「犯罪者の気持ちなんてちっとも分からん」

 面白い! 電話の向こうで猫目石が大いに喜んでいた。顔に傷のあるいかにもミステリーに登場しそうな人物が現れ、あまつさえその姿が消えたのだから、日々謎に飢えている彼女からすればそれはそれは喜ばしいことなのだろう。


「喜んでいる場合じゃないぞ。これからどうする、あの男が何か知っているのは間違いないはずだ」

『こっちでも重要な手がかりを入手したところだ』

「手がかりだって?」

『犯行に使われた爆弾についてだ。通称・スネーク。先の大戦の直前、国外のテロで使われたものに非常に類似しているらしい。なかなか面白い爆弾だよ。爆破後に残る形跡が毎回異なるように設計されているから、同一のものと見られにくく、同一犯とバレにくい爆弾さ』

「犯人は国際的な爆弾魔か? しかしそれじゃあ、君の推理と、」

『矛盾している。が、そうじゃないはずだ』

「つまり矛盾しない仮説が何かあるってことか?」

『最もシンプルなのは、その爆弾魔が使用していた爆弾を、誰かが入手して使ったという説だな』

「そいつが真壁さんのストーカーか……もしかしてあの顔が焼けただれた男は」

『それだけの傷だ、戦場で負ったものだと考えるのが自然だろう。となればそいつは国外に行っていたはずだ』

「だったら爆弾やその作り方を入手していた可能性があるな……とはいえ、ストーカーがそこまでするかな」

『さあな。犯罪者の気持ちなんてちっとも分からん』


 君は誰の気持ちも分からないだろう――そんな風に何とも非生産的な悪態をつきかけたが、しかしそれは私の理性が食い止めた。今はそれどころではない。早くあの爆弾魔を捕まえなくてはならない。


「他に、もう一つ気になることが」

『何だ?』

「真壁さんのことなんだけれど、彼女にはどうにも恋人がいたらしいんだ。しかし彼女はそんなことを一言も言ってこなかった。なぜだろう」

『知られたくなかったからだ。君、腕を上げたじゃないか』

「あ、ありがとう」


 珍しく素直に褒められてしまった。やはりさっきは悪態をつかないで正解だったようだ。


『よし、僕はこれからW大学に行って、その怪しい賊を探ろう。君は真壁さん本人に張り付いて、その恋人とやらの正体を絶対に突き止めろ。女と話すのは得意だろう?』


 人を軟派者みたいに言うな――そう反論しようかと思ったが、その時には既に電話は切られてしまっていた。まあ、これもいつものことである。私は猫目石に指示された通り、依頼人である真壁佳代さんに会いに行くことにした。




 真壁佳代氏はやはり講師用の部屋の一室にいた。私が声をかけると書類作成から顔を上げた。


「あら、先生、どうしたのですか」

「いえ、あなたを迎えに来たんですよ。まあ、ボディガードのようなものです。そろそろお仕事も終わりかと思うのですが……」


 私がそう告げたことで初めて気づいたようで、彼女は時計を見て驚いた。


「まあ! もうこんな時間。すみませんが、今帰り支度をしますので少し待ってもらえますか?」

「ええ、どうぞごゆっくり」


 幸いにして今日は時間に制約はないのだ。いつもならば猫目石の食事を作るという仕事があるが、捜査中の彼女は一切ものを口にしなかった。

 真壁氏は慌ただしく書類やら何やらを大きなカバンに詰め込むと、ようやく私の方へ駆け寄ってきた。


「お待たせしました」

「いえ、それでは行きましょうか」


 真壁氏は自宅と職場を徒歩と電車を利用して往復しているということだった。私はその帰路に付き合いながら、二つの質問を投げかけてみた。一つは顔の半分が焼けただれた男のことで、二つ目は恋人の有無に関してだ。なぜこの順番で質問したかというと、先ほどの猫目石の言葉が頭に残っていたかもしれない、恋人の有無を真っ先に訊いてしまっては、まるで自分が軟派者であるかのように思えたからだ。


