1-8 不器用な少年
今日は屋敷の掃除を手伝うことになった。
二人で作業をするとはいえ、広い屋敷だ。骨が折れると思っていたが、エレナにかかれば難しくない。
まずはエレナが魔法を発動させる。まずは風魔法で埃や塵を飛ばし、水魔法で目立つ汚れを洗い落とす。
あとはテルミットが水魔法で濡れたところを雑巾で拭くだけだ。手を動かしながら、ふと、思いついたことを口にした。
「その、失礼かもしれませんけど、どうしてこんな広いお屋敷に一人で暮らしているんですか?」
「一人じゃないよ。今はテルがいるからね」
いつもの如く、飄々とした態度にはぐらかされそうになる。
「すみません。僕の訊き方が悪かったです。その、エレナさんにはご家族とかいないんですか? これだけ立派なお屋敷なんですから、一人では広すぎるんじゃないかなって」
おずおずと訊くテルミットがおかしくて、思わず苦笑するエレナ。
「この屋敷に来た時は一人だったよ。……でも、そうだね。家族と呼べるような人も、昔はいたんだけど、もうだいぶ前に亡くなってしまったよ」
「……すみません」
テルミットがしゅんとしてしまう。
「いいんだ。ずいぶん昔のことだからね。もう十分、感傷に浸ったよ」
なんてことのない様子のエレナに甘えて、さらに尋ねる。
「どんな人だったんですか?」
「彼は、なんていうか、春に吹く風のような人だったよ」
「春に吹く風、ですか?」
エレナが頷く。
「彼がいるだけで、心が暖かくなって、とても心地いい気分になれるんだ」
幸せそうに語るエレナを眩しく思いながら、テルミットの胸中には別の感情が去来していた。
この時までは、テルミットは自分だけが特別エレナに好かれているのだと思っていた。そう自負していた。
しかし、その自信は脆くも崩れてしまった。
十中八九、その“彼”というのはエレナの恋人で、今でも彼のことを大切に思っているのだろう。事実、“彼”を語るエレナの表情は、恋をする乙女のようにさえ見える。
死者にかける言葉としては不適切かもしれない。それでも、テルミットは思わずにはいられなかった。
――うらやましい。
死んでなお、エレナの心に住み続けるその男に、あろうことか嫉妬してしまっていた。
その男には何の落ち度もないのに、一方的に敵意を向けてしまう。そして、そんな自分が酷く小さな存在に思えてしまった。
エレナと出会って、少なからず成長できていたと思っていたが、一皮剥けばこんなものなのか。これでは、まるで成長できていないではないか。
情が深いエレナのことだから、自分が先立ってしまったとしても、同じように思ってくれるかもしれない。いや、そうだと思いたい。
雑巾を握る手に、ぐっと力が籠った。
思いたい、なんて消極的な気持ちではダメだ。
その男に負けないくらい、エレナに思ってもらえるように強くなろう。一人そう固く誓った。
その日から、テルミットは修行に励んだ。
早朝から山を駆け、昼は筋トレをして己の肉体に向き合い、午後は剣の素振りをする。
冒険者になる前は、村の元冒険者に指南してもらって己を磨いてきた。
その時の目標は、英雄譚を語れるような冒険者になりたいという曖昧なものだったが、今は違う。エレナに好かれたいという明確な目的がある。
好きな人のために頑張るのだから、気合の入り方も違うというものだった。
素振りをするテルミットを、遠巻きに眺めている者がいた。
「今日も頑張っているようだね……」
ため息混じりにエレナが呟く。
日差しを避けて、木の陰に隠れながら、持参したタオルと水筒を手に鍛錬を見守る。
テルミットが強くなろうとしているのは理解できる。本来、彼は冒険者だ。強さを求めるのは別段おかしなことではない。
そのうえ、彼は英雄に対して憧れめいたものを持っているため、理想に近づこうと努力していることも理解できる。
テルミットが理想を追いかけるのは、彼のことを思えば喜ばしいのだろう。
ただ、それと同時に一抹の寂しさを覚えていた。
いつかここを出て、独り立ちしていってしまうような。そんな気がしてならない。
そこまで考えて、エレナは頭を振った。
何を残念がっているのだ、自分は。テルミットが理想に向かって努力をしているのなら、応援してあげるべきだろう。それを、自分の一方的な感情で応援しないというのは、身勝手極まりない。
彼には彼の夢があるのだ。ならば、今は自分にできることをしよう。
ちょうど素振りが一段落ついたようなので、顔を出すことにした。
「精が出るね」
声を掛けながら、タオルを差し出す。
「あ、ありがとうございます」
タオルを受け取ると、テルミットは汗だくになった顔を拭いた。
