「奥の手の一つを紹介しよう」
猫目石がまず目を付けたのはオックスフォード大学で起きたとされる盗難事件であった。私はヤード氏が共有した情報を、同じように猫目石にも話した。二十年ほど前にオックスフォードでK教授の本が盗まれたこと、そしてその実行犯がMs.Mであったということ。
「Ms.Mは外国人なのか?」
「いや、それはない。少なくとも生まれは日本のはずだ。だが一時期は海外にいたようだな」
「海外のどこに?」
「これから戦争を起こそうと思ったら、奴がどれだけイカれていようとも、まずは自分の身の安全を確保するだろう。あの戦争で傷つかなかった国はほぼないが、それでも比較的軽傷だったのはヨーロッパ諸国だ。ならばイギリスを拠点にしていても不思議じゃあない」
「それじゃあ、なぜ日本人だと?」
「日本という国に執着しているからだ。第三次世界大戦の、世界情勢から見れば日本なんて脇役もいいところだ。もしあの戦争が個人の意図によって引き起こされたのなら、わざわざ日本を巻き込む必要はなかったのさ。だがしかし、奴はその選択肢を採った。それは奴自身にこの国に対する執着があったからに他ならない」
「しかし、日本にイニシャルがMの人間がどれだけいると思う? もっと絞らないと」
「次に注目すべきは、奴が犯罪界の帝王になったきっかけの事件を探ることだ。奴が手懐けた最初の組織というべきか――それを探るんだ。咲枝!」
猫目石が部屋を出ようとした犬吠埼氏を呼び止めた。
「第三次世界大戦前の国内にあった犯罪組織で、ある時期を境に活動方針を変えた組織はないか?」
「ちょっと待て……あったぞ」
犬吠埼氏は端末の画面を猫目石に見せた。
「<自然回帰の会>――元々は環境破壊反対と原子力発電反対を訴える慈善団体だったのですが、その実態は化学兵器を所持するテロ組織として、公安がマークしていた対象です」
「それが第三次世界大戦の十五年ほど前に急遽組織の運用方法が変わった。具体的には、より積極的に、そしてより効果的に動けるようになったんだ」
「誰か参謀がついたのか!」
「諸葛孔明よりもうんと頭のキレる奴がな」
「そいつがMs.M?」
「当時の公安や検察の情報によれば、そこまでの特定はできていませんでしたが、おそらくは」
「オックスフォードの盗難事件から十年後か……その間、Ms.Mは一体何をしていたんだろう?」
「――活動資金を集めていたんじゃないか?」
猫目石が言うには、テロ組織に入るにはまず何らかの手土産がいる。それもいきなり参謀の地位になるには相当のもののはずだ。多額の金と考えるのが自然だろう。
「もちろん金だけじゃ組織は認めない。それ以外にもあらゆる犯罪方法の伝授や政府の機密情報などもあっただろう。しかしまず追うべきは金の流れのはずだ。奴はそれだけの金を一体どうやって入手したんだ?」
猫目石は唐突に立ち上がり、部屋の中を歩き回り始めた。思考を整理するようにぶつぶつと独り言をつぶやいている。
「窃盗だ!」
突然立ち止まった猫目石がそう叫び、部屋の隅から我々の元へと再び駆け寄ってきた。
「奴の最初の大きな事件は大学での窃盗事件だ。犯罪者は最初の成功を繰り返す! 咲枝、窃盗団を探せ! 戦前にかなりの被害額を出した組織のはずだ。しかもそのメンバーのほとんどが殺害されたか行方不明になっているはずだ!」
「ちょっと待てよ……あった!
