「どこまで絞ればいい?」

 猫目石に案内されたのは私もよく知る会社だった。いや、よく知るというのは語弊があるな、私はその会社の名前は知っていても訪れたことなど一度もないのだから。

 私たちが尋ねたのは夏目コーポレーションという巨大複合企業の第一オフィスであった。経済特区・秋葉原の中央の巨大なビルに居を構えるその企業は、元々は弱小通信企業だったのだが先代の会長である夏目なつめ胡桃くるみ氏が開発した全く新しい通信システム――いわゆる<新ネット>によってたちまち世界トップに成りあがった企業である。オフィス自体も非常に合理的かつ豪華に造られており、まさに戦後復興を象徴するかのような建物である。


「K先生とその先代の会長というのが旧知の仲でね、先生を通してこの夏目を紹介してもらったんだ」


 猫目石の言葉は全くの事実であるようで、その証拠にもはや顔パス同然でオフィスに侵入できたほどである。猫目石の夏目に関する知識披露を聞きながら廊下を進み、やがて彼女は一つの部屋の前で立ち止まったので私もそれに倣った。

 無機質な金属製の扉には「第七研究室」のプレートが掲げられ、それを見てようやく私はこの扉が電波を通さない特殊な材質でできているのだということを理解することができた。

 猫目石はノックもせずに扉を、蹴破らんとするかのような勢いで開いた。


「三代目! 僕が来たぞ!」

「うわあ!? ……猫目石さん?」


 猫目石の突入に飛び上がったのは大きな青年だった。眼鏡をかけ、無精ひげを生やしたその青年は縦にも横にも大きい。縦に関して言えば小柄な猫目石が二人分はあろうかというほどだし、横に関しては猫目石が三人は入ってしまいそうなほどである。そんな彼がでっぷりとした尻をようやく椅子から上げるころには、猫目石はもう彼の目の前に立っていた。


「また太ったんじゃないのか」

「猫目石さんはもっと太ってください。健康が心配になります」

「またポルノを見てたのか。ほどほどにしないと、またウイルスに引っかかっておばあ様に怒鳴られるぞ」

「余計なお世話ですよ……というか、来るのが早すぎます」


 青年は動揺を隠せないように何度も眼鏡を上げる動作をしている。どうやら見た目に反して気はかなり小さな性分らしかった。

 私は猫目石に尋ねた。


「こちらは?」

「夏目コーポレーションの三代目会長候補、現会長の息子で先代夏目会長のお孫さんにあたる夏目なつめ真一しんいちだ」

「夏目って呼んでよ。下の名前は嫌いなんだ」


 夏目青年はそう言うとテーブルの上のスナック菓子を無造作に掴んで口に放った。菓子を頬張りながら青年は、


「あなたのことは知っていますよ、先生。本も読みました」


 と私に向けて言った。私という人間の説明が省けるのは非常に助かる。猫目石は今や全国的に有名な探偵だが、如何せん記録者であるところの私のことを知っている人間は少ない。事件現場を訪れるたびに自己紹介するというのもなかなか面倒なものだ。


「それで、また手伝えって? おばあちゃんの許可は……とってるわけないか」

「君も分かっているだろう? 夏目前会長は僕たちK先生門下を良く思っていない」

「おばあちゃんの初恋の相手なんだよ、K先生は」


 夏目青年はある種部外者である私にも分かるように説明してくれた。


「でもK先生が好きになったのは別の女の人だったんだ。噂によればどこか猫目石さんに似ている人だったらしい」


 青年がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて猫目石を横目に見ると、猫目石はふんと一蹴するように鼻を鳴らした。


「僕とは無関係な人さ。それにあの知的かつ冷静なK先生が恋に落ちるというのはどうにも想像ができない。ガセなんじゃないのか?」

「おばあちゃんに直接聞いたんだから間違いないよ」

「ああ、そうかい。とにかくまた君に調べて欲しいことがあるんだ。事は急を有する」


 夏目青年はやれやれと肩を竦ませてみせた。


「相変わらず人遣いが荒いんだから。でも話はちゃんと通して欲しいよね。それで後で怒られるのは僕なんだからさ」

「言ったら断られるさ」

「おばあちゃんは断らないよ。まあ、説教の一つや二つはあるだろうけど」

「それが嫌なんだよ。時間の無駄だ。君ならうまい躱し方が分かるだろう?」

「相手はあのおばあちゃんだよ? 無理無理、誰にも言っていないはずの秘密さえ、おばあちゃんにはお見通しなほどさ。こっちがちょっとでも勝手なことしてみなよ? ありとあらゆる手で脅迫してくる」

「脅迫とはずいぶんと大げさな言い方だな、身内だろうに」

「これが冗談じゃ済まないんだよ。この前なんて、僕の初恋の人に連絡するって言ってきたんだよ? 小学生の頃に誰が好きだったかなんて誰にも言っていないのに!」

「おばあ様を怒らせたらどれだけ恐ろしいのかは十分分かったよ。それより時間がないんだ、本題に入ろうじゃないか」


 猫目石がそう言うと、夏目青年は大きな溜め息と共に頷いてみせた。納得したというより諦めたという風だった。どうやら彼も私同様、猫目石からの無茶な要求には慣れているらしい。