「あの怪しげな男性のことですか」

「ええ、決してあなたのことを責めているわけではないのですが、なぜ話してくださらなかったのですか?」

「あれは、私の見間違いだと思っていたものですから……」

「残念ながらそうではなかったようです。今日、私も目撃しましたから」

「まあ! 何と恐ろしいのでしょう」


 真壁氏は今にも恐怖で腰を抜かしてしまいそうだった。


「では、その賊が例の『金曜日の爆弾魔』ということでしょうか」

「可能性はあります。その男について何か心当たりはありませんか?」

「そう言われましても……知り合いにあのような不気味な男はいないはずですわ」

「どんな些細なことでも構いません。本当に何もご存知ないのですね?」

「ええ、残念ながら……申し訳ありません、私としても捜査の手助けをしたいと思っているのですが」

「ああ、いえ、どうかお気になさらず。それと、これは私が言うのもなんですが、このことを相談できる相手というのは、探偵を除いていなかったのでしょうか。例えば恋人や、父親はどうです?」


 私が言うと、彼女は実に悲しそうに首を横に振った。


「先生にはまだお話していませんでしたが、私の父親は真に乱暴者なのです。昔はとても優しかったのに、戦争が父を変えてしまった。だから私、父にはとてもではないですが、相談なんてできませんわ。それに恋人とおっしゃっていましたが、父のことがあってから男性が怖くって怖くって……こうしてただお話しする分には平気ですけれど、お付き合いなんてとてもできませんわ」


 なるほど、確かにあの父親を見てしまっては彼女の言うことも分からなくはない。男性全般に恐怖心を抱くのも理解できる。しかしそれならば一体どうして彼女に恋人がいるなんて噂が立ったのだろう。


「きっと何かの勘違いですわ」


 そういう彼女の横顔は、月明りに照らされて実に美しいものであった。そういえば周りの男性職員からの評判も良いようだったし、それならばきっと美人には恋人がいるものだという妄想にも似た憶測が飛び交ってもおかしくはないかもしれない。


「そう言う先生こそ、恋人はいらっしゃらないのかしら」

「私ですか? いやぁ、そういったものには縁がないものですから」

「あら、猫目石さんは違うのですか? 同棲もしていますし、私はてっきりお二人はお付き合いしているものだと思っておりました」

「よく誤解されるのですが、ただのビジネスパートナーですよ」


 私がもしも誰かと付き合うとしたら、少なくとも猫目石のような破天荒な奴は御免こうむりたいものだ。私はもっと穏やかな女性が好みなのである。


「先生がそう思っていても、向こうはどうでしょうね」

「猫目石が私を好きなんじゃないかって? 彼女に限ってそれはないですよ。仕事と結婚しているような奴ですから。それに、自分のことを女性扱いされるのも嫌いなようですし」

「二人はきっとお似合いだと思うんですけれどね」


 真壁氏はそう言って小さく笑うのであった。

 真壁氏を家まで送り届けた。幸か不幸かあの凶悪な父親はまだ帰宅していないらしかったが、鍵をしっかりとかけるように告げて彼女の家を出た。

 気になることが一つある。真壁氏は気付いていないようだったが、さっきから何者かにつけられているのだ。例のストーカーの仕業だろうか、あるいはあの父親が見張っているのだろうか。私の中にあったその二つの予想は見事に外れることとなった。

 それは漆黒の車両だった。ゆっくりと後方から近付いてきて私の脇に並ぶと、不意に後部座席の窓が開いた。


「捜査の進捗はどうかね、先生」


 それはスーツ姿の男だった。顔立ちはかなり整っており、美男子といって良いだろう。一目見ただけで鋭い頭脳を持っていることを直感せざるを得ない雰囲気を醸し出し、そしてそれ故の傲慢さも自然と感じてしまった。直感的に抱いた印象は男版の猫目石芽衣子その人である。


「捜査? さて何のことでしょう。というかそれ以前に、突然話しかけてきてあなたは誰ですか」

「見て分からんかね」

「分かりませんね、駅から私のことをつけてきたようでしたが。真壁さんと何か関係がある人でしょうか」

「真壁? ああ、先ほど君が一緒にいた女性か。あれが君たちの依頼人かね」


 どうやら真壁氏のことを相手は知らないらしかった。で、あるならば用があるのは私の方か。猫目石ほどではないが職業柄、敵は多い。だがここまで強烈で知的な印象の相手など果たして存在していただろうか。


