「犯人は猫目石芽衣子」
一体私は猫目石芽衣子の何を知っているというのだろう。
用意されたホテルの一室――ベッドに横たわりながらそんなことを考えていた。
猫目石芽衣子の経歴に関しては、東京大学文学部を中退した後、軍に参加していたことしか知らない。家族のことも知らないし、彼女がどうやってあれほどの推理能力を身に着けたのか――つまりK教授についてもつい先ほどまで知る由もなかった。
猫目石芽衣子は今どこにいる?
それにK教授の言っていた「裏切り者」というのも気になる。もしもそんな存在が本当にいるのなら、その正体を暴くことがMs.Mに辿り着く手がかりになるだろう。
七人の容疑者――怪しい人物はいるのか。
ヒースロー氏とテイラー氏、それからウィリアム氏は積極的に発言をしていたが、しかしだからといって完璧にこちらの協力者であるとは言い難い。カモフラージュとして会議に参加していた可能性もある。
逆に発言の少なかったヤード、キリロフ、ミュラー少佐、ミリガン教授の四氏はシンプルに考えると怪しいが、しかし全員元々の口数が多いようには見えないのだから、やはり疑うに確たる理由はない。
先ほどの会議に、裏切り者を見抜く手がかりがあるのだろうか。あるいは、K教授はそれを見破ることができたのだろうか。こんな時、猫目石芽衣子がいたら一体どのような発言をするのだろうか。
そんなことを考えていると唐突に私の携帯端末が着信音を上げた。猫目石からの連絡かと思った私は慌てて取り出してみたものの、その発信者は猫目石ではなかった。とはいえ、今現在話したい人間の一人ではあった。私はその着信に応答することにした。
「お久しぶりです、犬吠埼さん」
『芽衣子は見つかりましたか、先生』
開口一番、挨拶よりもライバルの安否を気遣うところが理性を重んじる彼女らしい反応だ。
私に連絡を寄こしたのは犬吠埼咲枝捜査官であった。国立検事局に所属する彼女もまた猫目石と同等の優秀さを備え、猫目石兄の、つまりは国の要請によってとある外国大使の殺人事件を調査していたはずだ。
『つい先ほど現場検証を終えたところです。ですが例の誘拐事件のせいでこちらもパニック状態になっています。先生に連絡をとったのはそちらの情報を確認するためです。芽衣子の要請でK教授に会っているんですよね』
「ええ、犬吠埼さんもK教授のことを?」
『無論、存じ上げています。というより、犯罪捜査をする人間にとっては彼のことを知らない方があり得ないですよ。私も大学時代に何度か教授の出張講義を聞きに行ったことがあります。我が国だけでなく、世界の情勢を左右する重要な人物です』
「そこまでご存知であれば話が早い。犬吠埼さんに調べて欲しい人物がいるのです。実はK教授のお弟子さんの中に裏切り者がいるようなのです」
『裏切り者ですか?』
「その人物を暴かない限りはK教授も謎解きができない状況にあります。たとえ謎を解いても、結局は相手に先回りされてしまいますから」
『分かりました。で、誰を調べれば?』
「FBIのヒースロー、CIAのテイラー、スコットランドヤードのウィリアム、MI6のヤード、KSSKのミュラー少佐、ロシア諜報局のキリロフ、ハーバード大学のミリガンの計七名です。それから、Ms.Mという人物についても調べてみてください」
『誰です?』
「分かりませんが、事件の鍵を握っている人物です。猫目石から聞いた情報なので間違いありません」
『すぐに日本の検事局に調査を依頼します』
「ただ、どこに
『やはり組織的な犯行ですか。分かりました、協力は信用できる人間にのみ絞って依頼してみます』
「よろしく。それと、そちらの密室殺人についてなのですが」
『何か情報が?』
「どうやらK教授はそちらについても何か目星をつけているようなんです」
『どういうことです?』
「直接話を聞いたわけではありませんが、いえ、むしろ話に出なかったからこそ確信できます。大使殺害も世界同時誘拐も、どちらも国際規模の犯罪なのに、まったく結び付けようとしていなかった。それは少なくとも大使殺害の方は大方の推理が完成しているからではないでしょうか」
『先生……芽衣子に鍛えられましたね。あるものよりもないものに注目せよ――大学時代に芽衣子によく言われましたよ。もっともそれは芽衣子がK教授から受け継いだ言葉なのかもしれませんが。とにかく分かりました。今から日本に引き上げて、先ほどの七名の調査に集中します』
「よろしくお願いします」
私が電話を切ろうとしたところ、突然電話の向こうの犬吠埼氏に制止された。
「どうかしましたか?」
『今部下から報告が……少々お待ちください』
報告――ということは大使殺害事件で何か進展があったのだろうか。
『先生、今ネットに接続できますか?』
「ええ、大丈夫です。何を検索すれば?」
『検索するまでもないですよ、トップニュースです』
ネットを開いた私の目に飛び込んできたのは一つのニュースであり、そこには見覚えのある名前が掲載されていた。
『同時誘拐の犯人は猫目石芽衣子――彼女を捕まえた者には賞金100万ドル!』
一体何なんだ、この記事は? 内容を見ると驚くことに、未公開のはずの同時誘拐事件の現場の状況が、実に事細かに記されていた。しかもその犯人が猫目石だって?
