬよりも惨たらしい目に合わせていただろうよ。さあ、これ以上苦しみたくなければ、知っていることを全て話すんだ。Ms.Mとは誰だ? 誘拐された世界中の子供たちは今どこにいる?」

「ふ、ふふふ……誘拐された、子供たち、ですか……」

「何がおかしい」

「……いえね、僕もそうだったんですよ」

「貴様のことは既に調べがついている」


 猫目石が端的に語った小鳥遊少年の半生は、実に壮絶なものであった。

 小鳥遊正太郎――それは彼の仮の名であった。本名は誰もしならない。本人すらも。三歳の頃にとある大陸系犯罪組織によって誘拐され、中東の紛争地域の、また別の犯罪組織によってその身柄を買われる。以降、彼は十二歳までそこで少年兵としての訓練を受けることとなった。第三次世界大戦が勃発し、絶望的な状況であったが、しかし少年は実にたくましく、そして狡猾であった。

 当時の大陸には唐突に引き起こされた第三次世界大戦の影響によってまだ多数の邦人が取り残されていた。彼らの一部は戦争状態に巻き込まれ、あるいは日本政府への交渉の人質として利用されることもあった。そしてそれは小鳥遊正太郎という少年も同様であったのである。そこで本物の小鳥遊少年と、哀れな少年兵は引き合わされることになった。

 大陸のとある国の領事館が占拠された。侵入したのは年端も行かぬ少年兵ばかりであり、あろうことか本来加害者と被害者であったはずの二人の少年は瓜二つの容姿をしていたのである。そして哀れな少年兵はその事実に一筋の光明を見た。


「つまり、領事館占拠のどさくさに紛れて、二人の少年が入れ替わっていた……!?」

「名もなき少年兵からすれば、それこそ人生を賭けた大博打だったのさ。子供といえど戦況の悪さは悟っていただろうし、自分の将来を考えれば経済大国に向かおうとするのは理にかなっている。目の前に自分と売り府たちの、それも経済的に豊かな国の少年が現れたとくれば、それは絶好のチャンスに思えただろうね。問題は入れ代わるタイミングだ。元々人質を生かして返すつもりもないだろうし、となれば入れ代わった後に自分に危害が及ぶ可能性がある。だが、ここにいる偽小鳥遊は賭けに勝った。人質の何名かが死亡し、その中に本物の小鳥遊少年の両親がいたのも幸運だったのだろうね。救助された彼は日本に戻り、事件のショックを受けたという名目で記憶喪失を演じた。そして頃合いを見計り、K先生の弟子になったのだよ」

「犯罪組織とつながりを持ったのはいつだろう? もしかして最初からつながったままだったのかな」

「いや、そもそも組織と離別するために新たな戸籍や身分が必要だったのだからそれはない。具体的な時期は分からないが、彼がK先生の弟子になってから不自然なことが起こり始めた。あのK先生が解決できなかったり、あるいは解決に手間取ったりすることが起こるようになってきたんだ」

「K教授は内通者の存在を疑っていた」

「その通り。K先生のやり方を学習した偽小鳥遊少年は、そのやり方に穴があるのを見破った。そして犯罪者や犯罪をしようとしている人間にその穴を伝えるビジネスを開始したんだ。いわば犯罪者のプロデュース活動ってやつだ」

「それじゃあ、MS.Mの正体って……!」

「いいや、それはこいつじゃないよ。やり方は確かに奴そのものだが、それは偶然さ。むしろこいつはMs.Mの商売敵だ。とはいえその手腕は見事だった。K先生の懐に入り込むなんて並の犯罪者じゃできっこない。Ms.Mも一目置くようになった。そして奴は偽小鳥遊少年を、むしろ自分の犯罪組織に勧誘することに決めたんだ」


 それから少年が暗躍した犯罪は数知れず――その大半はもはや表に出ていないものがほとんどだろう。直接手を出さなかったとしても、K教授の動きを報せるだけで犯罪組織にとっては動きやすさは段違いだったはずだ。


「そして力をつけたこいつは最後の大仕事を計画する。それはK先生の暗殺計画そのもさ。先生さえ消えれば、Ms.Mの犯罪組織を止める術は完全に消滅するからな。あと一歩だったようだが、そもそも不可能な計画さ。たとえ先生が倒れようとも、その意思と能力を継ぐ人間は必ず現れるのだから――この僕のようにね!」

