「僕は名探偵だぞ。任せたまえ」

 その解決編の舞台へと向かう道中、猪俣警部の運転する車の中で犬吠埼氏に話を聞いた。

 猫目石は姿を消した数日間で「金曜日の爆弾魔」に関するありとあらゆる情報、証拠を集めきってしまった。そしてその内容は無論、彼女が初めに推理した「知的な個人の女性による犯行」という内容と合致しており、つまりテロ組織による犯行と見ていた国家検事局や公安警察の考えとは真逆のものだった。


「三日ほど前、猫目石がそのことを伝えに現れたのです。彼女の用意した証拠の数々は我々の捜査の軌道修正を図るには十分なものでした」

「そしてその借りを返すためにあなたが使い走りにされた」

「そういうことです!」


 よほど悔しいのだろう、犬吠埼氏の語尾が荒い。


「して、その犯人とは? あの顔の焼けただれた男や真壁さんは、一体どんな関係で繋がっているのですか」

「詳しいことは芽衣子本人に聞いた方が良いでしょうが、そもそも顔の焼けただれた男というのは存在していなかったのですよ」


 衝撃の事実だった。いや、しかし、私は確かにあの男をみたはずなのだ。そしてその人物こそ真壁佳代氏を付け回す爆弾魔に違いないはずだ。


「さて、そろそろ着きますよ」


 犬吠埼氏の言葉に私は窓の外に目をやった。見えてきたのは旧首都、東京のかつても政治拠点――旧都庁である。戦中にテロに巻き込まれその大半部分を損壊した建物は、戦後復興の一環として再建され、今では各種選挙や会議などに利用される多目的施設と化していた。


「ここが目的地ですか」


 私は停止した車から降りながら犬吠埼氏に尋ねる。


「その通り! さあ、お楽しみはこれからだぞ、諸君」


 そう答えた人物は小柄な女性――黒の外套を翻し、ヒーローさながらに現れた彼女のことを、私はとてもよく知っている。

 名探偵・猫目石芽衣子の登場であった。




「話は歩きながらにしよう」という猫目石の提案に従って、私と猫目石、犬吠埼氏、そして猪俣警部は旧都庁の長い廊下を進んでいた。


「猫目石、君に報告しなくちゃいけないことがたくさんあるんだけど」

「安心しろ。全て想定通りだ」

「真壁さんが消えたことも、国立競技場が爆破されたこともか? 想定していたのならなぜ止められなかったんだ」

「全て計画の上だと言っているだろう」

「計画って、爆破された件はどう考えてもやりすぎだろう」

「爆破が事実ならな」

「何? まさか嘘だったのか? いや、しかし警部への電話はどうなる? それにここに来る途中、車の中でメディアを確認したら、どこも大々的に報道していたぞ」

「君はこの数日、僕が遊んでいたとでも思っているのかい? あいにく、僕はそんなボンクラではないよ。この数日はそれらの“罠”を用意するために必要な時間だったのだよ」


 猫目石は勝ち誇ったようにくっくっくと笑っている。私が彼女の探偵助手を務めるようになってから一年以上経過するが、相変わらずこの無駄に勿体ぶった態度には緊張しなかったためしがない。


「この事件の犯人――『金曜日の爆弾魔』の正体に関しては、実は僕が姿を消す前から分かっていたのだよ」

「犯人は知的な個人で女性ってやつか?」

「ああ。しかもありがたいことに、黙っていれば良いものを彼女は自分から僕たちの前に姿を現した。依頼人という形でね!」

「ちょっと待ってくれ、猫目石。君の言い方じゃあ、まるで犯人は……」


 依頼人・真壁佳代――


「その通り!」

「いや、彼女はむしろ被害者だろう。脅迫状だって届いている」

「あの脅迫状は自作自演さ。第一、君、本気で彼女の証言を信じているのかい? 訪れた場所が順番に爆破されているって? はっ! そんなことあるわけがない。彼女が犯人でなければね」

「いや、しかし、彼女には動機がない! それに、爆弾に関する知識なんてないように思えるのだが」

「爆弾を用意したのは別人だ。名前は遠藤未来。大学の研究機関で爆弾を研究していた奴だよ。君も知っているだろうが、この国は第三次世界大戦に参加するにあたってあらゆる専門的な知識、技術を持つ人間を集めた。かつての徴兵制度とは違ってメディアによる印象操作によってね」