「一体誰がこんな記事を?」
『分かりません。現在記事を上げた人物を調べています』
「猫目石が犯人なわけがない!」
『気持ちは分かります。ですが先生、Ms.MのMは芽衣子のMなのではないでしょうか』
「え……?」
『犯人はありとあらゆる犯罪に精通し、ずば抜けた頭脳を持つ人間です。それに国外での活動経験がある。全て芽衣子に当てはまります』
「それじゃあ、なぜ私にK教授に会えなんて言ったんです?」
『先生もご存知だと思いますが、あの子はとても負けず嫌いなんですよ。その対象は自身の師であるK教授でも例外ではないでしょう。K教授への挑戦と考えれば頷けます。今彼女が姿を見せないのも、本当はピンチだからというのではなく、Ms.Mとしての活動が忙しいからなのでは?』
「そんなことあるわけがない! 猫目石はこれまで私と一緒に数々の事件を解決してきたんですよ?」
『では先生、先生は芽衣子が留守の間何をしていたか全て知っておられるのですか?』
「それは……」
『事件を解決してきたのだって、自作自演の可能性がある。自分で考えた謎を解き明かすことほど簡単なことはない』
「なぜそんな回りくどいことを……?」
『世間の信頼を得るため。有名な名探偵が巨大犯罪組織の親玉だなんて、誰にも想像することはできないでしょう』
「いや、しかし、猫目石に限ってそんなことは……」
『先生は既にご存知なはずです。謎に満ちた事件の数々――いつも犯人は予想もつかない人物だったのではないですか?』
「それはそうかもしれませんが……」
『とにかく今は簡単に人を信頼しないことです。頭の良い相手こそ疑ってください』
犬吠埼氏はそれだけ言うと電話を切った。
頭の良い人物こそ信頼してはいけない――それならば今の私は究極の危機に直面しているに等しい。何せ今このホテル、そしてこの町には世界でも指折りの天才たちが集っているのだから。
事件が起こったのはその晩だった。
私はドアを叩く大きな音で目を覚ました。時刻は午前二時――窓の外は昼間の天気が嘘のように猛吹雪が吹き荒れていた。私はベッドから飛び降りると扉に向かい、覗き穴から外を伺った。部屋の外で私の名前を呼んでいたのは小鳥遊少年である。私は急いで鍵を開けた。
「良かった、先生、ご無事でしたか」
「ええ、何かあったのですか?」
「実は、ヒースローさんが……」
ホテルの一室でCIAのテイラー氏が殺害されていた。
事件現場はテイラー氏の泊まっていた部屋の浴室である。検視を頼まれて私が浴室に入ると、湯船にお湯を張った状態でそこに漂うテイラー氏があった。長い金髪が肢体にまとわりつき、その姿は一目では美しい絵画のような様相を呈していたが、彼女の両目ははっきりと見開かれ、彼女が死ぬ直前に味わったであろう恐怖を克明に映し出していた。
死亡推定時刻は遺体発見から二時間ほど前の午前零時、私たちが解散したのは午後の三時であるが、それ以降亡くなった彼女の姿を目にした人物はいなかった。
死因は後ろから首を絞められたことによる窒息死、凶器は細いワイヤ―のようなものである。第一発見者は小鳥遊少年で、彼はテイラー氏の部屋からの内線で呼び出されたのだという。
「呼び出されたというのとは少し違います。内線があって僕が出ると、それは無言電話だったんです。だからおかしいと思い、彼女の部屋に向かいました」
昼間集まった部屋にもう一度集合した我々に対し、小鳥遊少年はそう証言をした。
「部屋に行くと鍵は開いていました。外から呼びかけても返事がなかったので、僕は部屋に入ってみることにしたんです。すると浴室の方から水が流れる音が聞こえてきました。そして浴室では、テイラーさんが……」
K教授に授業を受けているとはいえ、やはり小鳥遊少年もまだ経験が浅いようで、その口調からは年相応の動揺が感じ取れた。
「次に僕は一番近い部屋のミュラー少佐を呼びに行きました。少佐は現場を見るとすぐに状況を理解したようで、他の皆を呼びに行ってくれたんです。もちろん、ホテルのフロントに連絡して誰もホテルを出ないように指示をした後にですけれど。それから少佐は僕に、先生に検視を頼むように言いつけたんです」
