2-4 吸血鬼と十字架

 ガルドと飲んでいたおかけで、エレナの屋敷に帰って来る頃には真夜中になっていた。


 こんな時間では、さすがに眠ってしまったかもしれない。


 そう思ったが、屋敷が見えてくると明かりがついていた。どうやら、まだ起きているようだ。

 自然とテルミットの足が早くなる。


 最初にエレナと出会った中庭が見えてくると、ガーデンチェアに小柄な背中見えた。

 ランプの明かりに照らされ、小さな背中が揺れる。


 テルミットの足音に気づくと、エレナが振り向いた。


「やぁ、お帰り。ずいぶんと遅かったじゃないか」


「すみません」


「でもちゃんと帰ってきてくれたから、許してあげるよ」


 どこかほっとした様子で、エレナが見つめる。


「そうだ、お土産を持ってきました」


 テルミットは袋から小物屋で購入した十字架の首飾りを取り出して見せた。

 ランプが放つ橙色の光に照らされた十字架が鈍く輝く。


 それを見たエレナの顔が引きつった。


「どうかしましたか?」


「……いや、なんでもないよ」


 テルミットから十字架の首飾りを受けとるエレナ。


「……ありがとう。大切にするよ」


 自分の首にかけようとするも、一瞬動きが止まった。


「そうだ、テル」


 エレナが十字架の首飾りをテルミットに渡した。


「キミがボクの首にかけてくれないかい?」


「えっ?」


「こう見えて、不器用なものでね。せっかくのプレゼントを地面に落としてしまっては忍びない。……頼めるかな?」


「ま、任せてください!」


 テルミットが緊張した様子で受けとる。その様子を満足気に眺めつつ、エレナが長い髪を両手でまとめ、背中を向けた。


 エレナの背中を見て、思わずぞくりとした。


 銀色の髪から覗く白いうなじ。普段は気がつかなかったが、大胆に背中の空いた衣装から、白い肌が露になる。清楚な中に感じる色気が、なんとも艶かしい。


 ごくりと生唾を飲み込む。


 顔を近づけると、雪のように白い肌に吸い込まれそうになる。


「……テル?」


 エレナが不安気な顔で振り向く。


「な、なんでしょうか!?」


 思わず声が裏返る。


「いや、そんなにまじまじと見られると恥ずかしいよ……」


「え、あ、はい。そうでしたね!」


 エレナの肌に触れたくなる衝動を全力で押さえ込み、首飾りを掛けるべく一歩踏み込む。


 後ろから抱きつく形で腕を回すと、そのまま背中まで持ってくる。


 それから留め具を嵌めようとするも、エレナの小さくも美しい背中に意識を奪われる。辺りが暗いことも相まり、なかなかうまくいかない。


 エレナも背中に視線を感じているのか、時折身体が動いてしまい、それが余計にテルミットを魅了する。


「ねぇ、テル」


「なんですか?」


「そんなにボクの背中が気になるかい?」


「えっ、あ……!」


 エレナに言い当てられ、気が動転して首飾りを落としてしまった。


「す、すみません」


 首飾りを拾うと、土を落とし、汚れを裾で拭き取る。


 テルミットが再びトライしようとすると、エレナがある提案をした。


「……そんなにボクの背中が気になるなら、逆からやってみるというのはどうだろう」


「逆?」


 エレナに促されるまま姿勢を変える。


「こ、これはちょっと……」


 テルミットがわずかに身動ぎしただけで、エレナの身体にぶつかる。


 エレナの提案は、テルミットが後ろから抱きつく形ではなく、前から抱きつく形でかけるというものだ。


 たしかに、これならば先ほどよりエレナの背中は気にならない。だが、それは背中が見えなくなったからというより、エレナと密着する形になり、背中に気を回す余裕がなくなったからで、本末転倒な気がした。


 エレナの吐息がテルミットの胸にあたる。それどころか、エレナの顔がテルミットの胸にあたっている。


「あ、あの。急いで戻ってきたので、けっこう汗をかいてしまっていて、その……」


「ああ、そうか。どうりでテルの匂いが濃いわけだ」


 エレナがテルミットの胸に鼻を押し付ける。


「だから、その、汗かいて汚くなってるんですってば!」


「そうかい? テルがボクのために急いで来てくれたんだ。汚いはずがないよ」


 テルミットの説明虚しく、エレナは顔を離してくれそうにない。


「それに、テルの匂いは結構好きだよ。なんていうか、とても安心する」


 甘美な言葉が脳を焦がす。


 落ち着け、落ち着け自分。心の中で自分にそう言い聞かせるテルミット。


 首飾りをかけるべく、エレナの首から背中に腕を回そうとすると、銀色の髪が手に触れる。


「はぅあ!」


 思わず変な声を上げてしまう。


「テル?」


 エレナが心配した様子でテルミットを伺う。


「だ、大丈夫です。問題ありません」


 エレナさんの髪が手に触れてしまい、変な声が出てしまいました、なんて情けないことは言えない。


 再び意識を戻すと、首飾りをかけるべく指先に神経を集中させる。


 だが、集中させると、今度はエレナの髪の感触がより伝わってしまう。絹のように艶やかなところや、羽毛のように軽いところ。ランプの明かりで燃えるような色に染まっていることも。テルミットを狂わす魔性の香りも、すべてが伝わってくる。