 夏目氏は椅子をクルリとターンさせて端末の画面を向き直した。私と猫目石は彼の背後に回ってそのモニターに目をやった。彼の前のモニターは三方向にそれぞれ設置され、画面の中ではよく分からない数値が絶えず移り変わっている。


「彼の仕事は夏目コーポレーションのシステム管理、それからこの画面で動いている数値は株価の変化だ。彼の収入のほとんどは株の売買によるものなのさ」

「数字は良いよ、嘘をつかないから」


 夏目青年は愚痴のように呟きながら答えた。


「とはいえ、ここのところの騒ぎで株の方もめちゃめちゃだ。K先生と猫目石さんにはさっさと解決して欲しいもんだがね」

「事件についてどこまで知っている?」

「テレビで報道されている程度。世界各地で要人の関係者が一斉に誘拐されたって? ネットの匿名掲示板だと国際的な犯罪組織が関係しているらしいね」

「その親玉を追っている。何か情報は?」

「噂程度だけどさ、日本人だって話だよ。リアルの犯罪について語る掲示板があって、ちょっとしたコミュニティになっているんだけど、そこからの情報」

「コメントの投稿主は?」

「それが……嘘か真か犯罪組織に消されたって。だから今はネットでもこの組織についての書き込みはタブーみたいになっているんだ」

「賢明だな。君も深入りしないことだ」

「今まさに巻き込まれようとしているんですがそれは」

「何も敵組織にハッキングを仕掛けて欲しいってわけじゃあないさ。君に調べて欲しいのは情報の流れの方だ」


 猫目石の調査方針はこうだった。

 まず先刻のMs.Mとの会話と映像で、あの部屋が敵組織の拠点、もしくはその近隣に位置していることが判明した。現在世界中の公的機関は一時活動を停止し、交通や情報に関しても制限がかけられている。この状況下で交通や情報を自由にできるのは政府関係組織と、犯罪計画を実行中の敵組織しかない。そこで――


「なるほど、確かに出入りしている情報量や電力量に歪みが生じているかも」


 夏目青年は何か閃いたかのように目を見開くと、凄まじい勢いで端末のキーボードを叩いていった。私は機械やネットワーク関係に疎いため彼が何をしようとしているのかまるで理解できていなかったが、傍らの猫目石の表情を見るからに、この手の調査において夏目氏の能力は十分信頼に足るらしかった。


「どこまで絞ればいい?」

「相手は日本だ。情報量もだが、消費している電力量に注目しろ。相手は地下にいる可能性が高い」

「オーケー……出た!」


 画面の中には簡略化された日本地図があり、そのいくつかの点がパカパカと点滅している。

 猫目石は夏目青年の巨体を押しのけ、画面に噛り付くような勢いで点滅をぎょろぎょろと追いかけた。が、すぐに顔を上げ、


「ダメだダメだ! 全部外れだ。どれもこれも公的機関ばかりじゃないか!」

「敵のスパイはどこにいるかも分からない。もしかしたらMs.Mも公的機関に紛れ込んでいるんじゃないか?」

「それなら兄貴が見落とすはずがない! 何かがおかしい」


 猫目石が狭い室内をせわしなく歩き回り始めた。きっと今の彼女の脳内ではこの事件に関するありとあらゆる情報が超高速で切り替わっていっているのだろう。しかしそこで急にぴたりと立ち止まった。


「札幌で僕らを襲った敵」

「あの兵隊崩れ共がどうかしたのか?」

「奴らはどうやって日本に来た? 現在日本は僕の要請によって完全に鎖国状態だ。あらかじめ潜伏していたのか?」

「トロイの木馬みたいに?」


 夏目氏が横から口を挟んだが猫目石は首を横に振った。


「そうか……分かったぞ!」


 猫目石は夏目氏の巨体を再びモニターの前に戻した。


「船だ! 船の情報を洗え!」

「船だって?」

「ああ、奴は現在船に乗っているんだ。それもおそらくかなり大きなものだ。突発的な戦争状態になっても船の上にいればかなりの安全が確保できる。それに世界中どこにも行ける快適さもある。あの傭兵共は船で日本に来たんだ!」

「あった! この船だ!」


 夏目氏の操作によって日本海の一部が強く点滅した。


「通信量が漁船とは比べ物にならないほど膨大だ。軍の船でもなさそうだし、間違いないよ!」

「衛星写真を出せ!」


 暗闇の海にポツリと一隻の船が浮かんでいた。写真から詳しい大きさは分からなかったがかなり大きなもののように思われた。


「船舶情報も残っていた。所有者は……佐伯さえき重蔵じゅうぞうって人らしい」

「ちょっと待て」


 猫目石が今度は自身の端末でその名前を検索した。そして勝ち誇ったように笑みを浮かべた。


「精査するまでもない。奴は<自然回帰の会>の創設者の一人だ」


 Ms.Mが最初に乗っ取った組織――<自然回帰の会>――これで全ての線が繋がった。


「奴はあの船にいる……!」

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