10:お別れの日
第7宇宙歴124年/ 9月11日/ 雨
朝起きると、キャシーが泣いていた。
理由を聞いても答えられないほど、酷い泣き方だった。
それに戸惑っていると、キャシーの父親が「一緒に出かけよう」と私とキャシーに車に乗るように言った。
キャシーだけでなく、彼女の父親の命令は絶対だ。
なのに私は生まれて初めて、命令を聞きたくないと思ったしまった。車に乗ったら、何かとても悪いことが起きる気がしたのだ。
でも私は「はい」と言うしかない。
アンドロイドらしくない自分の反応と、泣き続けるキャシーに戸惑いながら、私は結局車に乗りこんだ。
■■データ破損につき■■一部■記録の欠落■がみられる■■
キャシーの父親が連れてきてくれたのは、機械型生命体の研究をする施設だった。研究所はコロニーの最深部にあり、とても大きくて綺麗な建物だった。
施設に着くと、出迎えてくれたのはレイン中佐だった。その傍らには、学校で共に警備に当たったジョン兵長とダン兵長の姿もある。
久しぶりだと挨拶をしたかったのに、三人の顔を見たら声が出なくなった。
レイン中佐は苦しげなしかめ面で、二人の兵長は目を真っ赤にして泣いていたのだ。
その顔を見た瞬間、やはりとても悪いことが起きたのだとわかった。
「……君たちに会って欲しい人がいる」
レイン中佐の声に「いやです、怖い……」とキャシーが泣きながらこぼした。
倒れそうになる彼女を抱き支えながら、私もまた嫌だと言いたくなった。
私達がその人に会いたくないと思ってしまったのは、それがウェイン中佐だと察したからだ。
昨日はもう一度会いたいと思ったのに、今は顔を見るのがとても怖い。理由はわからないけど、ただただ怖かった。
けれど帰ることも出来ず、私とキャシーは研究施設の奥へと進んだ。
「レオナードは、事故に遭ったんだ」
道すがら、レイン中佐はウェイン中佐が遭った事故について説明してくれた。
「実験中の事故だった……。レオナードは、機械型生命体の『意思』を完全に消す実験の被験者だったんだ。先日世間に発表された研究成果は、全て彼のおかげだと言っても過言ではない」
約半年の間、ウェイン中佐はこの施設で様々な実験に協力したらしい。
でも実験は、生やさしいものではなかったのだと、レイン中佐は告げた。
強化人間であるウェイン中佐にしか耐えられない、苦しくて辛い実験を何百回何千回と繰り返して、ようやく機械生命体の意思を消す方法は編み出されたのだ。
「だが実験を重ねたせいで、彼の脳は壊れてしまったんだ」
実験をしたのはレイン中佐のはずなのに、彼の声はひどく辛そうだった。
「脳の修復自体は無事終わった。そして記憶と記録も修復できているはずなんだが、意識が戻らない。そして意識が戻らないと、機械型生命体の意思は消せない」
そのせいで、実験に協力したウェイン中佐は、今や人類の脅威なのだとレイン中佐は言った。
「レオナードより先に機械型生命体の意思が目覚めたら、彼の体はあっという間に乗っ取られてしまう。その上度重なる実験で、あいつの体は人間どころか普通の機械型生命体よりもずっと強くなってしまった」
そんな彼がもし身体を乗っ取られたら誰にも止められないのだと、レインは目を伏せた。
「今日中に目が覚めなければ、彼は処分される」
レイン中佐の説明を聞いて、私とキャシーが呼ばれた理由がようやく分かった。
「私達は、ウェイン中佐にお別れをするために呼ばれたんですか……?」
レイン中佐は肯定せず、代わりに小さな病室の扉を開けた。
真っ白で無機質な病室の中央で、彼は眠っていた。
記憶の中と同じ、穏やかな顔をしていた。
今にも目覚めそうなのに、キャシーが彼の名前を呼んでも、身体を揺さぶっても、微動だにしない。
何だか怖くなって、私は彼の体をそっとスキャンした。
「……ひどい」
彼の体はもうほとんど、人間の部分がなかった。
血液も骨も筋肉も全てが機械だった。
かろうじて見た目は人の状態を保っているが、ダンスに誘ってくれた右手の一部は鋼の皮膚に変わり始めている。
アンドロイドだって、ここまで機械に侵食されている物はいない。むしろそういう固体がいたとしたら、処分されてしまう。
だからきっと、こうなってしまったウェイン中佐は処分されても仕方がないとわかる。機械に近づき過ぎた人間は処分される運命だ。それが、ルールなのだ。
