「これほどの屈辱はない」
それから数日、猫目石は家に帰らなかった。何度かメールが届いたから無事なことは無事なのだろうが、さしもの私も些か心配していた。そしてその間私が何をしていたのかと言うと、真壁佳代のボディガードとして通勤に付き添い、空いた時間にはあの顔の半分が焼けただれた男を探していた。
大学内や大学近辺での目撃情報を探ったのだが、収穫はなし。犯人が爆弾を使うとなればいくらターゲットを守っていたところで、正直効果は薄いだろう。例えば彼女の家や職場にあらかじめ爆弾が仕掛けられていたとすれば、私のガードなんて何の意味も持たない。これらのことから事件解決には名探偵・猫目石芽衣子の推理だけが頼りだった。
そうして私たちは犯人が真壁氏に送り付けられた脅迫状にあった十二月×日――金曜日を迎えたのであった。
この日は事前に計画していた通り真壁氏をホテルに移動し、警護として数名の私服警官を手配した。猪俣警部を始め、私がこれまでの活動で出会ったありとあらゆる警察関係者、あるいは軍関係者に声をかけて回ったのだが、集まったのは十人。とはいえ、急な召集に応じてくれたこのメンバーならば十分に警護は可能だろう。
「しかし、爆弾魔の奴は本当に来るのですか」
猪俣警部が尋ねる。
「ええ、奴は必ず現れます。真壁さんをこのホテルに移すというのは今日まで誰にも秘密だったのですから、今日という日に彼女を殺そうというのならば、かならずこのホテルに来なければなりませんからね」
「入口でも数人がかりでチェックしていますし、反対側のビルには対ドローン兵器用に狙撃兵ですか。しかしよくぞここまで手配できたものですな」
「皆さんボランティアですよ。猫目石がこれまで貸しを作ってきた相手ですが、何より決め手になったのは、警部の発言でした」
「私の、でありますか?」
「皆さん私のサイン本を報酬にしたら快諾してくれましたよ」
「なるほど! ところで、現れないと言えば、肝心の猫目石殿はどちらにおられるのです?」
「それが、私にも分からないのですよ。とはいえ、あいつのことだからきっとどこかで見ているでしょう。我々が一つヘマでもすれば、鬼の首を取ったように大笑いしながら姿を現しますよ」
「できればそれは避けたいですなぁ」
時刻は午前十一時を回った。思えば犯人は日付を指定したが時刻は指定していなかった。つまり最低でも二十四時間、こちらは気を抜けないということだ。
時計の針が十二時を回った頃、現場の異常事態が発生した。数名の警官の携帯端末が一斉に鳴り、そして全員が一様に同じ報せを受け取ったのだ。
「何? 国立競技場で爆破事件だと! それで、被害は……」
猪俣警部の電話から漏れ聞こえた情報だけで、大方の事情は察知することができた。遂に奴が現れたのだ、あの「金曜日の爆弾魔」が――
「先生、すみませんが、私も現場に向かわなくてならなくなってしまいました」
電話を切った警部が申し訳なさそうにしながらそう告げる。
「ちょっと待ってください、それじゃあ、真壁さんの警護はどうなるのですか」
「こちらは何かの間違いなのでは?」
「いいえ、そんなわけがありません。脅迫状だって……」
「しかし脅迫状には爆弾で殺すなどとは書かれていなかったのですよね? そもそも相手が件の爆弾魔であるかどうかも怪しい」
「タイミングから考えても無関係ではないでしょう」
「しかし現に他の場所で爆破事件が起きているのです! 私は起こるかどうかも分からない事件より、既に起きてしまった事件を追わなければなりません。真壁さんの警護には他に応援を呼びましょう」
「応援って言ったって……」
きっと来るのはストーカー対策の生活安全課の人間だろう。到底爆弾魔に対処などできまい。
一体どうすれば……。
あるいは本当に真壁氏の件は何かの間違いか誰かのいたずらなのかもしれない。
「何をしている、重要なのはここからではないか」
その時、凛とした声がその場に響き渡った。
そこに現れたのはスーツ姿の女性。黒い外套を纏い、胸には国家検事局のバッジ――
「犬吠埼捜査官!」
猪俣警部がその眼鏡の女性に駆け寄った。
「どうしてあなたがここに?」
私はそう尋ねていた。今日の警備体制を築くにあたって、当然ながら犬吠埼咲枝氏にも声をかけたのだが、しかし件の爆弾魔の捜査で忙しいというのが彼女の返答だった。
「芽衣子の使い走りだよ。まったく、これほどの屈辱はない」
「猫目石の? それであいつは今どこに?」
「先生、あなた、芽衣子の探偵助手ならあいつの無駄に強い演出家気質を何とかしてくださいよ」
犬吠埼氏は本当に辟易している様子で髪の毛を掻き上げた。
「芽衣子ならもう舞台に上っています。私はあなたをそこへ連れていくために派遣されたのです」
「舞台だって?」
私の言葉に頷くと、犬吠埼氏は真壁氏が待機している部屋へと続く扉に手をかけた。
「さて、いよいよ解決編の幕開けですよ」
扉を勢いよく開く――驚くことに、真壁佳代氏の姿がまるで幻だったかのように消えていた。
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