第一章

01:非番と男と一冊の漫画

第7宇宙歴123年/ 8月7日/ くもりのち晴れ


 第17スペースコロニー内西部『サンフランシスコ地区』は、今日も快晴だった。

 100年ほど前に崩壊した人間の故郷『地球』。そのアメリカ西部に実在した街を模して作られた地区に、私は暮らしている。

 元々は戦闘型アンドロイドとして作られたが、戦争の終わりと共に活動の場を失った私は、複数のあるじの元を転々とした後、現在はサンフランシスコ地区で暮らす、とある侯爵家に所有されている。

 今の主は侯爵家のご令嬢で、その護衛と彼女の門限を守らせることが主な仕事だ。


 だが今日は、非番。自由の日。

 アンドロイドに非番など必要ないのだが、主とその家族は人とアンドロイドの平等を訴える活動をしており、人のように「休みを取れ」「好きなことをしなさい」といつも言う。


 そういう場合、自宅である収納スペースで日がな一日何もしないのが常だが、その日の朝目覚めると、私は自宅とは別の部屋にいた。


 そのうえ、隣には裸の男が寝ていた。

 なんともだらしのない男だった。

 どうやら自分は、性処理の相手にとんでもない男を選んだらしい。


 私のような元々人間だったタイプのアンドロイドは、時折肉体に残る本能に支配され、性処理を行わなければならない。

 相手の外見や性格にこだわりはないし、正直誰でもいい。

 だが男の酷い有様を見ると、何故この男を選んだのだろうかと首をかしげたくなる。


 身体は引き締まっていたし、身体に残る記録を探ったところ行為自体は悪くない。

 ただ顔の半分以上を隠すボサボサの髪や伸び放題の無精ひげ、何よりベッドから身体半分を投げ出した寝相はあまりに酷い。

 酷いと言えば、目覚めたこの部屋の有様も酷い。

 家主である男は整理整頓が苦手なのか、衣服や雑誌などの読み物が床に散らばり足の踏み場もほとんど無い。


 なぜこんな男を相手に選んだのだろうと記録にアクセスしかけたとき、私は枕元に漫画が転がっていることに気がついた。

 手に取って、うっかり5分ほど読みふけってしまったところで私は我に返る。


「そうか、これが原因……」


 私が手に取った漫画は、『ずっこけハム二郎三世』という子供に人気のギャグ漫画である。

 4コマで構成された漫画は分かりやすいギャグが多く、感性に乏しい私のようなアンドロイドでも楽しめる作品だ。


 そしてそんな漫画が、私と男を結びつけた要因だった。


 男と出会ったのは、主と共にバーを訪れたときのことだった。

 私の主はまだ17歳。先週ようやくお酒を飲めるようになったばかりの、ティーンエイジャーである。


 彼女はその店に入り浸っているとある軍人を捜すために店を訪れ、護衛である私もそれに付き添っていた。


 主はその軍人に恋をしており、近頃はストーカー一歩手前の追っかけをしている。新参者の私は、その日初めて主の言う『愛のあるストーカー行為』に付き合ったのだが、結局その軍人は訪れず主は早々に撤収。

 それに続こうとしたところで「ジルはここで出会いを捜しなよ!」と命令され、店に残ることになってしまったのだ。


 私の主はどんなアンドロイドにも心があると本気で信じる優しい少女で、物である私のことを友人のように扱う。

 製造年は6年ほど違うので私の方が『お姉さん』ということになるが、私の外見が少し幼いせいか、同年代の少女と付き合うような感覚で接してくる。

 そして主は、私が性処理の相手を固定せずにいることを何故だか不憫に思っており、この手の場所に出かける度「恋人作ろう!」と私に提案するのだ。



 とはいえ他のアンドロイド以上に心が未熟な私は、せっかく作った性処理の相手ともほとんど長続きしない。

 だから昨晩も、とりあえず一晩だけの相手を捜すつもりだった。


 そんなタイミングで、最初に目についたのは男と……男の持っていた『ずっこけハム二郎三世』だった。

 彼が手にしていたのはまだ発売されていないはずの最新刊。その上、電子書籍ではなく紙製の本である。

 電子書籍が一般化した現代、あえて紙の本として出すのは珍しい。だが『ずっこけハム二郎三世』の作者は紙の手触りが好きらしく、毎回限定百冊だけ本を出すのだがこれがなかなか手に入らない。


「もしかして、ハム二郎が好きなのか?」


 立ち止まっていた私に、男は声をかけた。

 頷くと、彼は漫画を私に差し出してくれたのだ。


 その後、私は男とハム二郎の話に花を咲かせてしまった。

 閉店時間になっても語り足りず、側のダイナーで翌朝まで話し、それでも時間が足りなくて私は男に誘われるがまま彼の家についていった。


 その後男の家にあったハム二郎全156刊を2人で読破しようとしていたはずが、気がついたらキスをして事に及んでいた。


 男はハム二郎友達としては最高だったが、性処理の相手には多分相応しくない。 身体の相性はかなり良かった。出来たら何度もしたいくらいだった。

 けれど問題は、彼に自分がアンドロイドであることを伝えていないことだ。

 アンドロイドだというと、性処理が乱暴になる者が多い。それどころかがっかりされ、触れてもらえない事もある。

 そのことを想像し、僅かに躊躇った記録が私の脳には残っていた。

 

 何故躊躇いを覚えたのだろうかと考えていると、男がゆっくりと起き上がった。


「……昨日、ハム二郎の何巻まで読んだっけ」


 こぼした台詞に、私はうっかり「21巻の23ページ目までです」と答えてしまった。


「ずいぶん記憶力が良いな」

「……自分は、アンドロイドなので」


 言うなら今かと思い答えた。

 答えたとき何故だか少し、胸の奥にザワザワとノイズのような物が走った。

 そしていつになく不安な気持ちで男を見つめていると、彼は長めの前髪をかき上げながら私に微笑みかけた。


「俺も君くらい記憶力が良けりゃな」


 そんなことを言いながら、男の大きな手が私の頭を撫でた。


 髪をかき上げると、男はとても凜々しい顔立ちをしていた。

 無精ひげのせいで正確な年は分からないが、多分三十代中盤から後半だろう。

 身ぎれいにしたらさぞ女性にもてるだろうに、勿体ない男だ。


 男は自分の容姿が凄まじく残念なことになっている自覚がないらしく、ベッドに転がりながら、枕元のハム二郎に手を伸ばしている。


「君はどこまで読んだ? 続き読む?」

「いえ、そろそろ主の元に返らなければなりませんので」

「じゃあ、また続きを読みに来ればいい。あとアニメもあるけど、見たいか?」

「アニメというのは、まさか五話で打ち切りになったという伝説の……」

「伝説のあれだ。見たいだろう」

「見たいです」

「じゃあこれ合鍵、好きなときにまたこいよ」


 それが私と彼の出会いだった。

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