02:彼の名前

第7宇宙歴123年/ 8月11日/ 快晴



 そういえば、私は男の名前を聞いていない。


 その事実に気づいたのは、彼とソファーに座りながらハム二郎のアニメを見ていたときだった。

 彼の腕に肩を抱かれ、厚い胸板に寄りかかりながら五話目のエンドロールを見ていたとき、ふいに気がついたのだ。


「あの」

「どうした?」

「名前、聞いても良いですか?」


 尋ねた瞬間、耳に心地よい笑い声が響いた。


「4日も聞かれないから、俺に興味が無いのかと思ってたよ」

「興味はありました。でもハム二郎に夢中で忘れていました」


 言うと、彼の大きな手のひらが私の頬を撫でる。

 くすぐったさを感じながら彼の方を見ると、少し戸惑ったような目が私を見つめていた。


「もしかして、名前を言うのは嫌でしたか?」


 性処理の相手――とくにアンドロイドには名前を言いたくない者は多い。

 だから教えてもらえなくても仕方ないのに、何故か今日は「だめですか?」と催促してしまう。


「……実を言うと、身体を重ねる相手に名前は教えたことはないんだ。あれこれ詮索されるのが好きじゃないし、今までの相手にはさほど興味もなかったから」


 でも……と、彼はじっと私を見つめる。


「君になら、教えても良いかもしれない」


 言いつつも、彼はまだ少し悩んでいるようだった。


「嫌ならいいんです。呼びかけるときは困りますけど、偽名でもかまいません」

「だったら、君がつけてくれてもいいぞ」

「じゃあ、ぱんつ丸出し――」

「却下だ。今、ハム二郎の親友の名前つけようとしただろう」

「しました」

「なんでよりにもよってパンツ丸出しなあいつの名前をつけようとした」

「彼が出てくるシーンであなたが沢山笑っていたので」


 だからつけようと思ったのだ。『パンツ丸出し小僧』と。


「好きなものの名前をつけたら、嬉しいかなと思って」

「……そんな純粋な理由じゃ、怒るに怒れない」

「でも別が良いなら考えます。ハム二郎の友達はいっぱいいるし」

「どれも酷い名前だろ」

「そうですか? もし改名できるなら、私は『ダンゴムシ江戸川』になりたいです」

「君の好みは奇天烈すぎだな」


 彼が、笑いながら私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 それから彼は私の唇をそっと奪い、告げた。


「レオだ」

「レオ」

「本当はもう少し長いが、仲が良い友人はそう呼ぶ」


――レオ

――レオ、レオ。


「何度も繰り返すなよ。妙に恥ずかしいだろ」

「でもこの名前、凄く口にしっくりきます」


 だからもう少し呼んで良いですかと尋ねると、彼は苦笑しつつ頷いてくれた。


「レオ」

「なんだ?」


 そして名前を呼ぶ度、レオはちゃんと答えてくれた。

 意味の無いやりとりだけれど、私とレオは長い時間それを続けた。

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