「裏切り者がいます」

 その老人は実に穏やかに笑みを浮かべていた。小綺麗なスーツ姿でステッキを片手に身体を支えるそのシルエットは英国紳士を思わせる。彼は私を見るや「やあ」と朗らかに手を差し出してきた。


「初めまして、先生。小鳥遊君の案内に何か不備はありませんでしたかな」

「いえ、とても快適な移動でした。彼、運転が上手いんですね」

「この辺りの若者はみんなそうですよ。さて、お話を伺う前に、彼らを紹介しておきましょう」


 私が通されたのは北海道大学内にある会議室の一つで、そこにはK教授の他に数名の人物が集まっていた。彼らが一様に独特な雰囲気を醸し出しているのは、きっと彼らが外国人だからというわけではないだろう。猫目石兄妹とはまた違うが、しかし彼らもまた一目で鋭い頭脳を持っていることがうかがえる人物たちであった。


「右からFBIのヒースロー君とCIAのテイラー君、ロンドン警視庁スコットランドヤードのウィリアム警視とMI6のヤード君、ロシア特務機関のキリロフ君、ドイツ軍KSKのミュラー少佐、ハーバード大学で犯罪心理学の研究をしているミリガン教授です」

「驚きました。そうそうたるメンバーじゃないですか」

「全員昔の知り合いです。個人的にお願いして集まってもらいました。他にも国際警察インターポールの友人にも連絡をしてこちらの動きをバックアップしてもらっています」

「猫目石さんから犯罪捜査のオリンピックが開催されているとは聞いていましたが」

「あの方も面白い言い方をしますね。ですがそちらとは少々事情が違いまして、ここにいるのは全員代表入りできなかった人物なんです」

「というと?」

「みんなお上に睨まれているってことですよ」


 憎たらしそうに酒焼けしたしゃがれ声で答えたのは大柄の白人男性――CIAのテイラー氏であった。彼は立ち上がり、私に手を差し出してきた。


「お上に睨まれているって?」


 私は握手に応えながら聞き返す。


「ここにいる連中は俺を含めて間違いなく優秀なんですよ、世界でも飛びぬけてね。だが、捜査能力があるからといって政治までできるわけじゃあない。俺なんかは国民を守るためなら平気で規律を破る問題児だし、そこにいるヒースローは上の連中の不正を暴きまくったことがある。なあ、そうだろ?」

「あなたと一緒にしないでくれる、テイラー」


 言いながらブロンドの美人が立ち上がる。


「FBIのヒースローです。ミス・クリソベリルとその記録者である先生のお噂は本国にいても聞こえてきていましたよ」

「光栄です。あの、皆さんはもしかして」


 私は一同を見渡して、一つの疑問を投げかけてみた。


「全員、K教授のお弟子さんなのではないですか?」

「なぜそう思うんですか?」

「何となく、視線の向け方というか、観察のしかたが似ていましたから、猫目石と」

「い、良い判断だけど、それは正確じゃないですね」


 吃音交じりの返事を返しながら立ち上がったのは一人の青年で、ロンドン警視庁のウィリアム氏だった。おそらくこの場にいる人間で(小鳥遊少年を除けば)一番若い彼が説明を付け加える。


「せ、正確にはK先生の直接の教え子じゃない人も、い、いるんです。僕とか、あとはそちらのキリロフ氏とかは、K先生の孫弟子にあたるんですよ」

「ウィリアム君の場合は、彼のお母さんと古くからの知り合いでね。まだ幼い彼が天才的な頭脳を持っていることが分かると、彼女は私の弟子にするよう頼んできたんだ。だがその時にはもう現役を引退していたし、イギリスにも住んでいなかったから、代わりの人間を紹介したんだよ。キリロフ君も同じような感じだ。他は全員私の弟子だよ、ヒースロー君とテイラー君は私の九十二番目の弟子と百三番目の弟子、ミュラー少佐は四十番目の弟子で、ミリガン教授は五十一番目の弟子、MI6のヤード君は百十五番目の弟子だ。ちなみに猫目石君は二百二十二番目の弟子だね」

「そして僕が二百三十番目の弟子なんです」


 と、小鳥遊少年が付け加える。


「今日集まってもらったのは現役で犯罪現場に関わっている人物だけです。政治や科学の分野に進む弟子も多いものですから。他にも先生が知っていそうなところですと、推理作家の東柳ひがしやなぎ君もそうです」

「『悲劇の山荘』シリーズの? 驚きました」

「会ったことある?」

「ええ、昨年、先生のパーティーに招待されたものですから」

「弟子の数が二百も超えると、意外なところで出会うこともあるんです。時にはお互いにそうと知らずに出会う場合もあります。人のめぐり合わせは何とも面白い」

「ですが今回の犯人にはできれば出会いたくはなかったです」


 そう言ったのは犯罪心理学者のミリガン教授だった。彼女は眼鏡を静かに上げ、溜め息をつく。


「世界各国で同時に誘拐事件を起こすなんて、聞いたこともありませんよ。犯人の心理を分析しようにも、わけが分からない」

「ミリガン教授、今回の犯人は君にとっても興味深い研究対象になると思うよ。犯人は恐ろしいほどに天才的な頭脳を持ち、また不思議なカリスマ性も持ち合わせている」

「おそらく社会的な地位も持つ人物でしょう」


 K教授の推理を発端に各員が順番に犯人像を挙げていく。その光景はまるで推理を発表する猫目石が分身したかのような光景だった。


「自分の能力に自信を持ち、警察を試そうと思っている」

「子供という弱い存在を誘拐するというやり方から考えて、幼少期に何等かのトラウマがあるんじゃないか?」

「不思議なのは、さっきも言ったけれど犯人の意思がまるで見えてこない点ね。犯人は良いことをしているつもりなのか、それとも悪だと認識しているのか、それさえ分からない」

