4-3 盲目のエレナ

 朝。目が覚めたテルミットはギョッとした。


 寝る前にカーテンを開けたままにしていたらしい。朝の日差しが部屋に差し込んでいた。


 エレナに救われたこの命。自分のうっかりで落としてしまっては合わせる顔がない。


 壁伝いに歩き、慎重にカーテンを締めて安全を確保する。これで安全は保たれた。


 普段着に着替えると、エレナを起こしに行くことにした。


 騎士たちとの戦いで、エレナは失明してしまった。2週間程度で治るとのことだったが、それまでは不便な生活を余儀なくされる。


 そこでテルミットはエレナの生活をサポートすることを申し出たのだ。


 エレナの部屋までたどり着くと、まずはノック。


「エレナさん、起きてますか」


 返事はない。再度声をかけるも、返事がなかったため、突入することにした。


 部屋の中は片付いており、机やクローゼットなどの必要な家具が置かれているだけだ。装飾された屋敷の様子とは違い、実用的なところがまたエレナらしい。


 布団を被り、穏やかに寝息を立てるエレナに罪悪感を感じつつ、肩を揺さぶる。


「エレナさん、起きてください。もう朝ですよ」


「んぅ……」


 目を擦り、エレナが身体を起こした姿を見て、テルミットは目を丸くした。


 雪のように白い肌。すらりと華奢な身体に、小ぶりながらも形のいい胸からは桃色の物体が顔を覗かせている。

 エレナは一糸纏わぬ姿をしていた。


「な、な、な、なんで何も着ていないんですか!?」


 テルミットの叫びで目が覚めたのか、主が眠たそうに目を擦る。


「おはよう、テル」


「おはようございます……じゃなくて!」


 エレナのペースに巻き込まれ、つい挨拶を返してしまう。


「テルが起こしてくれるなんて、今日は素敵な日だね」


 ほにゃ、と顔を崩しながら、普段より無防備な笑みを見せてくれる。


 思わず見惚れてしまいそうになり、慌てて頭を振る。


 テルミットが騒ぎ立てたおかげで完全に目が覚めたのか、いつもの飄々とした様子で答える。


「ボクは生まれたままの姿で寝る主義なんだ」


「と、とにかく服を着てください!」


 エレナを視界に入れないように、明後日の方向を向く。


「何を言ってるんだい。目の見えないボクを助けるのが、テルの役目なんじゃないか」


 テルミットの背後から、布の擦れる音が聞こえる。布団から出ているのだろうが、その生々しい音に、無意識に生唾を飲み込んでしまう。


「最初の仕事だよ。服を着せておくれ」


 両腕を広げ、惜しげもなくその美しい肢体を晒す。


 起伏の乏しく、なだらかな身体。しかし、まったくの平らというわけではない。僅かな膨らみや慎ましやかなくびれが、エレナが一人前の女性であると主張している。

 思わず、その一つ一つに目を奪われてしまう。


「……テル?」


 エレナが不安そうに声を漏らす。


「そこにいるんだよね?」


「は、はい!」


 声が裏返りながら、慌てて返事をする。


 テルミットは己の失態を恥じた。今のエレナは目が見えないのだ。人一倍寂しがりな彼女を、一人暗闇の中に放っておくなんて、自分はなんと愚かなのだろう。


 失敗を挽回すべく、エレナの衣装棚に手をかける。


「着替えですよね。どんな服が着たいですか?」


「まずは下着が欲しいな」


 そうきたか。顔が熱くなる。我慢。


 今は己の仕事をまっとうすることを優先しよう。決してヘンなことを考えてはならない。


 意識を集中させ、煩悩を追い払う。


「どんな下着がいいですか?」


「テルの好きな色はなんだい?」


「青ですね」


 それが何か? と言おうとしたところで、エレナから思いも寄らないことを告げられた。


「それじゃあ、青い下着が欲しいな」


 テルミットの顔がさらに熱くなった。


(な、な、な……)