「テルの心臓、よく動いているね」


 そんなテルミットの思いを知ってか知らずか、エレナがテルミットの胸に指を這わせる。


「そりゃあ……生きてますから」


「力強く動いている。……でも、さっきよりも少しだけ早くなったかな?」


 エレナがニヤリと不敵にテルミットを見上げた。


 自分の心臓が忙しく鼓動しているのは全部エレナのせいだと抗議したい気分だった。


 このままではエレナのペースに飲まれてしまう。話を反らせようと、今日小物屋の主人から聞いた話をしてみることにした。


「そういえば、この辺りでは大事な人に十字架を渡す風習があるようですね」


「へぇ、それは初耳だ」


「なんでも、昔この辺りで吸血鬼が出たとかで、『大切な人をお守りください』という意味を込めて渡すんだそうです」


 エレナの身体が固くなったような気がした。


「エレナさん?」


「……なんでもないよ」


 いつもの様子でエレナが呟く。


「……一応言っておくけど、吸血鬼に十字架は効かないよ」


「え、そうなんですか?」


「教会が自らの権威を上げるのと、十字架を売って儲けるための方便さ」


「なんだか汚いですね」


「連中はいつの時代だってそんなものさ」


 見てきたように語るエレナにテルミットが一瞬違和感を覚えたところで、指先に確かな感触。


「おっ」


 留め具がかかった。たかが首飾りと侮っていたが、なかなかどうして難しい。思いの外手間取ってしまった。


 テルミットが手を離そうとして、今の状態に気がついた。


 先ほどより、エレナの身体がテルミットに密着していることに。


 おそらく、無意識のうちに楽な姿勢を取ろうとするあまり、余計に密着してしまったのだろう。


 銀色の頭越しに、白い背中が覗く。漂う甘い香り。


 腕の中の少女を力一杯抱き締めたい衝動に駆られる。


 少しだけ。ほんの少しだけだ。自分はエレナに首飾りをあげて、首にかけたのだ。これくらいのご褒美を貰っても良いではないか。


 そもそも、こんなに魅力的なエレナが悪いのだ。自分も男なのだから、こんな無防備なところを見せられては、襲ってくださいと言っているようなものだ。だから、少しだけ抱き締めたところで、バチは当たらないのではないか。


 心の中で言い訳めいた言葉を呟く。動きを止めて、エレナのすべてを感じるべく全神経を集中させた。


「……まだかかりそうかい?」


 エレナの催促に、一瞬どきりとする。


「す、すみません。もう少しだけ」


 罪悪感と共に「もう少しだけ抱き締めさせてください」という言葉を飲み込む。


 テルミットの言葉を疑わず、エレナが大人しくテルミットの腕に包まれる。


 全身に意識を集中させ、エレナの身体を感じる。

 細くて、柔らかい。力を入れたら、今にも折れてしまいそうだ。


 そんなガラス細工のような少女が、今テルミットに身体を預けており、その存在を主張する。


 エレナの甘い香りを胸いっぱいに吸い込む。とろけてしまいそうな理性を必死で食い止め、エレナの存在を全身で感じる。


 できることなら、ずっとこうしていたい。


 それでも、いつかは離さなくてはならない。名残惜しさを感じながら身体を離そうとすると、テルミットの服が引っ張られた。


「エレナさん?」


「もう少しだけ、こうしていてもいいかい?」


 予想外の提案に驚きつつも、テルミットもそれを受け入れた。返事の代わりに強く抱き締める。


 心が満たされていくのを感じる。テルミットだけではなく、エレナも同じことを考えてくれていたなんて。


 幸せだ。幸せすぎる。


 夢中になって抱き締めていたおかげで、気がつくと辺りが明るくなり始めていた。


 我に帰ったエレナがテルミットを離す。


「すまないね、ボクのワガママに付き合わせてしまって。……そろそろ屋敷に戻ろうか」


 テルミットに背を向けるエレナの後ろ姿は、どこか寂しげに見えた。


 放っておいたら、そのまま消えてしまいそうな危うささえ感じてしまう。

 何か言葉をかけたい。今のエレナをそのままにしておきたくはない。


 テルミットは渾身の勇気を振り絞り、エレナに声をかけた。


「また、首飾りを買ってきていいですか?」


 振り向いたエレナは満面の笑みで答える。


「もちろんさ!」






 屋敷に戻ったテルミットが風呂に入ろうと、脱衣場で服を脱ぐ。


 汗臭かったはずの自分の服から、何やら甘い香りが漂っていることに気づいた。この香り、先ほどエレナを抱きしめた時に移ったものだろう。


 変態だ。そう思いつつも、目の前の誘惑から逃れるすべがない。


「エレナさん……」


 悪いとは思いながらも、自分の服を抱き締めて、先ほどの余韻を噛み締めた。

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