「ゲームのつもりなのさ!」
「犯人は個人だよ。極めて高い知識と技術力を持ち、最も危険な破壊衝動を持つ者さ。個人的な勘で言わせてもらえば、犯人はきっと女だね」
猫目石芽衣子は仕事に依存してはいるが、同時に弁えることもできる人間だった。だから彼女はこの連続爆破事件に関して並々ならぬ関心を抱きながら、あくまで自宅で推論を述べるだけで、しかし相応の依頼がないことを理由に自ら捜査に首を突っ込むようなことはしなかった。
「しかし猫目石、なぜ相手が個人だと分かる」
「政治的や宗教的な動機がないからだよ。これまで爆破されてきた場所は全て公共の施設ではあるが、一貫性はない。声明も特に出されていないしね」
「評議会の会場が爆破されている」
「政治に関するのはその一か所だけだ。公共施設から一つをランダムに選出すれば、一つくらいはそういった場所が選ばれるよ」
「なぜ女だと?」
「男が大きな犯罪をする時は、たいてい何か声明を出すものさ。いいかい、君、この爆弾魔を追いかける上で最も大切なのは犯人の動機を探ることだよ。爆弾魔によく見られる自分の作品にこだわりのあるタイプでもないな、爆弾の形状やタイプが全て異なっている」
「それを聞いて私はむしろもっと犯人が組織的な気がしてきたよ。個人に数種類の爆弾を用意する技術や知識があるとは思えないね」
「それは戦前の話だな、今や爆弾の作り方なんてものはちょいとアンダーグラウンドの書物を読み漁れば手に入る。共犯がいるとしても、せいぜい二人くらいだよ、とにかく過激派の連中がやっていることじゃないのは確かだ」
「私にはこれだけでも十分過激な犯罪に見えるけれどね」
ここのところ毎日のようにこんな会話をしている。私としてはここまで危険な事件に直接関わりたくないから、猫目石が動こうとしないのはむしろ好都合であったが、十二月の最初の土曜日を迎え、そう距離を置いてもいられない事態が発生した。その日私が起きて身支度を整えると、驚くことに既に猫目石は起床していて、おまけに外套までしっかりと羽織って出かける準備ができているようだった。
「どこか行くのか?」
思いもよらぬ事態である。通常時の猫目石ならば、まず昼までは起きてくることはない。そんな彼女がもう動き始めているということは、何か事件があったに違いないのだ。
「不本意ながらでかける用事ができた。君が起きるのを待っていたんだ」
「不本意ながら?」
もしも何か事件に関することならば彼女は嬉々として出かけるだろうし、それ以外の野暮な用件ならば大抵助手である私が済ませているはずだが。それにまだ朝の七時すぎだ。こんな時間から出かけなければならない用事とはいったい何なのだろう。
「会いたくない人物に会わなければならないんだ。君も一緒にきてくれると非常に助かるのだが」
彼女からこういった形で助けを求められることは初めてだった。その時ばかりはそのしおらしさに普段は微塵も感じられない彼女の女性らしさというか、可愛らしいところが垣間見えた気がした。
しかしあの鉄面皮同様の彼女がここまで嫌がるとは。相手は一体誰なのだろう、と考えた時に私の脳内には二人の人物が浮かんだ。
「もしかしてこれから会うのって犬吠埼さんか?」
「相手が咲枝ならこっちから出向くなんてマネはしないさ」
「確かに、相手が犬吠埼さんなら、君はむしろ意地でもこちらに呼び出しているだろうね。ということは、前に話していた君の身内か」
私の記憶が正しければ、官僚として政府に関係している人物だったはずだ。以前の「特区令嬢誘拐事件」の際には警察大臣を通して猫目石に事件解決の依頼をしてきた人物でもある。
「よし分かった、一分くれ、私もコートをとってくる」
猫目石は「どうぞ」と言わんばかりに肩を竦ませてみせた。私は大慌てで身を翻し、自室へととってかえした。
廊下を走ったせいか、私がコートをとってきて戻るまで一分もかからなかっただろう。扉を開けると猫目石が勢いよく飛び込んできた。そして彼女は私の手をとると、踊りだしそうなほど喜んでいた。無論、私が同行することに対してここまで喜んだわけではない。