 声にならない叫びが漏れる。


 それでも、自分の役目はこなさなくてはならない。


 引き出しを開け、下着を漁る。柔らかくて、手触りが良くて、目に毒な海の中から、どうにか目当ての品を探し当てる。


 几帳面なエレナらしく、すぐに上下セットで発見することができた。


「どうぞ」


 王に品物を献上する従者のように、恭しく差し出す。


「テルが着せてほしいな」


「えっ!?」


「始めに言ったじゃないか。服を着せておくれ、とね」


「で、でも」


 テルミットがエレナの身体に視線を落とす。


 テルミットが服を着せるということは、当然その身体に触れなくてはならないわけで、いろいろと問題がある気がする。


 テルミットの視線を察したのか、エレナが先回りして答える。


「ボクがお願いしてるんだ。それくらい構わないよ」


 なんてことのないように許可を出すエレナ。


 それでも、着替えの手伝いという大義名分があるとはいえ、女性の身体に触れてしまうことには慎重になってしまう。


 それが大切な人が相手ならば、なおのことだ。


「その、女性に服を着せるのは初めてなので、加減がわからないといいますか、自信がないといいますか……。第一服の構造だって、よくわかりませんし……」


「いい機会じゃないか。手伝いは今日だけじゃないんだ。早めに慣れてしまおうじゃないか」


 テルミットの反対をあっさりとひっくり返す。


「それに、ここで練習をしておくと、後々役に立つと思うけどね」


 女性に服を着せることが役に立つことなどあるのだろうか。テルミットが首を傾げた。


「どういうことですか?」


「女性の服を脱がせる時に、着せ方がわかった方が参考になるだろう?」


「な、ななな何を言ってるんですか!」


 テルミットの声が裏返った。それは、つまり……。


 テルミットの想像が正しければ、男女の行為のことを言ってるのではないだろうか。


 エレナの世話をするということは、そういうことも含まれているのか。テルミットの中で期待が膨らんでいく。


 頭から湯気が上がりそうになっているテルミットを見て、エレナが勝ち誇ったようにくすくす笑った。


「おや、ボクはお風呂に入れてもらう時のことを言ってたんだけど、テルは何を想像していたんだい?」


 自分がからかわれていたことに気づき、テルミットは顔を真っ赤にした。


 結局、着替えを終えるだけで1時間もかかってしまった。


 それでも、エレナはテルミットを責めるでもなく、むしろ満足気であった。






 手探りで始まったエレナとの二人三脚の生活も、数日が経過する頃には慣れ始めていた。


 とはいえ、まったくの順風満帆だったわけではない。エレナを寝かしつけたはずが、彼女の部屋で一夜を過ごしてしまったり、段差に躓いたエレナがテルミットを押し倒してしまったりと、何かとトラブルは絶えなかった。


 それでも、テルミットとしては悪い気はしていなかった。


 エレナに頼られるというのも嬉しいし、彼女の力になれることにも喜びを感じていた。


 皿を洗いながら、鼻歌を口ずさむ。


「ずいぶんとご機嫌じゃないか」


 背後からエレナの声がした。食堂に座っていたはずだが、いつの間にか近くまで来ていたようだ。


「エレナさんのサポートをするのも、ずいぶんと慣れてきたなぁ、と思いまして」


「僕もテルの助けがなくては生きられない身体にされてしまったよ。……なんだったら、目が治ってからもずっとお願いしたいくらいだね」


「えっ!?」


「もちろん冗談だけどね」


「エレナさん〜」


 情けない声を出すテルミットを、くすくす笑う。


 洗い終わった皿を、次々と棚に収納していく。


 その時だった。


「あっ!」


 収納しようとした皿が、テルミットの手から溢れ落ち落下する。直撃を覚悟したテルミットが目を瞑る。


「危ないっ!」


 咄嗟に、エレナは視覚を共有していた使い魔を操作した。


 エレナの使い魔となったネズミが駆ける。風のように駆け抜けると、テルミットの顔に当たる刹那、皿を受け止めることに成功した。


 ほっとエレナが息をつく。


「ケガはなかったかい?」


「は、はい……。今のは……?」


 未だに状況を掴めていないようで、テルミットが辺りを見回す。


「あれはボクの使い魔だ」


「使い魔?」


 疑問を浮かべるテルミットに、エレナはハッとした。


 そういえば、眷属にしたというのに、使い魔の話はまるでしていなかったではないか。


 エレナは使い魔のことについて話した。日中の行動が制限される吸血鬼にとって、非常に便利な能力であること。視界の共有ができることなど。


 はじめは感心していたテルミットが、やがて申し訳無さそうに口を開いた。


「あの、エレナさん。助けてもらっておいて、こんなことを言うのもアレなんですけど、使い魔の視覚を共有できるなら、僕の助けはいらなかったんじゃないですか?」


 エレナの顔が引きつる。


 言い訳ができないと悟ったのか、両手を上げて降参のポーズを取った。


「……たしかに、テルの言った通り、使い魔がいたから、テルの助けなしでも生活に支障はなかったよ。 でも、ボクはテルの命の恩人だよ? これくらいのワガママを言っても、許されると思うけどな」


 唇を尖らせるエレナに、慌ててフォローする。


「すみません。責めようと思っているわけじゃないんですよ。その、僕だって、エレナさんに頼られるのは嬉しいですから」


「奇遇だね。ボクもテルに頼られるのは嬉しいよ」


「おそろいですね」


 エレナがくすりと笑うと、釣られてテルミットも笑いだした。


 エレナの目が完治するまで、まだ時間がある。


 それまでの間、引き続きエレナの策略に乗ることにした。

 いつか治るその日が、少しだけ遅れることを祈りながら。

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