「かと言って錯乱状態にあるというのはあり得ん。これほど緻密な計画を遂行するのだから、冷静でなくては」

「あ、あの、一つ気になっているんですが、こ、こういった大規模な犯罪の場合、犯人は事前に準備や予行練習をしていると思うんです。み、未解決の誘拐事件に絞って過去の事件を洗い直すのはどうでしょうか」

「賛成。それと犯人の幼少期を辿るっていう意味で子供が関係する事件も洗いたいんだけど……」

「んなもん、無数にあるだろ」

「せめてもう少し犯人のことが絞り込めたら……」


 皆の話を聞いていたK教授がふと私の方に視線を向ける。


「先生は何か思いつくことはありませんか?」

「いえ、私は特に……ただ、猫目石が最後の電話で言っていたことがあります」

「猫目石君が? 何と言っていたんですか」

「犯人の名前です。Ms.M――それが犯人で、世界の未解決事件の半分が奴の仕業だって」

「ちょっと待て、Ms.M? どこかで聞いた名だな」


 MI6のヤード氏が眉間に皺を寄せて記憶を辿る。そしてその答えにはすぐに辿り着くことになった。


「思い出した! 大学へのいたずらだ!」

「大学へのいたずら?」

「ええ。私がまだオックスフォードにいた時のことなので、十年ほど前です。ちょうどK先生が教職を離れた後のことですが、大学内の図書館から先生の著書が根こそぎ盗まれる事件が起こったんです」

「犯人は?」

「結局、犯人はおろか犯行方法も分からなかった。だが、現場に犯行声明が残されていたんです。ちょうどフィクションに登場する怪盗のように『K先生の著書はいただいた』と。その差出人の名前がMs.Mでした」

「声明は英語で?」

「いえ、日本語でした。だから犯人は日本人なのではないかという意見は当時もあったのですが、そもそもK先生自身が日本人なのでそれにちなんで日本語で書かれたのだろうという意見もありました」

「そのMs.Mという人物は先生の教え子だったのでしょうか? K先生、何か心当たりはありませんか?」

「君たちのような犯罪捜査の弟子ならともかく、一般の講義には数千人以上の受講者がいたので、さすがに分かりませんね」

「そもそもその人物が今回の事件でも関わっているとは限らねえしな」

「手がかりにはなります。皆さん、これから各自の国に確認をとってもらいたい。どんな小さな犯罪でも構いません、MS.Mと名乗る者の存在がないか、徹底的に洗ってください。特に誘拐や子供に関するものです。報告は明日の朝一でお願いします。それじゃよろしく」


 K教授はそう言うと立ち上がり、他の面々もそれに倣って独自の行動を開始した。私はK教授に促されたので、彼の後に続いて部屋を出た。


「K教授、ご協力に感謝します」

「いえ。それよりも、先生は猫目石君の居所に本当に心当たりがないのですね?」

「もちろんです。ここにはその手がかりがあるのではないかと思ってやってきたのです」

「そうですか……申し訳ないがその手がかりはありませんね。ただし、猫目石君が今回の事件の鍵になるのは確かです。彼女がいるところが捜査の最先端なのですから」

「今猫目石は一体どんな状況なのでしょうか」

「分かりませんが、危機的状況であるのは間違いないでしょう。探偵助手である君を遠ざけている。ただしその危機というのは彼女が想定していたよりも大きなものだった――だから私に助けを求めてきたのです。本人は身動きがとれないから」

「つまり猫目石の足取りを追うことができれば犯人に近づくことができる?」

「その通りです」

「でしたらなぜ先ほどの会合でそのことをお話にならなかったのですか?」

「無論、彼らは薄々感づいているでしょう。優秀ですから」

「では、なぜ?」

がいます」

「裏切り者ですって!」


 K教授がそっと人差し指を立てて口元にあてる。私は声を抑えて聞き返した。


「一体誰が裏切り者だというんですか?」

「それはまだ。しかし以前からその存在は認識していたのです。私は依頼された事件をほぼ全て解決してきました。ですが数年前から未解決に終わる事件があったのです」

「犯罪者側に情報が漏れていた……!?」

「初めは老いのせいで推理能力が衰えたのだと思っていましたが、どうやら違うようでした。それから私は身内の調査を始めました。そして容疑者を最後の七人に絞り込んだのです」

「それが先ほどのメンバーなのですか」

「その通りです。世界の危機の方も解決しなくてはなりませんが、私にしてみれば身内に裏切り者がいる方が重要な問題なのです。世界を救えるのは我々だけなのです。そしてその中に裏切り者がいたのでは、救えるものも救えなくなってしまいます」

「私に何かできることはありませんか」

「猫目石芽衣子を見失わないようにしてあげてください」

「見失わないって、既に彼女は行方不明なんですよ」

「確かにそうですが、先生はまだ彼女の気配を感じ取っている」

「気配……?」

「オカルトのようですが、とても大切なことです。猫目石君と共にいた時間は、きっと先生が誰よりも長い。だから先生は今も感じているはずです、彼女の気配を。それは彼女が生きている証拠です。この先調査を進めれば彼女の痕跡が見え始めていくでしょう。先生はそれを見逃してはいけません。猫目石君は先生に私を頼るように言ったそうですが、それならばどうして私に直接連絡しなかったのでしょう? それは簡単なことです。猫目石芽衣子が真に心を開いている相手は先生だけだからです。だからあなたは、たとえ他の全員が見逃したとしても、あなただけは猫目石君の気配を見逃さないであげてください」


 K教授は最後に「いいですね?」と念押しして、優しく私の背中を押した。私にはただ頷くことしができなかった。

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