「私は小鳥遊君に起こされて現場に向かいました。後のことは皆さんも知っての通りです」
と、私は少年の説明に付け加えた。
その後現場に集まった面々がそれぞれ現場検証をして情報をまとめた。
まず初めに、テイラー氏の部屋の扉はこじ開けられたものではなく、内側から開かれているかもしくは規定の鍵を用いて開かれたものであった。部屋の鍵は室内に残されており、この時点でまずホテルの人間を疑ったのであるが、幸か不幸か従業員にはアリバイのない者は存在していなかった。
「つ、つまりテイラーさんは、自分から犯人を部屋に招き入れたってことだと思います」
ウィリアム氏がそう付け加えた。室内には争った形跡もないから妥当な推理だろう。
「死体は後ろから首を絞められている。きちんと訓練を受けたテイラーの抵抗を受け、それでもなお殺害を実行できたのだから、相手は力のある男性と見るのが自然ね。仮に女性だったとしても、それこそ訓練やトレーニングを積んだ人間のはずよ」
「ふむ、腕力の面から考えてホテル内にいた女性は除くとして、男性というなら当てはまる人間は多いな。つまり容疑者は我々ということになるが」
キリロフ氏はそう言いながら私たちを見回した。確かにここにいる人間ならばこれまでの推理に当てはまる。顔見知りだからテイラー氏の部屋にも自然に入り込めるし、不意をついて首を絞めることも可能だろう。
「あえて逆の聞き方をするが、この中にアリバイのある者は?」
「自国の調査員に連絡をしていた――というのはアリバイにはならんだろうな」
と肩を竦ませてみせたのはミュラー少佐だった。それを言うなら私も死亡推定時刻には犬吠埼捜査官と連絡をとっていたのだから同じ条件だ。
「むしろ動機の面で攻めるべきじゃないかしら。遺体には性的暴行の形跡はなかったのよね?」
ミリガン氏の言葉に私は頷く。
「財布なんかも残されたままだったから、金銭目的でもない――この犯人の目的は何?」
「口封じに決まってるだろうが!」
声を荒げているのはヒースロー氏だ。おそらくこの場において最も動揺しているのは彼で、先ほどからずっと眉間に皺を寄せ、足を揺すっていた。亡くなったテイラー氏と同じくアメリカで活動していたのだから接触の機会は多かったのだろう。
「それだけじゃねえ。俺とテイラーは先生の犯罪捜査教室の同期だったんだ。あいつは今回の事件に関して何か重大な事実に感づいた、だから消されたんだ。俺はあいつを殺した奴を絶対に許さねえ!」
「お、落ち着いて下さい、ミスター・ヒースロー。仮に被害者が何か情報を掴んだとしたら、あなたにも伝わっているはずです」
「FBIとCIAだ、伝わるにしてもタイムラグがある。それに俺とあいつはそれぞれ別の角度から調べようってことになってたんだ」
「別の角度と言うと?」
「俺は未解決の刑事事件、そしてあいつは組織犯罪の線から調べを進めるはずだった。それぞれの所属組織の得意分野ってわけだ。それなのに……犯人の野郎! なぜ俺じゃなくてテイラーを殺したんだ! 狙うなら俺から狙いやがれ!」
ヒースロー氏がテーブルを蹴飛ばし、その音と衝撃で一同の肩がびくりと震えた。
「大体、こんな大事な時に限ってK先生は何をやっているんだ!」
「それが、さっきから何度も電話をかけているんですが、お出にならなくて……」
小鳥遊少年が呟くように答え、我々一同は顔を見合わせた。まさか――嫌な予感がする。
「先生のお住まいは?」
「ここから一キロほど離れた一軒家です」
「すぐに案内してくれ」
飛び上がるようにしてキリロフ氏とミュラー少佐が立ち上がった。
「念のため先生も来てください。他の者はこの部屋で待機を。くれぐれも気を付けてくれ、一人にならないように」
ミュラー少佐がそう告げて、私たちは大急ぎで会議室を後にした。
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