「最大の敵さ」
依頼のあった「金曜日の爆弾魔」についての調査をするにあたって、私たちはまずとある喫茶店を訪れていた。旧首都と新首都のちょうど間くらいに位置していて、「沈黙」という一風変わった名前の店だ。住宅街の一角に唐突に現れたその店は喫茶店と呼ぶにはやや大きめの建物である。外装は基本的に洋風なのであるが、ところどころアジアや南米を思わせる装飾が施されており、多国籍、というより無国籍な店という印象を受けた。
入口のドアを開けると、二人の女給がにこやかに出迎えてくれた。それぞれ赤を基調としたエプロンと、青を基調としたエプロンをかけているが、その顔つきは瓜二つで、二人が双子であるということは一目瞭然であった。
「あら、猫目石様でありませんか」
「相変わらず小さくて可愛らしい猫目石様ではありませんか」
からかうようにそんなことを言う女給に対して猫目石も何か反論をするのかと思われたが、しかし予想外なことにそれはなかった。店員に名前を憶えられている点からも考えて、どうやら彼女はこの店には何度か足を運んだことがあるのだろう。
会議室ほどの広さの店内は、実に不思議な空間であった。まず流れている曲からして聞いたこともないようなものである。イメージするのは南米の部族が簡素な楽器で奏でているような、そんな曲である。店内には喫茶店らしいものが、ある意味で一つもなかった。カウンター席もなければ、レトロなピアノも置いていない。その時にいた客は全部で十人ほどであるが、奇妙なことに誰も彼もが何とも形容しがたい面妖な服を着ていたり帽子を被っていたりしている。彼らは室内にまるで法則性を持たずに点在するテーブルで何人か集まり、立ったままコーヒーやら紅茶やらを飲んでいる。私はさながら不思議の国に迷いこんだアリスの気分であった。
「猫目石、この店は……?」
私は思わず彼女にそう尋ねていた。この店は一体どんな店なのか、と。何の用件があってこの到底理解できそうもない、ある種芸術的すぎる空間に私を連れてきたのか。
「あらあら、そちらにいるのはもしかして猫目石様の助手の方ではありませんか?」
「『特区令嬢誘拐事件』を書いた方ではありませんか?」
双子の女給が同時に私の顔を覗き込んだ。異様な雰囲気に呑まれていた私は思わず身じろぎしてそれをかわしてしまったが、どうやら嬉しいことにこの二人も私の本を読んでくれた読者ということらしい。
「猫目石様の知人であれを読んでいない人はいらっしゃいませんわ」
「何せここには猫目石様の一番の大ファンがいらっしゃるんですもの」
二人の話によるとその一番の大ファンという人が、ことあるごとに私の書いた本を宣伝しているという話だった。実に嬉しい話ではあるが、その反面、私以上に猫目石に詳しく付き合いがある人間がいるのかと思うと、何やら複雑な気分だった。
「あれが僕のファンだと? 冗談はよしてくれ」
「ファンは大切にすべきだぞ、猫目石」
「あれがファンなものか」
「じゃあ何だっていうんだよ」
「敵だね」
「敵?」
「それも
猫目石は心底嫌そうにしかめっ面をしている。彼女に好かれる人間というのは確かに限りなくゼロに近いだろうが、しかし同時に彼女にここまで嫌われる存在というのもかなり稀少だろう。一体どんな人なのだろうと、私はむしろその相手のことが気になるようになってきた。
「なあんだ、猫目石様、今日は私たちに会いに来てくれたわけじゃないんですね」
「僕がこれまで君たちに会うためにわざわざ足を運んだことがあったか?」
「たまには会いに来てくれないと寂しいですわ」
「僕が知ったことか。それよりも、あいつはいるんだろうな?」
猫目石の問いかけに双子の女給はまるで面白いものを見るようににやりと笑って答える。
「はい、
「午前五時から猫目石様をお待ちしていらっしゃいますわ」
促されるまま店内を進み、奥の階段に向かっていく猫目石を私も追いかける。
「猫目石、まるで異世界にでも来た気分なんだが、少しは説明してくれないか」
「ここは変人が集まる店で、僕たちはこれから事件調査の前に野暮用を一つ片づけなくてはならない」
「君の身内に会うって話?」
「あんなのが身内ってだけで吐き気がするよ」
