3-2 聖騎士

「もし、この屋敷の方ですか?」


 声の方を向くと、騎士の鎧を纏った男が立っていた。20代くらいに見えるが、どこにも隙がない。一目でただ者ではないとわかる。


 その後ろには、パッと見て10人くらいはいるだろうか。全員、教会で使われている聖騎士の鎧を身に纏っている。いずれも、槍や剣を携えて剣呑な雰囲気を漂わせており、どう見ても話し合いに来たわけではなさそうだ。


 エレナの正体を知ってしまった今、どうしても騎士たちが訪れる理由と結びつけて考えてしまう。


 何か、悪いことが起きている気がする。


 困惑した様子で、テルミットが叫んだ。


「待ってください! なんなんですか、あなたたちは!」


「我々は教会から派遣されてきた騎士だ。なぜやってきたのか、それは答えるまでもなかろう?」


 リーダー格の20代の男がニヤリと笑った。


 エレナが吸血鬼だと知っているのか。いや、自分の表情に出てしまったのか。


 慌てて顔を押さえるも、もう遅い。


 テルミットの反応から確信を得た様子で、リーダー格の男が足を進める。


「大人しく投降した方が身のためだぞ、少年」


 テルミットには敵意は向いていない。ただ、その敵意はテルミットの大事な人へ向かっている。


 それだけは、何があっても止めたい。守りたい。


 リーダー格の騎士にすがり付くように、テルミットが叫んだ。


「な、何で殺そうとするんですか! 彼女は……エレナさんは何も悪いことなんかしていないでしょう!」


「少し前に、町で冒険者6人の首が晒されていた。血で染められて黒く変色した頭に、顔のどこかに数字を残した状態で」


 その話なら、テルミットも聞いたことがあった。ガルドから聞かされていたが、そのことにエレナが関わっているというのか?


「彼女は町へ行ったりはしません。それに、冒険者の仕事は危険と隣り合わせなんですから、そういうこともあるんじゃないですか?」


「その冒険者には仲間がいてね。いろいろと教えてくれたのだよ。……もちろん、君のことも聞いているよ。テルミット」


 テルミットは愕然とした。


 エレナが冒険者殺しの犯人だったことも。騎士たちが自分の名前を知っていたことも。


 視界が歪む。頭がクラクラする。胃液が昇り、口の中が酸っぱい。


「君にとって彼女は純粋な天使のように写っていたのかもしれないが、一皮剥けばこんなものだよ。吸血鬼と恋愛ごっこをしていたようだが、君は彼女のうわべしか知らない。実に滑稽だね」


 騎士の言葉が胸に刺さる。確かに、自分は彼女のうわべしか知らないのかもしれない。すべてを理解した気になって調子に乗っていたかもしれない。だが━━


「あんたの言ってることは、正しいのかもしれません。でも、いったい僕らの何を知っているっていうんですか。人づてに聞いた話を偉そうに講釈する方が、余程滑稽ですよ!」


「このガキぃ!」


 挑発に乗った騎士が声を荒らげた。リーダー格の騎士がそれを制する。


「言葉を選びたまえ。君の命なんてものは、我々の前ではとても軽いんだ。生かすも殺すも、私の一存で決められるのだよ」


 威圧的な態度にテルミットが押し黙る。


 たしかに、この男の言うとおりだ。これだけの騎士たちに囲まれては、逃げるにしてもタダでは済まないだろう。それこそ不用意な発言で命を落としかねない。


 それでも、どうしても譲れないものがある。


「僕は、モンスターを倒して英雄譚を披露しては、皆から尊敬されるような冒険者に憧れていました。でも、モンスターとは戦えなかった。恐くて恐くて、身体が動かなくて……。それでも夢は捨てきれなくて、惨めに冒険者にしがみついてるだけの、ちっぽけな人間でした。


 でも、エレナさんは僕を受け入れてくれたんです。自分でも見限っていた僕のことを、それでも側に置いてくれたんです。


 吸血鬼がどんなものなのか、僕はよくわかってません。でも、エレナさんのことはよくわかっています。彼女が理由もなく人を傷つけるはずがありません。冒険者を殺したのだって、きっと何か理由があるです!」