 先の戦争の直前、そういった風潮があったのは確かだ。今こそ技術を活かそう、みんなでこの国を守ろう――そんな謳い文句でこの国は多数の若い才能を集め、戦地へと送り込んだ。私自身、医学の道にありながら軍人を志したのはそんな空気があったからだ。


「遠藤未来は大陸に派兵され、そこで新型爆弾、通称・スネークに関する知識を手に入れたのさ。不規則的な痕跡を残すその新兵器は、戦場で使うのには適していなかったが平和な国の中で使うにはかなり強力なものに思えただろうね。警察連中の捜査を、文字通り煙に巻くことができる。現にこの国の無能な警察連中は、爆弾魔の初動捜査であきらかな方針ミスをしている」


 これもまた実に愉快そうに、猫目石は笑った。彼女にとって本職の警察を見下す行為はこれ以上ないほどの快感が得られるらしかった。


「顔の焼けただれた男に関しても情報は入っている。真壁佳代と遠藤未来は大学時代、映画研究サークルに所属していたんだ。大学の垣根を越えたサークルで、そこで二人は出会った。二人の大学時代の同期から証言を得られたよ。二人は特殊メイクで人を驚かす遊びにはまっていたって」

「それじゃあ、私の見たあの男の顔は、特殊メイクによるものだったのか」

「W大学のトイレから特殊メイクを施した形跡を発見したよ。おそらく捜査の目を真壁佳代から、“戦争を体験した男”に逸らすのが目的だったのだろう」


 しかし仮に猫目石の言う通り、真壁氏がその遠藤という人物と共犯で爆破事件を起こしたとして、その動機は一体何なのだろう。そして何よりも疑問なのが、なぜ犯人である彼女が猫目石に調査の依頼をしなくてはならなかったのだろうか。


「その答えもすぐに分かるよ。君たちをここに呼んだのにも、当然理由がある。僕は罠を仕掛け、犯人をここに誘導したんだ。決定的な証拠を掴むためにね!」


 廊下の角を曲がったところで、猫目石が「あ!」と声を上げた。視線の先には一人の大男がおり、こちらに気付いた彼は瞬時に身を翻して駆け出した。


「あいつを捕まえろ!」


 猫目石が叫ぶ。誰よりも早い反応をしたのは猪俣警部であった。さすがは現役の警察官といったところか、彼はその大きな身体に似合わぬ小動物さながらの俊敏さで飛び出し、次の廊下の角に差し掛かるころには既に逃走者の後ろ襟を捕まえていた。

 逃亡者はすぐさま振り返り攻撃に転じた。懐から素早く折りたたみナイフを取り出すと、猪俣警部に斬りかかった。が、警部はこれを間一髪で回避し、そして凶器を握る右手を両手で抑え込んだ。

 そこに追いついた私は瞬時の判断で空いている方の腕を抑えにかかり、動きを封じられた相手の鳩尾に猫目石が追跡の加速を加えた拳を叩きこんだ。男の口から空気が漏れ、その場にがっくりと座り込んだ。少しの間息ができないだろうが、大きな怪我などはあるまい。警部がナイフを取り上げたところで私はようやく一息ついて、その男の顔を覗き込むことができた。


「あなたは……」


 そこに現れた人物、それは真壁佳代氏の父親その人であった。


「なぜ彼がこんなところに」

「ますます確信が持てた。こいつがここにいるってことは、真壁佳代も近くにいるってことさ」

「親子は共犯関係なのか?」

「いいや、むしろ逆だったのだよ!」


 猫目石が座り込む真壁氏の顔を、その目を覗き込んだ。


「真壁信三さん、あなたのことも調べました。警察省特殊犯罪対策課――テロや重大犯罪を未然に防ぐ部署に所属し、あなた自身は爆発物のプロフェッショナルだ」

「真壁信三だと?」


 犬吠埼氏が聞き返した。


「『金曜日の爆弾魔』事件の捜査チームが設立された時のメンバーだったはずだ。しかし途中からチームを外されていた。理由は分からないが……その人物がなぜここにいる」

「彼は独自に自分の娘を調査していたのさ。だからわざわざ僕らの事務所にまで現れて邪魔をするなと忠告していったんだ」

「素人探偵が、まさかここまで辿り着くとはな」


 ようやく息を整えた真壁信三氏が吐き捨てるように呟いた。


「あなたはまだ理解されていないようですが、僕たちとあなたがこうして対立するのもまた犯人の計画の内なのですよ」

「何だと?」

「真壁佳代氏が爆弾魔だとして、そもそもなぜ僕たちのところに調査の依頼に来たと思っているのですか」

「それは……容疑者から少しでも外れるためじゃないか」

「いいえ、あなたは爆弾のプロであるようですが、もう少し人間心理を学んだ方が良いですね。あなたの娘さんは、あなたが疑いを持っていることにとうに気が付いていたのですよ」


