3-1 吸血鬼
屋敷の裏で作業をしていると、テルミットが口を開いた。
「あの、一つ提案していいですか?」
「なんだい?」
「一緒に町へ行きませんか?」
エレナの顔が険しくなった。
「もうすぐ、町で祭りがあるんですよ。出店とか並んでて、すごく楽しいらしいんです。良かったら、エレナさんも……」
「……前にも行ったと思うけど、ボクは人混みが苦手なんだ。町へ行こうとは思わないね」
「それなら、人通りの少ない道を選びますから」
食い下がるテルミットに、エレナは少しムッとした。
「それに日傘がなくちゃ、昼間は外を出歩けないんだ。余計な注目を浴びるのはごめんだ」
「夜でも大丈夫ですよ。あ、夜は楽器を演奏して、音楽に合わせて踊るんです。それに、出店で食べ歩くのもいいですよね。……それで、その、良かったら、エレナさんと行きたいなって……」
なおも食い下がるテルミット。テルミットは純粋にエレナと町を歩きたいだけなのだろう。普段なら、かわいいことをすると流すものだが、今はその無神経さが余計に腹立たしい。
「食事ならここで十分だし、踊るのもここで事足りる。わざわざ町まで行く必要はないね」
断られるとは思っていなかったのか、テルミットが明らかに困惑した。
「じゃ、じゃあ、この屋敷に知り合いを呼んでもいいですか? みんなにエレナさんのことを紹介したくって」
「…………」
「みんないい人ばかりなんです。エレナさんに渡すお土産の相談にも乗ってもらいましたし、きっとエレナさんとも仲良くなれると思いますよ」
それでも食い下がるテルミットに、エレナは諦めたようにため息をついた。
「テル、この際だからはっきり言わせてもらおう。ボクは人間がキライだ」
「……え」
テルミットの頭が真っ白になった。人間が嫌い? エレナが?
エレナの言葉が理解できない。テルミットも人間なのに、嫌いどころか好意的に接してくれていたではないか。
テルミットと他の人間は別ということなのだろうか。それならばなぜテルミットは例外なのだろうか。
考えが纏まらない。混乱した頭で、胸の底に残った違和感を吐き出した。
「い、いや、僕だって人間ですし、エレナさんだって……」
そこまで言って、気がついた。気がついてしまった。
人間が嫌いだと言うエレナが、人間だという保証はないのではないか。
その可能性に気づくと、すべての点と点が線となって繋がった。
なぜエレナは太陽の光が苦手なのか。
なぜ人混みを避けるのか。
なぜ幼い見た目をしているのに、中身は成熟した女性なのか。
その答えは一つ。エレナははじめから人間ではなく、彼女こそが吸血鬼なのではないか。
雑貨屋の店主の言葉が脳裏に蘇る。
「この辺りで、昔吸血鬼が出たらしい」
エレナこそが、その吸血鬼なのだとしたらどうだろうか。すべての話が繋がるではないか。
一度その考えが浮かんでしまうと、頭から離れなくなる。どうしても、その馬鹿げた結論が正しいのだと錯覚してしまう。
そんなわけはないと心では否定しても、理屈の上では結論は出てしまっている。
エレオノーラ・レインブラッドは吸血鬼である、と。
本人に尋ねてもいいのだろうか。
否定されるだろうか。それとも、エレナのことだから、案外あっさりと認めるのだろうか。
「…………」
続く言葉が出ない。何と言えばいいのだろうか。そもそも、エレナに話しかける時は、どうしていただろうか。
言葉に詰まったテルミットの様子を見ていたエレナは、諦めにも似たため息をついた。
「気づいてしまったようだね」
まるで些細なイタズラがバレてしまった子供のように、なんでもないことのように呟くエレナ。
思わず一歩後ずさってしまう。
「! 待ってくれ、テル!」
目の前にいるのは、エレナそのものだ。だが、人間ではない。その事実が、目の前のエレナを異質な存在として認識させてしまう。恐怖が全身を支配した。
「テル!」
気がついたら、走り出していた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、一目散に駆け出していた。
結局何も変わってはいなかったのだ。冒険者に成り立ての頃、初めて遭遇したモンスターから逃げ出してしまった頃から何も成長していない。
エレナに自分の抱えるコンプレックスをぶつけても、何も変わることはできなかった。それがテルミットという人間の限界なのだと思い知らされた。
結局のところ、自分は目の前の不安から逃げ出す、ただの臆病でちっぽけな人間に過ぎないのだ。
屋敷の出口まで来たところで、テルミットは足を止めた。
ここから一歩外に出れば、屋敷から出られる。しかし、一度ここで外へ出てしまえば、もう二度とここへは戻って来れなくなる気がする。
エレナとの思い出がテルミットを引き留める。
エレナとの関係を、こんなところで終わらせたくはない。
だが、どんな顔でエレナに会えばいいのだろうか。一度は逃げ出した自分が、どの面下げて戻れるというのだろうか。
エレナは何よりも孤独を恐れていた。それはテルミットも十分理解しているつもりだった。それなのに、あろうことか自分がエレナにしたことは、彼女を最も傷つけてしまう行為だった。
きっと、エレナは深く傷いてしまっただろう。
謝りたい。またやり直したい。その気持ちに偽りはない。だが、エレナの顔を見たら、また逃げ出してしまいそうな気がする。
「僕は、なんて弱いやつなんだ……」
己の弱さが憎い。不甲斐なさが憎い。憎い憎い憎い。
近くにあった木に自分の頭を叩きつける。まだ足りない。何度も、何度も、頭を叩きつける。
何度も叩きつけたおかげで、頭から血が流れてきた。それでも足りない。自分がエレナにしてしまったことは、この程度では足りない。エレナの痛みは、こんなものでは足りないのだ。
大きく身体を仰け反らせたところで、屋敷の外から誰かの声が聞こえてきた。
「もし、この屋敷の方ですか?」
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