 騎士たちを真っ直ぐに見据える。甲冑の下の顔は伺えない。それでも、自分の言葉が少なからず響いてくれていると信じたい。


 リーダー格の騎士が鼻で笑った。


「君のそれは依存と変わらない。吸血鬼との生活に、安穏と溺れているだけだ」


 テルミットの頭がかっと熱くなる。


「さっきから吸血鬼吸血鬼って、吸血鬼がそんなに悪いんですか!? 吸血鬼だっていいじゃないですか!」


「君は熱心な教徒ではないとみえるね。教えてあげよう。吸血鬼の存在は異端だからだ」


「……異端?」


 聞きなれない言葉に、首を傾げる。


「聖書に書かれた悪魔の化身そのものだ。歳を取ることなく、人をたぶらかすのだからな」


 男が得意気に語る。


 聖書の内容はわからないが、悪魔のことなら知っている。人間を誘惑して堕落させる存在だと聞いたことがある。


 エレナのことを思い浮かべる。たしかに彼女の魅力には悪魔的なものがあるし、このゆったりとした生活というのは、教会から見たら堕落そのものかもしれない。


 いや、そもそも、吸血鬼と悪魔の違いもわからない。


 ただ、これだけはわかる。


 自分は彼女のおかげで、前を向けるようになったのだ。彼女がいなければ、自分の心は救われず、鬱屈した思いを抱えて冒険者の底辺をさ迷っていたことだろう。


 だが、相手は教会の聖騎士で、数も10人以上はいる。


 怖い。モンスターなんか、比じゃないくらい恐ろしい。


 身体が震える。足がすくむ。頭が思考を放棄して、この場から逃げ出せと叫んでいる。涙と鼻水が止まらない。


 このまま逃げ出せたら、どれほど楽だろうか。


 一瞬迷って、頭を振る。エレナを見捨てて、いったいどこへ逃げろというのか。彼女の元が、唯一自分のいるべきところのだというのに。


 きっと、これはツケが回ってきたのだ。嫌なことから逃げ出し続けてきた、自分への罰なのだ。


 騎士たちが怖い。恐ろしい。それでも、立ち向かわなくてはならない。男には、逃げてはいけないときがある。今がその時だ。


 エレナからもらった勇気を奮い立たせ、男の前に両手を広げて立ちはだかる。


「……なんのつもりかな?」


「僕は、エレナさんが傷つくところも、誰かを傷つけるところも見たくないんです! だから、ここから先へは一歩も通しません!」


 リーダー格の男が、落胆したようにため息を吐いた。


「憐れな……心の底から吸血鬼に魅了されてしまっている。君の魂が救われるには、もう死ぬ以外にない」


「僕はもう救われている。エレナさんに出会って、エレナさんのおかげで!」


 リーダー格の男が合図を出す。槍を持っていた騎士がテルミットに槍を突きつけた。


 恐怖が全身を支配する。それでも、逃げ出してはならない。


 強く目を閉じ、堪えるように噛み締める。


「うっ!」


 腹が熱い。目を開くと、槍が腹に突き刺さっており、傷口からとめどなく赤い液体が溢れだす。


 槍の柄を掴む。微かに動いただけで、貫かれている腹に痛みが走る。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。


 痛みを無視して、強引に腹から槍の刃を抜き、構えている騎士ごと持ち上げる。


 一撃を与え、反撃をされるとは微塵も思っていなかったのだろう。呆然とした騎士の足が宙に浮いた。


 今さらのように足掻くも、足が宙に浮いた時点で、踏ん張りがきくはずもなく、なすすべもなく宙を踊る。


「エレナさんに、近づくなぁ!」


 宙に浮いた騎士ごと槍を振り回し、周りの騎士たちに叩きつける。


 いかに鎧に身を包んだとはいえ、中身は生身の人間。叩きつけられた振動が身体を包み、全身に鈍い痛みが走る。


「何をしている!」


 リーダー格の男が剣を抜いた。テルミットの槍を切り落とし、そのまま接近する。


 あの男の実力は、確実に自分を凌駕する。そのうえ、傷を負った自分では逃げることも倒すことも不可能。何よりこのまま放っておけばエレナに危害が加えられるのは明白だ。


 それならば、できるだけダメージを与えて、エレナが生き延びる可能性を上げることが、今の自分にできる最善の行動ではないだろうか。


 決意が固まれば、行動も早い。槍の向きを直し、リーダー格の男に穂先を向ける。


「ちっ」


 テルミットが突くより早く、穂先を切り落とし、返す刀でテルミットを斬り上げた。


「うっ!」


 胸から肩にかけて深い傷が走る。


 己の血液が宙を舞っている中で、テルミットは見逃さなかった。男が自分の間合いにいることを。切り落とされた槍の先端が、鋭利な形をしていたことを。


 鋼鉄の鎧を纏った上半身ではなく、動きやすさを重視した革の装備になっている下半身を狙う。


 無防備にも目の前に差し出された太ももに、切り落とされた槍の先端を突き刺す。


「ぐうっ!」


 力任せに捩じ込む。肉を貫く感触。間違いなく、この男に致命傷を与え━━


「舐めるなぁ!」


 男が刺された方の足で、テルミットの顔を蹴りつけた。口の中に鉄の味が広がる。


 油汗をダラダラと流した状態にあってなお、男は的確に指示を飛ばす。


「何をぼさっと見ている! 早くこの男にトドメを刺せ! 治癒魔法を使える者は、私の手当てをしろ」


 部下の騎士たちが跳ねるように動き出した。


 倒れたテルミットを囲み、離れたところから、槍を突き刺す。


 身体から温かいものが抜けていく感覚。まもなく、自分は死ぬのだろう。


 それでも、胸の内はどこか清々しささえ感じていた。


 怖いものから逃げるだけじゃない。全力で立ち向かうことが、こんなに気持ちいいものだとは知らなかった。


 モンスターと戦い、死線を潜ってきた冒険者たちは、皆こういう感覚を味わっていたのだろうか。それならば、仲間に自慢をしたくなるのも納得できるというものだ。


 頭の中で、エレナとの思い出が駆け抜ける。一緒に風呂に入ったこと。エレナに自分の思いを吐露したこと。一緒に食事をしたこと。ネックレスをプレゼントして、抱き締めたこと。彼女の前から逃げ出して、傷つけてしまったことも。


 薄れゆく意識の中で、彼女の幻覚が見えた気がした。


 綺麗な緋色の瞳に涙をいっぱい溜めて、今にも泣き出してしまいそうな彼女に、最後の力を振り絞る。


 身体が動く感覚がない。口を動かそうにも、動いているのかさえわからない。それでも、伝えなくてはならないことがある。


 ━━傷つけて、ごめんなさい。

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