1-4 今夜、混浴
その時、風呂の扉が開く音がした。反射的に振り向くと、一糸纏わぬ姿でエレナが立っていた。
慌てて視線を反らせる。
「な、な、な……」
「背中を流しに来たよ」
「なんで服を着ていないんですか!」
「お風呂に入るのに服を着る必要があるかい?」
「そ、それはそうかもしれないですけど……!」
エレナの暴論に言いくるめられそうになり、思わず口ごもる。
「ぼ、僕だって男なんですよ! なんていうか、その、もう少し警戒してください」
「警戒しないと、どうなるというんだい?」
「お、襲っちゃいますよ」
「ふぅん。テルにそんな度胸があるとは思えないけどね」
「うっ」
痛いところを突かれ、心にダメージ。まだ出会って2日だというのに、もうテルミットという人間性を見抜かれている気がする。
エレナの指がテルミットの背中に触れた。慌てて声を押し殺す。
エレナの手が、その存在を確かめるように、しっかりとテルミットの背中に触れる。
「見た目より、大きな背中をしているね」
彼女の言った言葉の意味がわからず、頭に疑問符が浮かぶ。
「どういう意味ですか?」
「テルの背中は一見すると頼りなく映るかもしれないが、その実よく鍛えてある。一日で薪割りを終えたというのも頷けるよ」
なんだかむず痒い気分になり、テルミットの背中が縮こまる。しばらくエレナのことを直視できそうにない。
「たしか、テルは冒険者だったね。それなら、これだけ鍛えられているのも納得がいくよ」
エレナに誉められるも、内心は複雑な気分だった。
本当は、冒険者らしいことは何もできていないのに。
「よく鍛えられた、傷一つない立派な背中だね」
何気ない言葉だったのだろう。テルミットを喜ばせようと思ってリップサービスでもしたのだろう。
それでも、自分の魂の奥底にへばりついた、触れられたくないものに触れられた気がした。
魂の底から言い様のない感情が沸き上がる。
「そんな、立派なものじゃありませんよ。僕はこれでも冒険者の端くれですから。本当だったら、いっぱいモンスターと戦って、傷だらけの身体になりながらモンスターを倒して、酒場で他の冒険者に自分の英雄譚を自慢するんですよ。そんな冒険者になりたかったんです」
嫌なヤツだ。自分でもそう思いながら、溢れ出る鬱屈した感情は止められなかった。
自分の情けなさに涙が流れる。
「でも、無理だったんですよ。怖くて怖くて。身体が動かなくて、どうしようもないんです。モンスターから逃げ出して、自分の夢からも逃げ出して。それでもプライドだけは捨てきれなくて。心の中では無理だってわかっていながら、それでも惨めに冒険者にしがみついてる。それが今の僕なんです。エレナさんの言うような、立派な人間なんかじゃないんですよ」
言った。言ってしまった。自分の中に眠る闇を、あろことか無関係なエレナに吐き出して、八つ当たりしてしまった。
エレナは今どんな顔をしているだろうか。怒っているだろうか。呆れているだろうか。自分の夢から逃げ出したテルミットに侮蔑の眼差しを送っているだろうか。怖くて振り向けない。
立ち上がると、そのまま脱衣場へ向かう。
「すみません。少し頭冷やしてきます」
結局、自分の人生は逃げてばかりなのだ。自分の夢から逃げ出し、今度はエレナから逃げ出そうとしている。仕方ないのだと自分に言い訳をして。
「待ってくれ」
逃げようとするテルミットの手を掴む。
「その、すまなかった。無神経なことを言ってしまったね。本当にすまなかった」
やめろ。やめてくれ。
エレナの手を振りほどこうとするも、再び掴まれる。
「本当にすまなかった。キミを傷つけるつもりはなかったんだ。ただキミを……」
「……謝らないでください」
「でも……」
「謝らないでください!」
突然の怒号に、エレナの肩がびくりと跳ねる。
「エレナさんは、何も悪くないじゃないですか。僕が勝手に自分のこと話して、勝手に嫌な気分になって。エレナさんに嫌な思いをさせただけじゃないですか。エレナさんが謝るようなことなんて、何一つないじゃないですか……」
エレナが先ほど大きいと感じた背中は、今はひどく頼りなく見える。その奥で嗚咽を押し殺したような声が聞こえた。
きっと自分を責めているのだ。自分のことが、嫌で嫌でたまらないのだ。
エレナはそんなテルミットの手を強く握る。
「そんなことはないよ。ボクにだって、キミに謝らなくちゃならないことがある」
テルミットからの返事はない。だが、逃げ出そうという素振りは感じられない。エレナはさらに続ける。
「今日はキミに少しイジワルをしてしまった。あれだけの木を薪にするなんて、数日はかかるだろうと思っていた。あ、決してキミを困らせようとしたわけではないよ? ただ、テルに少しでも長くここに居て欲しかったんだ。そんな……そんな身勝手な理由で、キミを困らせてしまったんだ」
「…………」
「テルにどんな過去があったかはわからない。ボクが知らないだけで、辛いことや苦しいことがたくさんあったのかもしれない。ボクではそのすべてを理解してあげることはできないかもしれない。キミの心に刻まれた傷を癒してあげられないかもしれない。それでも、キミにここに居て欲しい。ボクの傍に居て欲しいんだ」
「エレナさん……」
「もう、一人ぼっちは嫌なんだ……」
テルミットの手を握る力が強くなった。
出会った時から飄々としていた彼女の本音が初めて聞けた気がした。
嬉しかった。こんな自分を頼ってくれたことが。必要としてくれたことが。自分の夢から逃げ続けた自分を認めてくれたことが。どんなことがあってもここに居て欲しいと思ってくれたことが、何よりも救いに感じられた。
涙を拭い平静を装う。己を奮い立たせ、勇気を振り絞る。今この瞬間、カッコ悪かった過去の自分に別れを告げるのだ。
エレナの小さな手を強く握り返した。
「そういうことなら、しばらくここでお世話になってもいいですか? 実は僕、家族がいないんです。町に帰っても、僕を待っている人はいないんですよ。でも、エレナさんが僕を必要としてくれるなら、僕としてもこの上なく嬉しいわけで……」
「テル……」
感極まったエレナがテルミットに抱き付く。
「ありがとう」
「あ、あの、胸が……」
背中に押し付けられる柔らかな感触。服の上からはささやかに感じられたそれは、小さいながらも確かに存在していて、テルミットの背中で激しくその存在を主張している。
「遠慮することはないよ。これはほんのボクからのサービスさ」
「で、でも……」
テルミットの下半身に熱が集まっていくのを感じる。
「でも、なんだというんだい?」
弄ぶように、エレナの白い指がテルミットの腹に触れる。下腹部から太腿へ。ゆっくりと滑ると、
「うっ」
脳に走る快楽の電流に、テルミットの頭は真っ白に燃え尽きた。
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