「素晴らしい! 依頼人だ!」
室内を見るとテーブルの上には投げ捨てられたであろう電話が。どうやらつい今しがた依頼人からの連絡があったらしい。
「おい、約束の方はどうするんだ」
「待たせておけばいい! どうせ向こうから呼び出したんだからな。それよりも今は依頼人の方が優先だ」
「君をここまで喜ばせるなんて、よほど不可思議な依頼なんだろうね」
どうやら猫目石は完全に出かける気をなくしてしまったらしい。私はコートを脱いで、部屋の暖炉に火を入れることにした。依頼人が来るというのなら部屋を温めなくてはなるまい。
さて猫目石の言う依頼人が来たのはそれから二十分ほどたってからだった。呼び鈴が鳴らされ私が出ると、そこには一人の女性が立ちすくんでいた。彼女の肩は小刻みに震え、唇は真っ青だ。これは寒さのせいだけではあるまい。何か恐ろしいものを見たか体験したのだろうと私は直感した。私は彼女を暖炉で温めておいた応接室に案内すると、まずは落ち着いてもらおうと思い、コーヒーか紅茶を出すことにした。
「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」
「それでは紅茶をいただけますか」
女性は震えた声で、猫目石が推察した通りの注文を私にした。きっと今頃猫目石は満足げにニヤニヤとしているのだろう。私は紅茶を女性に出すと、その向かい側の席に腰かけた。女性は紅茶を一口飲み、息を整えるとようやく真っすぐに私の方を見てくれたのだった。
「ありがとうございます、それで、猫目石さんはいらっしゃいますでしょうか。私は、先ほど電話を差し上げた
おどおどとした態度で女性は名前を告げた。依頼人は真壁佳代という名前らしい。身長が女性にしてはやや高いが、すらりとした黒髪の美人だった。歳は二十代半ばくらいだろうか。怯えているという点を除けば特にこれといった特徴は見当たらない。
「先ほどはどうも。僕が当探偵事務所の所長、猫目石芽衣子です」
窓際にいた猫目石が振り返って得意げに自己紹介した。それに続いて私も自分の名前と、彼女の助手であることを告げた。すると女性は、やはり猫目石という変人に驚いたようで一瞬だけ目を丸くしていた。
「あんな身なりをしていますが、あれでも推理能力は確かなのですよ。きっとあなたの助けになります」
「いえ、失礼いたしました。その……猫目石さんが先生の本の描写よりも、大変可愛らしい印象だったものですから」
「可愛らしい?」
猫目石がぴくりと眉を動かした。彼女は「可愛い」や「小さい」と言われることを極端に嫌っているようで、きっとそれが常に男装をしている理由なのだろうと思うのだけれど、しかしこの目の前の依頼人はそれを堂々と言ってのけてしまった。しかしそれよりも私にとってはまず聞き捨てならぬことがあった。
「もしかして私の本を?」
「ええ、私、先生の大ファンなんです! 『特区令嬢誘拐事件』最高でした!」
「いやあ、まさか読者の方と直接会えるなんて思ってなかったなあ」
それも大ファンなんて言われてしまった。これは夢なのではないだろうか。そういえば目の前の女性が非常に愛しい存在に思えてきてしまった。
「いや、待て君、まずは僕が可愛いという点について聞こうじゃないか。たとえそこの真壁さんが百の理由を述べたとしても、僕は千の理由をもってそれを否定する用意があるぞ」
「まあまあ、いいじゃないか、猫目石。ささっ、真壁さん、どうぞもう少し火の側へ寄ってください。外は寒かったでしょうから。なあに、どんな事件でもこの名探偵・猫目石芽衣子に任せてもらえれば解決してみせますよ」
私はむくれる猫目石を無理やり引っ張ってきて真壁さんの対面に座らせた。私は猫目石の隣に腰かけると、事件記録をとるためのメモ帳を取り出した。そして真壁氏に話を始めるように促した。
「一体どこから話したら良いものなのでしょう……」
「安心してください、僕のところに依頼に来る人間は、大抵はどこから話したら良いのか分からない案件を抱えています。多少話がこじれても僕の頭脳ならば理解できますし、そこにいる助手の記録もあります。まあ、強いて言うならば時系列順に始めからお聞かせ願いたいものですが」
「分かりました」
真壁氏は記憶の順番をたどっているのだろう、数秒してからようやく事件の内容を語りだした。
真壁氏の依頼というのは朝の早い時間から訪ねてくるだけあって、少々緊急性を帯びたものだった。簡潔に言えば、正体不明の人物によって命を狙われているということである。彼女は若くして非常勤ではあるものの大学で教鞭をとる才女であったが、しかし数か月ほど前から何者かの視線を感じていた。それは生徒からのものではなく、無論、他の講師や教授陣からのものでもない。それどころかプライベートの時間でさえもその嫌な感触が続く始末であった。
「命を狙われていると思った根拠は何ですか?」
私が尋ねると、真壁氏は懐から一枚の紙切れを差し出した。そこには新聞やら雑誌やらの文字の切り抜きで「十二月×日、お前を殺す」と記されていた。
「×日、つまり金曜日ですな」
猫目石がにやりとして言うと、真壁氏は不安そうに頷いてみせた。
「流石は猫目石さんですわ。お二人もご存知でしょう、『金曜日の爆弾魔』のことを」
「もちろん存じ上げております」
「私、その脅迫状が来てから思い返してみたんですが、ニュースや新聞で報道されているこれまで爆破されてきた場所は、どこも私が行った場所なんです!」
「何ですって!」
私と猫目石は思わず顔を見合わせた。まさか我々の話題の中心にあったあの爆弾事件と、こんな形でかかわることになろうとは。
「犯人に心当たりは?」
尋ねると、依頼人は静かに首を横に振った。
「人生で誰の恨みも買うことなく済む人間など存在していません」
「ですが猫目石さん、自分を爆弾で殺そうとするほどの恨みを買った覚えはないのです」
「では、脅迫状が届いたのはいつです?」
「十一月の半ばくらいです。ちょうど最初の爆破事件のあとくらいでした」
「このことは警察には?」
「言いました。けれど偶然の一致だろうって」
「そりゃあそうです、警察とは希望的観測で推理していく連中ですから。けれど安心してください、この事件、僕が必ず解決してみせますよ」
「本当ですか? 犯人を見つけ出してくれるんですね?」
「お約束します。さあ、今日のところは帰った方が良い。いいですかな、脅迫状で指定された日までは外出をできるだけ控えてください。鍵をしっかりとかけるのもお忘れなく」
猫目石の言葉に真壁氏はコクコクと何度も頷いている。猫目石に促されて、私はそんな彼女を玄関まで見送った。そして応接間に戻ると、猫目石に尋ねた。
「相手は爆弾を持っているんだぞ、鍵なんかで大丈夫なのか?」
「犯人がただ彼女を殺すつもりならとっくにやっているよ。なぜその前に三件も爆破事件を起こし、脅迫状まで送ったと思う? ゲームのつもりなのさ!」
「猫目石、また悪い癖が出ているぞ」
無邪気に目を輝かせる名探偵に、私は毎度のことながら釘を刺す。こうでもしなければ、彼女がどれだけ不謹慎なことを口にするか分かったもんじゃない。
「さて、それじゃあどこから調べる? っと、その前に君の身内に会いに行かなくちゃいけなかったな」
「ああ、それなら後回しだ。どうやらもう一人、客があるらしい」
猫目石の視線は入口の扉に注がれている。つられて私もそちらを見ると、不意に扉がキィと小さく音を立てて開かれたのだった。
「いつから気付いていた」
それは大柄な男だった。身体の大きさもさることながら、その腕の太さたるや、へたをすれば猫目石の小さな頭と同じくらいあるかもしれない。
「さて君、問題だ」
猫目石がこちらを見ていたずらっぽく笑みを浮かべる。
「インターフォンを鳴らさずに家に侵入する男――依頼人か? それとも不届き者か? 推理してみたまえよ」
「推理するまでもなく、不届き者一択だろうね」
「珍しく意見が合ったな。さて不届き者君、君は誰かな」
猫目石が言うと、その怪しげな巨漢はふんと鼻を鳴らした。