「よし、そいつの足取りを追え! 僕は直接Ms.Mの居所を探してみる!」
「居所だって!?」
驚く犬吠埼氏を後目ににやりと得意げな笑みを浮かべた猫目石が部屋を後にし、私も急いでその後を追いかけた。
「あんなことを言っていたが猫目石、君にはMs.Mの居場所が分かっているのかい?」
「大体の目星はついている。それを検証する方法もな。問題は制限時間に間に合うかどうかだが――」
猫目石は自身の端末で時間を確認した。Ms.Mが掲示した制限時間まではあと五時間ほどだ。ここからは一分たりとも時間を無駄にすることは許されないだろう。
「一体どこなんだ? 奴が潜んでいるのは」
「第一に」
猫目石が歩きながらピンと人差し指を立てた。
「奴の思考の方向性を考えるんだ。思考の癖と言ってもいいかもしれない。さっきの僕との会話でもあった通り、奴は極力面倒なことを避けようとする性格なんだ。効率を求め、楽をしようと考えている。例えば金儲けだってそうさ。真面目に働くよりも誰かから奪った方が楽だし効率的だ」
「だがリスクがあるだろう。捕まったら楽どころの話じゃない」
「捕まらないのさ、奴の頭脳ならね」
外に出るとそこでは既にヘリが待機していた。猫目石があらかじめ呼んでいたものらしい。
「奴の目的はあくまで金儲けさ。権力を求めるのもその一過程でしかない」
「Ms.Mはこの誘拐事件でどうやって金儲けをするつもりなんだろう。今のところ身代金の要求はないんだろう?」
「その点がまったく謎だ。明らかに利益はないだろう。それに僕にゲームを持ち込んできたのが引っかかる。このまま行けば我々は奴の尻尾を掴むどころか、奴の存在自体、証明することはできなかっただろう。それなのに、なぜ奴は我々の前に姿を現した?」
「競争心からとか? 小鳥遊少年のこともあるし、奴は相当負けず嫌いなんだろう?」
「それもそうだが……」
猫目石はそれっきり黙り込んでしまった。その視線は窓の外へと向けられているが、その意思はむしろ内側――思惑の方へ向けられているのが分かった。
ヘリの行先は旧宮城県は仙台空港であった。我々はそこで飛行機に乗り換え、旧首都――東京は羽田空港へと向かった。現在日本はありとあらゆる交通機関に規制がかけられ、上空から見た空港が暗闇に覆われているのが、私には不気味に思えて仕方なかった。まるで我々の行く末が暗雲の中にあるのを暗示しているようだ。
飛行機を降りた私は猫目石に尋ねた。
「君はMs.Mの居場所の目星がついていると言ったが、一体どこなんだい?」
「世界大戦が起きても安全な場所と聞いて、どこを想像する?」
「……シェルターとか?」
「当たらずとも遠からず。ただ安全性だけを求めるのならシェルターで十分だが……君、あの部屋を見ただろう?」
言われて私は映像の中のMs.Mの部屋の様子を思い出していた。全てが緋色に染まった不気味なあの部屋を。
「おまけにあの衣装だ」
「まったく似合っていなかったな」
「その通り。だが注目すべきは奴にとってあの衣装がどんな意味を持つかという点だ」
「少なくとも誰かに見せるためじゃないだろうな。異常犯罪者特有のファンタジーか?」
「ともすればそこには何か
「どういうことだ?」
「要はあの衣装や部屋が用意された演出ではないということだ。僕は僕の身柄が日本警察に捕縛されたという嘘の情報を流した。だから奴にとって僕が本当は自由の身であることや、K先生の端末を通して奴らのネットワークを見つけ出すということは、予想だにしないできごとだったはずなんだよ」
そういうことならば衣装や部屋を用意する時間はなかったと考えるのが普通だ。あの部屋はMs.Mの自室――趣味と言えるということだ。
「だからそれを手がかりにすれば奴の居場所が追えるというわけだ」
「悪趣味ではあったけれど、造りは豪華だったな。オーダーメイドなら楽に足取りを追えるはずなんだが……」
「その線でも追えるが時間がかかる。奴はその間に逃げるだろうね」
「じゃあどうする」
「あるものではなくないものに注目せよ――だ! あの映像は奴の端末で撮影されていたものだが、世界中の犯罪を裏から糸を引くあいつが、端末を一つしか持っていないというのは考えにくい」
「映像にはそれらしきものは映っていなかった」
「おそらく
言いながら猫目石は自身の端末を操作し、電話をかけ始めた。通話時間は一分ほどだったが、すぐに話を終えた猫目石が得意げな顔をこちらに向けた。
「君に僕の奥の手の一つを紹介しよう」
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