07:痴話げんか

第7宇宙歴123年/ 10月14日/ 快晴



 レオとの記録があまりに膨大になってきたので、私はそれらを整頓することにした。

 より取り出しやすく、消失しにくい場所に彼との記憶を複製もしておこうと思ったのだ。


「俺との記憶を後生大事に保存し直すなんて、君は本当に俺が大好きなんだな」


 記憶領域の書き換えには時間と負荷がかかるため、私はかれこれ1時間ほどレオに身を預けたままじっとしていた。退屈しそうな物だが、レオはむしろ嬉しそうに私を抱き締めてくれている。


「大好きなのは、困りますか?」

「いや、もの凄く嬉しい」

「嬉しいということは、レオも私が大好きなのですか?」


 尋ねると、レオが「うぅ」とか「あぁ」とか唸りながら私の髪に顔を埋めた。


「そういうこと聞いてくるところが凄い好きだし可愛い」


 凄い好きだし可愛い。

 凄い好きだし可愛い。

 記録した。


「なあ、やっぱり恋人になろう。いやむしろ、いっそ結婚しよう! 君のご主人は自由恋愛推薦派なんだろ?」

「キャシーなら止めないとは思いますが、結婚は出来ません。私は物ですから、人の伴侶にはなれません」

「確かに法律上は無理だが、一緒に暮らしたりとか」

「仕事があるので無理です」

「俺が大好きな割に、ジルは意外と頑固だよな」

「事実を述べているだけで、頑固なわけではありません」


 結婚というのは、人と人がするものだ。でも私は物だ。

 側に置きたいなら所有権を得るしかないが、私はキャシーの物。そして彼女は私の永続的所有権を保持している。

 だから結婚も、一緒に暮らすのも、無理なものは無理なのだ。


「でも少しくらい、俺とずっと一緒にいたいと思った事ないのか?」

「ないです」

「じゃあ今考えてみてくれ」


 考えてみた。


「ボンボンかつ強化人間であるレオが、私を所持する利点が見当たりません。私は戦闘型のアンドロイドなので家事は不得意ですし、機械型生命体との戦争が終わった今、活躍の場の限られた私はレオの預金口座に潤沢な金銭を振り込めるほどの仕事も出来ませんので」