 真壁佳代は父親が自身に疑いを持っていることに気が付いていた。計画遂行は目前だが、優秀な捜査官でもある父親にべったりと張り付かれていては難しい。そこで彼女は一つのリスクをとることにした。


「我々が金曜日の爆弾魔事件を調べれば、当然父親にも目がいくだろう。彼女を付け回し、爆弾のプロフェッショナルで、おまけに気性は荒い乱暴者とくれば自然と容疑は父親の方に向けられる。うまくいけば誤認逮捕ということもあるだろう。それに何より、僕という名探偵と邪魔者である父親、その両方を同時に足止めできる、まさに一石二鳥の戦略だったわけだ」

「まさかあの子がそこまで考えているなんて……しかしなぜだ。私はあれに全てを与えてきたつもりだ。戦争に行っていた間だって、一度もひもじい思いをさせまいと十分な財産を残した。それなのになぜ……」

「動機は簡単ですよ。平和への復讐ってやつです」

「復讐だと……? そうかやはりあいつのせいか。遠藤未来、忌々しい奴め。娘をたぶらかしてテロリストに仕立て上げたんだ!」


 猫目石はその嘆きに似た叫びを聞いて、やれやれと肩を竦ませていた。まるで分かっていないと言わんばかりに。


「誰が悪いという話ではない。世の中の理不尽を圧縮したのがあの戦争なら、我々人間にそれを避けることなど不可能だったのですよ。それに戦争があろうがなかろうが、人は堕ちていく生き物なのです。あなたは人間というものに幻想を抱きすぎた。ただそれだけのことなのですよ」


 だからこそ、誰かや何かに復讐しようとするのは間違っていると言えるのではなかろうか。我々は何としても真壁佳代氏の凶行を止めなくてはなるまい。


「さて、それではそろそろ先に進もうか。父親がいたということは、この先に娘もいるだろう」



 通路を抜けた先には配電室がある。この旧都庁の電源を操作する部屋で、本来ならば厳重に施錠されているはずだが、鍵はドアノブごと破壊されていた。その惨状を見るにその先に真犯人がいるのは明らかである。

 猫目石が半開きになった扉を引くと、そこにはとんでもない光景が広がっていた。


「佳代!」


 まず駆け出したのは真壁佳代氏の父親である信三氏であった。彼は手錠をかけられたままで猪俣警部の手を振り払い、部屋の中に飛び込んだ。

 そこには確かに、真壁佳代氏がいた。しかしその表情に以前の覇気はなく、ぐったりと、その華奢な身体を天井から吊り下げていた。


「くそっ!」


 一瞬遅れて私も部屋に飛び込んだ。大急ぎでその女性の身体を支える。続いて猪俣警部が信三氏と協力して天井から吊り下げられた頑丈なロープから真壁佳代氏の首を解放した。彼女が首を括ってから一体どれだけの時間が経過しているだろう。一般に首を吊ってから三、四分ならば助かる可能性があるというが……。