「ふふ、ふ……あなたにK先生の代わりが務まるわけがない」

「勘違いするな。僕は先生の代わりになんてなるつもりはない。僕の目標は先生をだ。それこそ先生への最大の恩返しになるだろう」

「いずれにせよ、この勝負は僕たちの勝ちですよ。もうすぐ世界は終わる。あのお方の手によって」

「貴様がどんな奴を崇拝しようと自由だが、こちらにも譲れないものはある。K先生は今どこにいる? 攫われた子供たちの居場所はどこだ」


 猫目石が何度も小鳥遊少年の身体を揺するが、しかし少年の反応はそれっきりであった。後に残されたのは穏やかな表情で横たわるただの一人の少年である。


「猫目石」

「詳しい話は後だ。まずはK先生を探そう。連れ去られたとしても、先生なら何か手がかりを残しているはずだ」


 私は猫目石の指示に従うことにした。こういった犯罪現場において、彼女の指示に従って間違ったためしはないのだから。

 一度部屋を出た私たちは二手に分かれることにした。私は本来小鳥遊少年とキリロフ氏が調べるはずだった部屋に。そして猫目石は残された一番奥の部屋を調べることにした。

 部屋は他の部屋と同じように真っ暗だった。幾分か目が慣れてきたとはいえ、まずは明かりを探すのが良いだろうと入口付近の壁を探った。ようやく電灯のスイッチを発見したが、むしろ後悔することになった。私の足元には既に冷たくなったキリロフ氏とヤード氏の大きな身体が横たわっていたのだ。

 私は慌ててしゃがみ込み脈をとってみたが、第一観の通り、二人は既に亡くなっていた。首の辺りに血だまりができているから、おそらく油断したところを小鳥遊少年により後ろからナイフか何かで切り裂かれたのだろう。テイラー氏の時とやり口が同じだ。あの事件も信じられないようだが小鳥遊少年によるものだったのだろう。


「スマートなやり方だ。下手にアリバイ工作をしたり密室を作ったりするよりよほど理にかなっている」


 後ろから猫目石がそう告げた。私は振り返りながら返答をする。


「ホテルの時はワイヤーを使っていたぞ」

「あの小僧はその後すぐに君たちと合流したのではないかね? それも、むしろ積極的に味方であるとアピールした。違うかい?」

「いや、その通りだ」

「あいつは最初から君たち全員を殺害するつもりだったのさ。だから最初の方は皆を騙す必要があった。第一発見者を装ったり周りに積極的に協力したり……そしてそのためには返り血なんて浴びるわけにはいかなかったんだよ」

「なるほど。それで、君の方で何か成果は?」


 猫目石が「来たまえ」とジェスチャーする。そして私は彼女に続いた先の部屋で、信じられないものを目撃した。いや、正確にはといった方がいいか――


「そんな、まさか――」


 私は思わず駆け寄っていた。

 そこはK教授の寝室であった。部屋の奥にベッドがあって、誰かがそこで眠っている。それが誰か、顔を見るまでもなく分かった。私はその人物の脈をとって、改めて小鳥遊少年が勝利を宣言した理由が理解できた。

 私は次の瞬間にはK教授の掛け布団をはぎ取っていた。教授の身体には傷一つなく、また服毒したような形跡もなかった。


「医師である君の所見が聞きたくてね……僕が見たところ先生は――」


 老衰であった。

 正確には心臓発作とか、何か具体的な理由はあって、それは解剖してみなければ分からないが、少なくとも何者かの手が加わった死ではない。無論、自殺でもない。どんな凶悪な犯罪者の前にも屈することなく、幾度となく世界の危機を救ってきた英雄は、“老い”という何人も退けることのできない自然の摂理によって滅ぼされてしまったのである。


「猫目石、奴らを――Ms.Mを捕らえる手立てはあるのか」

「もちろん。だが、足りないものがある」

「足りないもの?」

「信頼できる仲間だ」

「それなら私に任せろ」

「君に何とかできる問題かね」

「私は君の探偵助手だ。君の交友関係には、ある意味君以上に詳しいんだぞ」

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