「私が訊いているのは金曜日の爆弾魔についてだ。芽衣子はそろそろ犯人の目星がついたかな」

「爆弾魔、それに芽衣子って呼び方……もしかして、あなたは」

「やれやれ、本当に気付いていなかったのか。まったく呆れたよ。よくそれで


 男声から女声に変わった瞬間、私は完全に理解した。この目の前の好男子は、あの美少女――猫目石芽衣子の兄その人だったのだ。


「猫目石があなたのことを完璧な女装と言っていた意味が分かりましたよ。なるほどこれは気付かない」

「あの子が私をそんな風に褒めてくれるとはね」

「私はてっきりあなたは普段からあの格好をしているものだと思っていました」

「あれは完全に私の趣味でやっていることだよ。それよりも、だ。捜査の進捗を聞こうじゃないか」

「さて、どうでしょう」


 私は正直に報告すべきか迷ったが、猫目石の言葉を尊重することにした。彼女ならばきっと素直に報告などしないだろうし、それを理解しているから、この目の前の猫目石兄も妹ではなく私の方に接触してきたのだろう。


「私も猫目石の、あなたの妹さんの動向を逐一把握しているわけではありませんから」

「では芽衣子は今何を?」

「彼女が今朝言っていた通り、依頼があるのですよ。だから彼女はその調査をしているわけです」

「爆破現場を嗅ぎまわる男装をした女の報告は受けているのだがね」


 猫目石は目立つからなぁ。

 もはや誤魔化すことは難しいか。


「ええ、あなたの仰る通り、猫目石は今金曜日の爆弾魔を追っています。しかし私が言ったこともまた事実なのです。私が事件のことを聞かされるのは、解決の準備が全て整った後なんですよ」

「昔からそうだった。あの子には事を無駄に勿体ぶる悪癖がある」

「ですから私はまだ何も聞かされていないのです。ですがご安心ください、猫目石なら必ずや犯人を見つけ出してくれるでしょう」


 猫目石兄は少し笑って肩をすくませてみせた。


「先生は本当に良い人ですね」

「どうも」

「ただし、嘘をつくのはもう少し練習した方が良い」

「何ですって?」

「さっきからわずかだが足を引きずっているね」

「……」

「戦場で受けた心的外傷が原因だそうだね。ストレスを感じると足が言うことをきかなくなる。君は今、嘘をつくということに対してストレスを感じている。違うかね?」

「まったく……あなた方兄妹は本当に食えない人たちだ。それで、私から一体何を聞き出そうというのです?」

「ああ、いや、芽衣子が調査をしているかどうか、その確信が欲しかっただけなんだ。気を悪くしたのなら謝るよ」

「どうせならそちらで掴んだ新しい情報を聞かせて欲しいものです」

「通称・スネーク。使用された爆弾は海外で開発されたものだが、組み立てられたのは国内だ。爆発物を研究しているとある大学の研究室から、爆弾の材料になり得るものが盗まれていた」

「なぜ今になってそれが分かったのです?」

「その研究室は警察組織に協力もしている、いわゆる“信用に足る組織”というやつでね。そもそも疑うのが遅れ、そして警察組織特有の隠蔽体質も働いて、私の元まで情報が上がってくるまでタイムラグが発生したのだよ。無論、管理者や捜査関係者には相応の責任をとってもらうが、今はまず爆弾魔を止めるのが優先だ。この情報を芽衣子に伝え、事件解決に尽力してくれたまえ」

「なぜご自分で連絡なさらないのです」

「私はあの子に着信拒否されていてね。まあ、それはかいくぐる方法がいくらでもあるのだが、彼女にへそを曲げられては困る。任せたよ、先生」


 猫目石兄は言うだけ言うと、彼を乗せた黒い車はさっさと走り去ってしまった。猫目石芽衣子の勝手には慣れたものだが、いやはやまったく、似た者兄妹である。

 私は携帯端末を取り出すと、猫目石芽衣子に電話をかけることにした。

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