その様子をじっと眺めるエレナ。
改めて見ると、体つきがどこか逞しくなったように見える。服の上からでも引き締まっているのがわかる。
よく鍛錬されている。感心すると同時に、テルミットがそれだけ遠くへ行ってしまったように錯覚してしまう。
彼の夢に近づくということは、自分から離れることと同義なのだから。
「…………」
息を整え、意を決してテルミットに訊ねる。
「最近、ずいぶんと鍛えているようだけど、何かあったのかい?」
「……あー、その、それはですね……」
テルミットが答えにくそうに口籠る。
「いや、答えにくいならいいんだ。キミがどんな理由で鍛えているとしても」
テルミットが答えられない理由を、自分の中の推論と結びつけて勝手に納得する。
「また冒険者に戻って、自分の夢を叶えるために努力をしているんだろう? キミが自信を取り戻してくれたのなら嬉しいし、応援したいと思ってる。
冒険者として本格的に仕事をしたら、なかなかここに戻って来れないかもしれない。……でも、たまにでいいから、ボクのところへ顔を出してくれると、もっと嬉しい」
エレナとしてはありったけの思いをぶつけた。たとえどんな答えがきたとしても、悔いはない。だが――
エレナの予想に反して、テルミットは目を丸くしていた。
「えっ? 何の話をしているんですか?」
テルミットの反応に面食らいつつ、説明をする。
「何って、テルが鍛錬を始めた話さ。冒険者として再起する気になったということだろう?」
「いえ、違いますけど」
エレナの頭が真っ白になった。違う、だって?
「そもそも、僕はモンスターが怖くて戦えないんですから、冒険者として仕事をしようにも、鍛錬するしない以前の問題ですよ」
どこか自虐的に笑うテルミット。
なるほど、テルミットの言い分は理に適っている。納得すると同時に、新たな謎が湧いた。
「それじゃあ、なぜ急に鍛錬なんか始めたんだい?」
ずいっと身を乗り出すエレナ。これ以上隠しても拗れるような気がしたテルミットは素直に白状することにした。
「その、実はですね。以前、エレナさんから家族に相当する人の話を聞いたじゃないですか。その人のことを、とても幸せそうに話していたので、僕のことも同じように思ってもらえるように、自分を磨こうと思いまして」
その瞬間、胸を打たれたような気がした。
テルミットが鍛錬していたのは、エレナに好かれたいがためだというのか。
エレナが話した男のことで嫉妬して、対抗心を燃やして、少しでも好かれようと自分を磨いて。そのために厳しい鍛錬を積んでいたというのか。
なんと不器用な少年なのだろう。
エレナの中で、熱いものがこみ上げて来る。
テルミットはここまで自分のことを思ってくれていたというのに、自分ときたらなんだ。
テルミットが居なくなってしまうのではないかと疑ってしまった。
恥ずかしく思うと同時に、テルミットのことがたまらなく愛おしい。
未熟な彼を導くのが自分の役目だと思っていたが、今だけは甘えてしまいたい。そう思ったら、自然と言葉に出してしまった。
「ボクのために自分を磨こうとしてくれるのは嬉しいよ。でも、今ボクの側に居てくれるのはキミだけなんだ。これじゃあ、少し寂しいよ」
エレナの言葉に、テルミットはハッとした。
以前、エレナはひとりぼっちはイヤだと言った。側に居てほしいと懇願していた。
では、最近の自分はどうだっただろうか。ロクにエレナに構わず、一人で修行をして。その結果、彼女を不安にさせてしまった。
何がエレナに思ってもらるように強くなろうだ。一人で悩んで、勝手に突っ走って、その挙句寂しい思いをさせてしまった。とんだ一人相撲ではないか。
自己嫌悪に襲われると同時に、エレナの寂しさを埋めてあげたい衝動に駆られる。
どうすればいいだろうか。自分に何ができるだろうか。
考えた末、一つの提案をしてみることにした。
「それじゃあ、汗をたくさんかいてしまったので、お風呂に入ったら背中を流してもらってもいいですか?」
「おや、まさかテルがそんなに積極的だったとは知らなかったよ。……そんなにボクとお風呂に入りたかったのかい?」
「え、エレナさん!」
慌てるテルミットが可笑しかったのか、エレナが笑みを溢した。
「フフフ、悪かったよ。それじゃあ、今日はテルの要望通り、背中を流してあげよう」
満面の笑みで微笑むエレナに見惚れ、思わず返事を忘れてしまった。おかげでエレナにさらにからかわれることになってしまった。
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