12:小さな異変

第7宇宙歴123年/ 11月2日/ 快晴



 レオと、一緒の家で寝起きするようになって3日目。

 今日は仕事がないらしく、レオは朝からリビングのソファに座ってぼんやりしている。


 それを2時間ほど眺めていたとき、ふいに彼が小さく咳き込んだ。

 最初は小さな、しかし次第に大きくなっていく咳が気になって、私は彼の隣にしゃがみ込む。


「ごめん、ちょっと……漫画でも読んでてくれ……」


 でも私がレオの様子を調べるより早く、彼は突然バスルームへと駆け込んだ。

 更に激しくなる咳が気になり後を追えば、レオは洗面台に深く顔を突っ込んでいる。


「レオ?」

「悪い……平気…だ……」


 彼は言ったが、顔色は酷く悪い。

 そしてレオの唇と白い洗面台が、赤く濡れていることに私は気づいてしまった。

 たぶんそれは、血液だった。

 途端に私は不安でいっぱいになり、レオにかけよる。


「レオは何かの病気なんですか?」


 尋ねると、彼は静かに首を横に振った。


「強化人間にありがちな【反動】だよ。昨日久しぶりに、仕事で身体を酷使した所為だ……」

「レオのお仕事は、身体に負荷がかかるほど大変な物なんですか?」

「いや、昨日のは仕事と言うよりある種のテストだったんだ。だからいつもより身体を酷使したけど、普段は事務仕事ばかりだよ」

「本当に?」

「ああ、それにテストも普段はしない。……ただ、先日俺の同期が一人死んでな。同じ時期に強化手術を施した兵士を集めて、色々と調べられた」


 血で汚れた洗面台を水ですすぎながら、私に説明してくれる口調はしっかりしていた。

 顔色も戻っているところをみると、確かに一時的な反動であるのは間違いないらしい。


 身体の大部分を機械化したアンドロイドと違い、人間の部分が多い強化人間は耐久性が低い。機械型生命体の力を使うと肉体に負荷がかかり、身体に不調が出る場合も多いのだ。

 身体に寄生させる機械型生命体が強ければ負荷は軽くなるが、強いものを身体に入れる者はまずいない。

 寄生させた機械型生命体の意思が封印しきれていなかった場合、強い機械であればあるほど精神を破壊され肉体の主導権を奪われる可能性が高くなるからだ――と、前に整備士のミカエルが話していた。

 

 それでも、強化手術によって得られる力は凄まじく、戦時中はほとんどの軍人が手術を受けた。そしてたぶん、レオもその一人なのだろう。


「そんな不安そうな顔するな。もう元気だよ、ほら」


 明るく笑って、レオが私を抱き寄せる。

 胸に耳を押し当てれば、彼の呼吸も心音も正常だ。


「レオには、ずっと元気でいて欲しいです」

「元気だよ。負荷も少ない方だし、今のところ俺に寄生してる機械型生命体の意思が目覚める兆候もない」


 レオは笑ったが、私は彼の言葉に同意できなかった。


「でもこの前、レオの目が……」

「誕生日の日か?」

「はい。あの日……レオはおかしかったです」

「あの日は少し、精神が不安定だったんだ。心が弱くなると、機械型生命体を押さえ込む力が弱くなるらしいし、きっとそのせいだ」

「初耳です」

「確証のある理論ではないらしい。でも、どこかの研究論文にそう書いてあった」


 レオが言うには、機械型生命体の意思が目覚めたとしても、宿主の心――精神力が強ければ押さえ込むことも可能らしい。

 逆に宿主の精神力が弱った際、それを察知して目覚める機械型生命体も多いという。


「俺はメンタルが強いから、大丈夫だ」

「強い……と言う割には、いつも子供のように駄々をこねたりすぐ拗ねたりするじゃないですか」

「それはジルにだけだ。こう見えても、普段の俺は立派な人格者だって言われてるんだぞ」


 理解できなかった。


「理解できないって顔するな」

「してましたか?」

「すげぇしてた。最近は、考えが顔に出るようになってきたんじゃないか」

「それはいいことでしょうか」

「良いことだ。せっかくなら、可愛い考えが顔に出て欲しいとは思うが」


 子供を褒めるように、レオが私の頭をわしわしと撫でる。


「ともかく俺は大丈夫だ」

「本当に?」

「不安なら、もし何かあったときは君が俺を助けてくれ」

「私に助けられますか?」

「君が俺の手を握って『大好きです』って言ってくれたら、機械型生命体の意思くらいひねり潰せる気がする」


 私の手にも言葉にも特別な力は無いと思うのだが、言い切るレオの顔には自信が満ちあふれていた。


「手を握って『大好き』と言えば良いのですね」

「出来るか? なんなら、今練習してみるか?」


 提案されたので、私は手を握った。


「レオ、大好き」


 途端に、レオは真っ赤になった顔をもう片方の手で覆う。


「突然素直になられると、照れる」

「やれと言ったのは、レオです」

「そんな事したくないとか、手を握っただけで救えないとか、色々言われる前提だったんだよこっちは」

「言った方が良かったですか?」

「いや、こっちの方がいい」


 だからもう一回言ってくれとせがまれたので、私は手を握って「大好き」と繰り返してみた。


「可愛すぎてまた血を吐きそうだ……」


 などと言い出すので心配になったが、顔を見れば先ほどより遙かに元気そうだった。よかった。

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