 しかし残念なことに、その時点で既に真壁佳代氏は息絶えていた。首吊り死体は苦痛に顔を歪めている場合が多いが、不思議なことに彼女の表情は実に穏やかなものだった。

 真壁信三氏は娘身体を抱きかかえて嗚咽を漏らしている。そこには屈強な乱暴者の姿はなく、一人の父親の姿があるだけである。

 私は猫目石芽衣子に詰め寄った。


「お前、知っていたな」

「何を」

「彼女が自殺しようとしていることだ!」


 気が付けば私は猫目石の胸倉を掴み上げていた。


「予感はしていたが、まさか実行するとはね。さしもの僕も予測しきれなかったさ」

「お前がもっと早く事件を解決すれば良かったんだ!」

「僕はヒーローでもなければ神様でもない。それに何より、犯人がどうなろうが僕の知ったことではないね。真相を明らかにする――探偵に課せられた使命はそれだけだ」

「お前!」

「それよりも!」


 振り上げた右手を、猫目石の鋭い一言が制止した。


「今はまずあれを止めるのが先ではないかね」


 彼女が指さした先には黒い小箱があった。中央の部分が長方形にくりぬかれ、そこに赤いデジタル数字が浮かんでいる。


「爆弾の起爆装置だ。あのタイマーが切れた瞬間にこの旧都庁中に仕掛けられた爆弾が一斉にドカン、だ」


 私は猫目石を下ろして黒い小箱を覗き込んだ。残された時間は約五分、避難はまず間に合わない。


「教えろ猫目石、これはどうやって止めればいい」

「まあ、任せたまえ」


 猫目石は外套の内ポケットから一つの小さなプラスチックケースを取り出した。蓋を開けると中にはありとあらゆる工具が入っているようだった。ハサミやニッパー、その他の名前も知らない数々の道具。彼女はその中からいくつかを選びだすと、起爆装置の前に座り込んだ。


「解体できるのか」


 横から犬吠埼氏が不安そうに尋ねた。いつもクールな彼女でも、さすがに動揺しているらしい。


「これくらいできなきゃ、あの戦争から生きて帰ってこられなかっただろう。僕がいたのはそういうところだった」


 言外に「平和な本国に残っていた君には理解できないだろう」という嘲笑ともいえる感情がある気がした。

 戦時中、猫目石も私と同じように、大陸の戦場に参加していたということだったが、果たして一介の兵士に爆弾を解体する機会などあるだろうか。いや、まったくないとは言い切れないが、しかしそもそも戦場には時限式の爆弾なんてそうそうないし、あったとしても一々解体している暇はないはずだ。となれば、彼女が参加していた部隊や任務はよほど特殊だったのだろうか。

 そんなことを考えていると突然猫目石が顔を上げた。


「これはダメだな」

「ダメって?」

「僕が入手した爆弾スネークの設計図と中身が違っている。おそらく遠藤未来か真壁佳代が手を加えたのだろう」

「どう違っているんだ?」

「最後の最後、二本の銅線が出てくる。黒の銅線と、斑の銅線だ。どちらかが正解でどちらかがトラップだろう」

「どうするんだ!」

「ふむ」


 猫目石は立ち上がり、項垂れる真壁信三につかつかと歩み寄った。残り時間は二分ほどだが、猫目石の表情に焦りの色は一切現れていない。


「真壁信三、爆発物のプロフェッショナルの君ならばこの爆弾の解除方法を知っているのではないか? 黒か斑か、正解はどちらだ」

「……」

「お前の娘は死んだ! これ以上被害を増やしたら、娘の名誉が余計に傷つくだけだぞ! さあ、正直に言うんだ!」

「……知らん」

「いいや、知らないはずはない。君を調べるにあたって君の職場のデスクや家も見たんだ。娘のこともあって、最近はスネークの研究に随分熱心だったようじゃないか。おまけのようなこの程度の仕掛け、君なら簡単に見破れるはずだ」

「……」


 我々が固唾をのんで見守っていると、やがて真壁信三氏はふらふらと立ち上がり、起爆装置の入った小箱を覗き込んだ。彼もやはりプロなのだろう、起爆装置を一瞥しただけでその表情は真剣そのものに変わった。そしてすぐに銅線の一本を指さした。


「この黒い方を切るんだ。それでタイマーは止まるはずだ」


 猫目石が真壁信三の顔を覗き込む。じっとその男の目を見る。表情の変化の一つも見落とすまいと言わんばかりの眼光である。残り時間は三十秒。


「芽衣子!」

「猫目石さん!」


 犬吠埼氏と猪俣警部が同時に叫んだ。


「黒か、斑か」

「黒だ」


 猫目石の持つ切断用のニッパーがゆっくりと小箱に伸びる。

 残り十秒。


「猫目石、私は君を信じるぞ」

「僕は名探偵だぞ。任せたまえ」


 三……二……一……パチン。

 息を呑んだ。

 タイマーは停止していた。爆発は起きていない。

 猫目石が切ったのは――斑の銅線だった。


「君が爆弾のプロであるのと同じように、僕は人間の心理を見抜くプロなのですよ。娘を失った父親がどういう行動をとるのか、予測するのは難しくはない。あなたの娘さんは残念ながら亡くなってしまいましたが、あなたは生きるべきだ」

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