「君にそこまで嫌われる人間も珍しい。一体どんな人なんだい?」
「会えば分かる。言っておくが、余計な口出しはするな。基本的な話の流れは僕に任せてくれればいい」
「ああ」
猫目石芽衣子はしばしば意味の分からない指示を出すことがあるが、しかしそれらは大抵後になって重大な意味を持っていることが多いので、私は指示には迷わず従うようにしている。彼女の頭脳に任せておけばそう悪いことにはなるまい。私は彼女の鋭い頭脳をさらに研ぎ澄ませるための砥ぎ石になれればそれで良いのだ。
喫茶店「沈黙」の二階は真っすぐな短い廊下で、その脇に扉が一つだけあった。猫目石はノックもせずにその扉を勢いよく開け放ち、ずんずんとまるで我が物顔で侵入していく。私もそれに続いた。
「来るのが遅いですよ、芽衣子」
「随分と待たせてしまったようだな、一時間くらいか?」
「六時間です」
「非常識な時間に呼び出すお前が悪い」
「あら、まさかあなたに常識を問われるとは思いもよりませんでした」
少女が小さくくすりと笑ってみせた。
猫目石が毛嫌いするからどんな魑魅魍魎がいるのかと身構えていたが、驚くことに、そこに存在していたのは一人の少女だったのだ。歳は明らかに私たちよりはるかに下で、下手をすれば十代くらいに見える。大きな目、長い睫毛、小さな手足と顔、雪のように白い肌、そして仕草の一つ一つ、どこをとっても美少女と呼ぶに相応しい容姿で、何より特徴的なのは彼女が戦前に流行ったようなロリータ衣装を身にまとっていたことである。そのまるで人形のような美しさと衣装の特異さが、この場の異世界感をより一層強いものに演出していた。
「君、何を突っ立っているんだい」
思わずその少女に見惚れていた私は、猫目石の肘が鳩尾にめり込んで、ようやく我に返った。まるで魔法にかけられたような気分であった。
少女がその可愛らしい声で私の名前を呼んだ。
「いつも芽衣子がお世話になっております。先生の御本、大変興味深く読ませていただきました」
「ああ、いえ、その、読んでいただけて光栄であります」
「先生とは一度お会いして話してみたいと思っていたのですよ。ところが芽衣子ったら、どれだけ催促してもまったく紹介してくれないんですもの」
私が猫目石を見ると彼女は知らん顔をしていた。どうやらこれまでも召喚があったらしいが、全て断っていたらしいのだった。
「芽衣子との共同生活は大変ではありませんか? この子は非常に気難しいところがあるでしょう?」
「ええ、おまけに偏食家だし部屋は片づけないから荒れ放題、苦労は絶えません」
「まあ。何かお困りのことがありましたらいつでも連絡してくださいね」
「君、絶対に連絡するなよ。これは命令だ」
猫目石がすごい顔でこちらを睨んでいた。私は少女にこう返した。
「お気持ちはありがたいのですが、苦労にはもう慣れましたよ。慣れないのは彼女に巻き込まれる冒険の数々の方です」
「辛いのならあなたを巻き込むのを止めさせましょうか」
「いいえ、慣れないということは、飽きないということでもあります。私はむしろ感謝しているのですよ。猫目石は確かにわがままですけれど、しかし彼女がいるから私はこれまで退屈せずに暮らすことができた」
私が猫目石と同居をしてから一年以上が経過するが、彼女と共に巻き込まれた事件は数知れず、中にはとてもではないが人間離れしている犯罪も存在していたが、名探偵・猫目石芽衣子はそのことごとくを看破してみせた。この数々の冒険、そして猫目石芽衣子の活躍は、私の人生においてこれ以上ない刺激を与えてくれたものだったのだ。
そのような意見を述べると、さしものその少女も面食らったようで、一瞬だけ目をぱちくりとした。猫目石がコホンと咳払いを挟んで、話を本題へと戻す。
「それで、こんな早朝に僕らを呼び出した用件は何だ」
「金曜日の爆弾魔」
唐突に告げられたその名称に、私たちの間に緊張が走る。
「知っているわね?」
「もちろん。ただしニュースや新聞で報じられている程度だがね」
「その犯人を捕まえて欲しいの」
「断る」
即答だった。しかし問題はその答えの内容だ。つい先ほど真壁佳代氏に依頼された時はあんなに乗り気だったのに、なぜ断る?