「貴様のような素人探偵に名乗る名などないな」
「ああ、今の発言で大体分かった。名前は真壁、職業は警察関係だな」
その発言に私は思わず猫目石の方を振り返らずにはいられなかったし、驚いているのは巨漢の方も同じようで、一瞬だけその鋭い目を丸くしていた。
「真壁って、さっきの」
「ああ、真壁佳代氏の父親だ」
「なぜ分かる」
「真壁さん、あなたさっきタクシーでここまで来ましたね?」
真壁と呼ばれた巨漢は答えない。しかし私にはこれまでの経験で分かることがあった。こういった状況での沈黙は肯定を意味しているのだ。
「なぜそれをと考えているのかもしれませんが、簡単なことです。僕は先ほどまで窓の外を見ていました。最初の依頼人が来てから我が家の前を通ったのはタクシーが一台だけでしたからね。真壁佳代氏もタクシーでここを訪れた。しかし相当朝の早い時間に家を出てきたに違いありません。そんな彼女を尾行できる人物といえば、同じ家に暮らす人間以外にいませんよ。すると父親か兄だが、まあ、年齢を考えれば明らかに父親の方でしょう」
「……」
沈黙を続ける真壁氏の代わりに私が尋ねた。
「警察官だっていうのは?」
「君、あれも実に簡単なことなんだよ。彼は僕に向かって『素人探偵』と言ったじゃないか。さて、君の個人的な統計で構わないが、僕たちのことをそんな風に呼ぶ巨漢は、どの職業に多かったかな」
「ああ、なるほど、そりゃあ確かに警察関係者だな」
まあ、それは猫目石や私が事件現場で我が物顔で振舞っているからでもあるのだろうけれど。
猫目石は尚もふんぞり返りながら続ける。
「さて真壁さん、それでご用件は何ですかな」
「今更隠す意味もなかろうが、いかにも俺は真壁佳代の父親だ。だから娘の問題は俺が解決すべき問題でもある」
「つまり我々に手を出すな、と?」
「その通りだ。そして改めて忠告しておくが、貴様らは所詮は素人探偵だ。事件を調査する権利など何一つ持っていない」
「それは警察官としての忠告ですかな、それとも父親として?」
「両方だ」
真壁氏はそう言うとずんずんと私たちの方へ歩を進め、そして暖炉の側に備え付けていた金属製の火かき棒を手に取ると、ぐにゃりと、まるで飴細工か何かのように折り曲げてしまった。
「もしも手を出してみろ、ただじゃおかんぞ。こんな風にな。俺は前の戦争で何人も殺している。今更、貴様ら程度、殺すのに何を躊躇うというのだ」
いとも無残な姿になった火かき棒が放られ、私たちの足元に転がった。
真壁氏は我々の反論など聞く耳を持たぬというようで、こちらが追い出すまでもなく、脅迫するだけ脅迫するとさっさと部屋を出て行ってしまった。
残された私は肩を竦ませてみせた。
「やれやれ、どうやらあの男性も、我々と同じく軍出身の人間らしいな」
「今時人殺し程度で威張られても困るな」
軽口を言いながら猫目石は足元の火かき棒を拾い上げた。そして両腕に思いきり力を込めてその金属製の棒を引っ張った。が、やはりびくともしない。あの真壁氏の怪力だけはまさに驚異的なものだということだろう。
「ふん、人殺しの脅迫よりも火かき棒がない方がよほど重大な問題だ。君、悪いがちょっと買いにいってくれたまえよ」
「そんなことをしなくても、猫目石」
私は猫目石からすっかり曲がってしまった火かき棒を受け取ると、今しがた彼女がやったように両腕で力を込めてみた。するとかなりの力は要したが、何とか火かき棒を元通り真っすぐに戻すことに成功した。
「こうすればまだ使えるだろう?」
「いつの間に鍛えていたんだ」
「君が昼間寝ている間に鍛えた。最近、ジムに通い始めてね」
「それじゃあ、特に問題はないな」
「暖炉はな。真壁佳代さんからの依頼はどうする」
「調べるに決まっているじゃないか!」
「そうだと思った」
私は脅迫のことなどまったく気にしていない様子で部屋を飛び出す猫目石を追いかけた。
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