「だからボンボンじゃねぇよ。それに俺は、その手の利点をジルには求めてない」

「他の利点というと、性処理ですか?」

「そこは否定しねぇが、それよりも君とずっといっしょにいて、ずっこけハム二郎三世の話をしたり、君が顔をぎゅっとするところを一番側で見ていたいって気持ちの方が強い」

「それが、利点になるのですか?」

「利点になるんだよ、ジルが好きな俺にとっては」


 彼の言葉を理解しようと努めたが、私の欠損した脳ではそれは難しかった。

 それを、レオもすぐに理解したらしい。


「君には少し、難しい考えだったか」

「難しいです」

「なら、しかたないな」

「私は、あなたをがっかりさせましたか?」

「いや、がっかりしたのは自分にだ。自分が、こんなにも欲深くなるとは思ってなかったからな」

「欲深いとがっかりなのですか?」

「欲深さとは無縁のドライな男でいたかったんだ。でもそうなりきれない自分に、がっかりしたというか」


 やはりレオの言葉は、私には難しい。

 でもそこでふと、私は気づく。


「ドライな男でいれないのは、私が側にいるのが原因ですか?」

「まあ、そうともいえる」

「だとしたら、私は邪魔ですか?」

「邪魔だなんて思ってない!」

「ですが私は、レオがなりたい自分になるのを邪魔している気がします」


 そして邪魔になった物は、いずれ捨てられる。


 今まで、私は何度も何度も誰かに捨てられてきた。

 私はいつも不完全で、誰かの期待を裏切り『必要がない』とすぐ言われてしまう。


 なのに、どうしてレオに捨てられるという選択肢が今まで浮かばなかったのだろう。

 それを不思議に思いながら、私は記憶の保存作成を一時中断した。


「お世話になりました」

「待て、どこへ行く」

「手間を取らせるのは嫌なので、自分で出て行きます」

「誰が捨てると言った!! 俺は絶対にお前を捨てない」

「絶対などあり得ません」

「あり得ることもある」


 いつにない真面目な顔で、レオは私を腕に閉じ込めた。

 でもそうされると、私は彼の元から離れられない。


「放してください」

「嫌だ」

「放してください」

「だから嫌だ!」

「なら、仕方がありません。実力行使に出ます」

「おいっ、待――――!」


 レオが離れる気配がなかったので、私は問答無用で彼の腕をひねり上げた。

 それだけだとすぐまた縋り付いてきそうだったので、レオの身体を勢いよく持ち上げると、そのまま窓の外に投げ飛ばした。


 ガラスが割れる派手な音が響いた後、レオの身体が4回下のゴミ箱にぼふっと落ちる音がする。


「よし」

「よしじゃねぇよ!! 何してんだこらああああああああああああ!!」


 だがその直後、怒鳴り声と共にレオの身体が割れた窓から飛び込んでくる。


 あまりの早業に、少し驚いた。


「5分ほどは意識を失うと思ってたのに」

「それが分かってて、君は俺を外に投げ飛ばしたのか?」

「強化人間はそれくらいで怪我はしないでしょう? それにレオが腕を放してくれる気配がなかったので」

「気配がないならそのまま抱き締められてろ」

「それは無理です、私は捨てられないといけない存在なので」

「捨てない!」

「だめです、捨てて下さい」

「ぜってぇ捨ててやらん!!」


 言うなり、レオの右眼が赤黒く光る。どうやら強化人間の能力を使う気らしい。

 

「言葉で分からないなら物理的に教えてやる」

 

 目にもとまらぬ速さで私を抱き締め、レオは得意げに笑った。

 レオの力は恐ろしいほど強かった、彼より機械の部分が多い私でさえ、びくともしない。


「今日はこのままずっと、ぎゅっとしてやる」

「駄目です」

「だめじゃない。俺は捨てないって理解するまで、家にも帰さない」

「だめです、今夜はパーティの付き添いの仕事があるのに」

「パーティ!? お前のご主人はそんなところ行くのか!?」

「はい、なのでその付き添いに」

「ドレスアップするのか」

「しますけど」

「なら余計に放さん。綺麗なジルは、他の男には見せたくねえ」


 絶対放さないと意地になるレオは、子供のようだった。


 そんなレオを見ていると、何故だか先日キャシーに見せられた子猫の映像が脳内に浮かんだ。

 大好きな飼い主と離れたくなくて、ニャーニャー鳴きながら足に縋り付く子猫を見た時に感じた甘くて優しい感覚が、何故だか蘇ってくる。


「レオは、子猫だったんですね」

「意味が分からん」


 説明を求められたが、言語化するのは難しい。

 ただ猫を見た時の甘くて優しい感覚は消えず、レオの腕の中にいることへの抵抗も少しずつ減っていった。


「レオは、本当に私を捨てませんか?」

「捨てるわけないだろ」

「……わかりました」

「本当か?」

「はい、レオは私を捨てないと理解出来ました。だからそろそろ腕を放してください」

「嫌だ、放したらパーティ行くんだろ」

「仕事ですので」

「仕事と恋人だったら恋人を優先しろよ」

「その台詞、前に見た映画では女の子が言ってました」

「女々しい自覚はあるし、いい歳のおっさんが言う台詞でもないのはわかってる……。でもこれくらいごねないと、君には届かないだろ」

「ごねられても聞き届けることはありませんよ?」


 だから失礼しますと言って、私はリミッターを解除しレオの身体をもう一度外へと放り投げた。

 今度はかなり強めに投げたので、あと24秒はかえってこないだろう。


 そしてその隙に、私はレオの家を素早く後にした。


 その数分後、「もう君を怒らせるのはやめるから、明日もちゃんと家に来てくれ」というメッセージがレオから届いた。

 別に怒っているわけではないし必要だから投げただけなのだが、その後もレオからは「反省してる」というメッセ―ジが何度も届いた。

 必要だったとは言え、窓からレオを投げた自分の方が反省すべきな気がしたが、正しい対処の方法が私にはわからない。


 だからキャシーに助言を求めると、「こういうときはスルーで良いの! 喧嘩の時は男が折れるまで待つのが基本よ!」と言われた。


「これは、喧嘩なのですか?」

「世に言う痴話げんかね」

「喧嘩は、してはいけないのでは?」

「痴話げんかっていうのは、イチャイチャの延長みたいな物だからいいのよ」


 だとしたら、確かに問題ないのかもしれない。

 レオはイチャイチャが好きだし、実は窓から投げられたことを喜んでいたのかもしれない。


「だからジルも、時々は痴話げんかすると良いわよ」

「わかりました、がんばります」


 レオが喜ぶなら、明日もう一回彼を窓から投げてみよう。

 そうしたらきっと、彼は今よりもっと私を好きになってくれるに違いない。

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