――でも、そんなルールがなくなってしまえばいいのにと、思わずにはいられなかった。
「助けられないんですか?」
レイン中佐に尋ねると、彼は私をじっと見つめた。
彼は答えを口にしなかった。
でも彼に見つめられた瞬間、私の脳裏に優しい声が響く。
――ジル
私を呼ぶ声は、ウェイン中佐のものではなかった。
似ているし、同じ声なのに、それは彼の物ではない。なら誰の物だろうと考えたとき、もう一度あの優しい声が私を呼ぶ。
――――ジル
何度も何度も、頭の中で私の名を呼ぶ声がした。
同時に笑顔が浮かび、私はあっと声を上げる。
「レオ」
口から彼の名前がこぼれると、私はウェイン中佐とよく似た笑顔の正体を、ようやく思い出す。
――彼は、私の大好きなレオだ。
思い出した途端、私の頭の奥が熱を持ち、激しく痛んだ。
そしてその痛みが、私がこの場に呼ばれた本当の理由を教えてくれる。
「目が覚めたら……彼は処分されずにすみますか?」
私の言葉に、レイン中佐はようやく頷いた。そして苦しげな顔で「すまない」とこぼした。
――お別れをするのは彼ではない。私なのだ。
「……目が覚めないのは、修復されていない記憶があるからだと思います。それを直したら、きっと助けられます」
横たわる身体に近づき、私は彼の手を握った。
覚悟を決め、私はレオとの記憶を強引に引き出す。私自身が壊れないようにと、深く深く隠されていた記憶を全て、ひとつ残らず、引き出していく――。
そして昨日、彼が繋いだ通信回線にもう一度呼びかける。
『レオ、応答して下さい。レオ』
その名を呼べば、断たれていたはずの通信が繋がった。
声はなかった。でも彼は、私を待っている気がした。
きっと彼は、私の声が聞きたくて無意識に通信を送ったのだろう。倒れたのは何週間も前だと言うし、今の彼が身体の機能を自由に使えるとは思えない。
それでも私と繋がろうとしたのは、きっとまだ私を好きでいてくれたからだ。
好きだから、こんな時でも彼は私を求めてくれたのだ。
ならば自分の全てを彼にあげようと、私は決める。
『レオ、私全部思い出したんです』
彼と自分の額を合わせ、繋がった通信回線を用いて少しずつ記憶を移す。
記憶を引き出すにつれ、頭の痛みは増した。
多分、私が抱いてはいけない感情もまた蘇ってしまったせいだろう。
私はウェイン中佐が――レオが好きだった。
でもその感情は、絶対に抱いてはいけない物だった。
キャシーの命令は今も壊れかけのまま残っていて、それが私の感情を消そうと脳に負荷をかける。
――けれど今、それを止めるわけにはいかなかった。
「……ジル……」
記憶を移していると、懐かしい声が側でこぼれた。
そっと目を開けると、彼の美しい瞳が目の前にあった。
「……ジル、だめ……だ」
彼は私がしようとしていることを見抜いていた。
だからあの日のように止めようとした。
「いいんです。こうさせてください……」
出会ってからの幸せな記憶を、私は彼の中に送り込む。
それによって、レオが元々持っていた記憶が蘇り、修復され始めたのだろう。彼の目に愛情が戻り、繋いだ手に少しずつ力が込められる。
「ついに、約束を果たせます」
手を繋いで、私は微笑んだ。
彼が見たいと言ってくれた笑顔を、ついに浮かべることが出来た。
「レオ、大好きです」
その言葉があれば、彼は機械型生命体にも勝てると言った。
そして彼は、勝った。
少しずつ、レオが人間に戻っていくのがかわる。私が大好きだったレオに、戻っていくのがわかる。
「俺もだ。誰よりも君が好きだ」
彼の言葉を沢山保存したかったのに、私の脳はもう限界だった。
薄れゆく意識を賢明につなぎ止めながら、私はゆっくりと目を閉じた。
「頼む……行くな……ジル……」
レオが、私の身体に触れる。それだけで、私はとても幸せだった。
――壊れるまで、あと56秒。
レオが私の名前を呼んだ。
――壊れるまで、あと32秒。
レオが私を強く抱き締めた。
――壊れるまで、あと24秒。
レオが私にキスをしてくれた。
――壊れるまで、あと16秒。
レオを忘れたくないと、強く強く願った。
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