「自信がないのかしら」
「煽っても無駄だ。僕の推理によると犯人は個人で、しかも女だ」
「推理って、その程度で本気で言っている?」
少女がいたずらめかした笑みを浮かべて、そして次に視線を私の方へ向けた。
「この子、いつもこんな風な当てずっぽうな考えをしているの?」
「いえ、当てずっぽうというわけでは……猫目石はきちんと根拠を持って意見を述べていると思いますよ」
「犯人が個人という点はそうね。でも女性だっていう点は、ほとんど芽衣子の勘でしょう」
「それは……」
反論ができない。事実、猫目石は爆弾魔の正体を推理した時に「個人的な勘」で犯人が女性だと言っていたのだ。これまでの活動で彼女の勘が外れることはまずなかったが、しかし根拠がないのも確かだ。
「犯人が個人であるという根拠は七つある。そして女だっていうのには、そこの助手には話していないが、三つの根拠があって言っている。当てずっぽうではない」
猫目石が反論したが、目の前の少女にはまるで効いていないようで、呆れたように肩をすくませてみせた。
「犯人が個人であるという根拠は十二個あり、そして女性であるという根拠は五つありますよ。もっと物事を深く考えなさい、芽衣子」
「それはお前が政府関係者しか持ちえない情報源があるからできる推理だろう。僕は、」
「あなたと同じく新聞やテレビからの推理です。政府の情報からの推理を含めれば、個人である根拠は二十一、女性である根拠は十三にまで増えます」
「むぅ……」
さしもの猫目石でもこれには反論ができないようで、押し黙ってしまった。私はやはりやや複雑な気分だった。猫目石には普段さんざん馬鹿にされているから、彼女が論破されて気持ちが良い反面、彼女の推理能力を一番間近で見ていたのは私であるから悔しいような気持ちもあった。
「あの、お言葉ですが、そこまで分かっているのならなぜご自分で犯人を捕まえないのですか。あなたには部下だってたくさんいるのでしょう?」
「私にも立場がありますから。政府を初め、各種警察組織はこの爆弾魔をテロリズムの一つととらえています。個人の思考による犯行だと見破っている者はごくわずかでしょう」
「しかし大臣すらも動かしたあなただ、今からでも方針を転換されてはいかがでしょう」
「ことはそれほど簡単ではないのですよ。確かにできる、できないで言えば、捜査方針を変えることはできます。けれどもそれによって現場は大パニックを起こすでしょうね。民衆は皆私のように賢くはありませんから」
ああ、なるほど、これは確かに猫目石の身内だ。良く言えば自分の知性に誇りを持っている、悪く言えば極端な自信過剰からくるエゴイズム。できることならこの少女の部下と一杯呑みたい気分だった。きっと恐ろしいほどにウマが合うだろう。
「何を言われても無駄だ。僕はこの仕事を受けない」
「なぜ? あなた好みの事件であるように思うけれど」
「他に抱えている事件がある」
「断りなさい。こちらの案件には大勢の命がかかっています」
「命を数字としか考えていないやつがよく言うよ。いいかい、君」
猫目石が唐突に話をこちらに振った。
「こいつが捜査をしないのは単に出不精だからだよ。それに選挙の準備で忙しいからだ」
「選挙?」
「都知事にスキャンダルがあっただろう。あれが原因でまた政治家がすげ変わるのさ」
「まったく、あの手の話は勘弁してほしいものですけれどね」
少女が答えた。
「上の政治家がどれだけ替わっても官僚制がある限り国の方針なんて変わらないのに。余計な事務仕事が増えるだけですよ」
「選挙が余計な事務仕事ですか」
「そんなものよりはるかに大切なものがありますから」
まったく悪びれることなく、少女はそう言ってのけた。大局を見据えた冷徹さというのは猫目石も持っているものだが、しかしこの目の前の可憐な少女は猫目石より遥かに冷たい考えを持っているようだった。
「話はそれだけか? 他にないのなら僕はもう帰るぞ。仕事が立て込んでいるからな」
「ああ、それともう一つだけ。芽衣子、今年のお正月は家に帰りなさいよ。お父様もお母様もあなたに会いたがっているわ」
「さてね、仕事が片付いたら出向こうかな。君、もう行くぞ」
猫目石が私の腕を掴んで部屋の外へと引きずり出そうとした。
「口で何と言おうと、あなたは金曜日の爆弾魔を捕まえるわ」
そんな言葉が背中から聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます