4-5 旅立ち

 騎士たちの襲撃を撃退したとはいえ、平穏を取り戻せたわけではない。


 むしろ、危険が増したとエレナは考えていた。


 まがりなりにも、教会が誇る聖騎士、十余人が忽然と行方不明となったのだ。教会がその騎士たちの行方を調査していないとは考えにくく、この場所が特定されるのも時間の問題に思えた。


 エレナとしても、このまま次の騎士たちが襲撃してくるのを黙って待つ気はない。そのため、一刻も早く屋敷を離れることを選択した。


 テルミットにそのことを告げると、二つ返事で了承した。


 それからは旅支度をする日々が始まった。


 元々、テルミットの私物は多くない。そのため、あっという間に荷造りが終わってしまった。


 問題はエレナの方だ。この屋敷で暮らしてきたエレナには膨大な量の私物がある。


 さすがに、荷物の選別を手伝うことはできないので、テルミットは保存食作りを手伝っていた。


 作業を手伝う傍ら、ふと思ったことを口にした。


「ここを出たら、どうしますか?」


「そうだね、ひとまずここから距離を取ろうか。騎士たちの消息が不明になっている今、いつ教会から刺客が差し向けられてもおかしくないからね」


 エレナほどの力があれば、襲いかかる騎士たちを倒すくらいわけはない。


 ただ、そうしないのは、無限に襲いかかる騎士たちを相手にするのはあまりにも不毛で、意味のないことだからに過ぎない。


 長年の経験からそう結論づけたからこそ、住み慣れた屋敷を離れる決心をしたのだ。


「それから、東へ行こうかと思う」


「東、ですか」


「そちらはまだ教会の影響が少ないらしいからね。ボクたちの安住の地が見つかるかもしれない。生活の基盤なんかは、住む場所を決めてから考えよう。……どんな暮らしをしたいのか、今のうちから考えておきたまえ」


 すでに考えてあったのか、テルミットが待ってましたとばかりに口を開いた。


「前々から思っていたのですが、ヤギやヒツジなんかを飼育して、牧畜をするのなんかどうでしょうか。夢の中で、エレナさんとそういう生活をしてるのを見て、憧れていたんです」


「フフフ、素晴らしいアイデアだけど、今回は遠慮させて貰おうかな。日の光を浴びることができない身体で、自然の恵みをあてにするというのは、あまりにリスクが大きい」


「……すみません」


 テルミットがしゅんとした。


「謝ることはないよ。他に思いついたものがあったら、どんどん教えてくれたまえ」


「はい!」


 また山に籠ろうか。東はどんなところなのか。などと話しているうちに、すっかり準備は終わってしまった。






 出発当日。屋敷を出る前に、最後にぐるりと一回りしようと提案した。


 エレナとしても同じ気持ちだったらしく、テルミットの提案を快諾した。


 出発する際には、屋敷に火を放ちすべてを処分することになっている。


 そして、それはエレナとの思い出の詰まったこの屋敷を二度と拝めないことにほかならず、離れる前に最後に目に焼き付けていこうというのだ。


 書庫を訪れたテルミットが、ぽつりと漏らした。


「もったいないなぁ」


 貯蔵されている大量の書物は、かさばることから、その大部分は置いていくこととなった。


 本は貴重品でもあるので、町へ持っていけばけっこうな金になる。

 だが、今町へ行くというのはリスクが大きく、エレナが許さなかったことから断念していた。


 これだけの書物を残し、あまつさえ処分するというのだから、底辺冒険者でひもじいを続けてきたテルミットとしては身が引き裂かれる思いであった。


「魔導書も、まだ全然読んでいないのにな……」


「安全には代えられないよ。それに、欲しいのなら、後で複写してあげるよ」


「そんなことができるんですか?」


 エレナが誇らしげに主張の乏しい胸を反らせた。


「魔導書の内容はすべて暗記しているからね。……あ、魔導書を出版して食べていく、というのも悪くないかもしれない」


「それじゃあ、僕は完全にエレナさんのヒモですね」


 テルミットが力なく笑う。


 とはいえ、冒険者をしていた頃も、エレナが魔法で大量に栽培した薬草を売るだけの生活だったので、現在とそう大差ない。


 つくづくエレナに頼りっぱなしなのだと思い知らされる。


「魔導書は置いていくけど、これは持っていくからね」


 エレナが懐から一枚の紙を取り出した。


 まじまじと眺め、テルミットが顔をしかめた。


「うっ、それまだ取ってあったんですか」


 それは、以前テルミットが文字の練習に使った紙だ。ミミズの這いずり回ったような字でエレナの名前がびっしりと書かれており、遠目には呪いのアイテムのようにも見える。


 テルミットとしてはとっくに処分したものと思っていたが、エレナが大事に保管していたらしい。


「テルの思いがこもっているんだ。そう簡単に手放せるわけないだろう」


 ちらりとウインクをする。


 エレナは気軽に言っているが、テルミットとしてはたまったものではない。何を好き好んで、自分の汚い字で、好きな女性の名前を書いてしまった紙を残すというのだろう。


「お願いですから捨ててくださいよ……。名前だったら、後でまた書いてあげますから……」


「おや、その様子だと、陰でこっそり練習していたと見えるね。どれ、練習の成果を楽しみにしておくとしようか」


 自分の失言に気づき、テルミットが赤面した。


 エレナに紙を捨ててもらえる日は、まだまだずっと先になりそうだ。






 書庫を離れ、今度は風呂場を訪れていた。


 浴槽は水を張っておらず、普段とは違う光景にどことなく違和感を感じてしまう。


「服を着ながら浴室に来るのって、なんかだかヘンな感じがしますね」


「そうだね」


 落ち着きがなさそうにソワソワしだすテルミット。


「どうかしたのかい?」


「いえ……」


 思えば、ここではいろいろなことがあった。


 出会って間もないエレナに自分の心情を吐露してしまったり、慰めてもらったと思ったら粗そうをしてしまったり。


 ここは恥ずかしい思い出が多すぎる。


 テルミットが一人悶々としていると、エレナが風呂椅子の一つに腰を下ろした。


「そういえば、テルはいつもここに座っていたね」


 テルミットのお気に入りの席を占領すると、挑発するように足を組む。


 そんなエレナに対抗して、テルミットも腰を下ろした。自分の隣の席でもあり、彼女のお気に入りの席でもある。


「そういうエレナさんこそ、いつもここに座っていましたよね」


「おや、ボクの席が取られてしまったな」


 少しも困ってない様子のエレナに、テルミットが勝ち誇る。


「ふふふ、先に僕の席を取ったのは、エレナさんですからね!」


「そっちがその気なら、特等席に移るとしようかな」


 テルミットは首を傾げた。特等席。そんなものがあっただろうか。エレナが風呂場に来たときは、いつも必ずここに座っていたはずだが。


 エレナが立ち上がると、テルミットの膝の上に腰を下ろした。


「な、ななな」


 小さく柔らかなお尻が、心地いい重さで押しつけられる。必然的に密着するような体制となり、テルミットの身体にささやかな双丘が触れた。


 ふわりと銀色の髪が甘く香る。すぐそばに迫る緋色の瞳がテルミットを見上げた。人形のようなエレナの顔を見て、改めて綺麗な人なのだと思い知らされる。


「やっぱりここは落ち着くね」


「特等席って、ここですか!?」


「ダメだったかい?」


「ダメというわけでは……ないですけど……」


 テルミットの抗議も尻すぼみとなって消えていく。


 膝から伝わる体温が、テルミットにも伝播する。


 テルミットの反発とは裏腹に、己の分身であり男の象徴たるそれが、聖戦を告げる旗のように勇ましく立ち上がった。


「おやおや」


 エレナがどこか嬉しそうに呟く。


 彼女のお尻にそれを押しつけてしまっているというのに、エレナを引き剥がすことがでないでいた。


 それほどまでに、膝から伝わる彼女の重さが。お尻が。髪が。香りが。身体が。柔らかさが。彼女のすべてが心地よかった。


 そんなテルミットの苦悩を知ってか知らずか、エレナがそっと太ももを撫でる。


「辛そうだね……。楽にしてあげようか?」


「だ、大丈夫です! 放っておけば、すぐに収まりますから!」


「気にすることはないよ。席代くらいなら払うさ」


 細く、小さな手が太ももを撫でる。くすぐったいような、気持ちいいような、不思議な感覚。


「だ、ダメですって、こんな……」


 頑なに拒むテルミットに、エレナは憐れむようにため息をついた。


「まったく、素直じゃないご主人様を持つと苦労するね。ボクなら絶対にそんな思いはさせないのに」


 テルミットの説得を諦めたエレナが、分身に語りかけるように囁いた。


 返事の代わりに、強く、固く、大きくなる。まるでエレナの言葉に意思表示をするかのように。


「んっ……」


 当たりどころが悪かったのか、エレナが吐息を漏らした。


 触れる場所をずらそうと、エレナが移動を始める。小さなお尻が、テルミットの膝の上で踊った。


 もう、我慢の限界だった。






 最後の風呂をじっくり堪能すると、二人は屋敷の外へ出ていた。


 あらかた屋敷の内部を見て回り、最後に訪れる場所に庭を選んだのだ。


「ここでエレナさんと出会ったんですね」


 庭先に置かれたガーデンテーブルを撫でる。


「そうだね。あれは実に運命的な夜だったよ」


「本当はエレナさんが仕組んでいたんですけどね」


「いつの世も、運命というのは神に仕組まれたものさ。ボクはただ、神の手を煩わせる前に運命を引き寄せたにすぎないよ」


 神をも恐れぬ傲慢な発言に、テルミットは苦笑した。


「聖騎士が聞いたら怒り狂いそうですね」


 テルミットが庭に視線を移した。


 草木が彩り、季節の花が咲き乱れている。テルミットとしてもお気に入りの場所であるため、ここが失われてしまうのは惜しい。


 なんとか残しておくことはできないだろうか。


 テルミットがぽつりと尋ねた。


「……ここも燃やしちゃうんですか?」


「もちろん。例外はないよ」


「やっぱり、お庭くらいは残しておきませんか?」


「嫌だね」


「い、嫌……ですか?」


 予想に反して強い言葉で返され、テルミットは困惑した。


「ここはボクとテルの思い出が詰まっているんだ。誰かに土足で踏み入られるなんて、我慢ならないね」


「思い出の場所だからこそ、残しておきたいといいますか。もしまたここに戻るようなことがあった時に、お庭だけでも残っていた方が嬉しいじゃないですか」


「その頃には、草木が野放図に生えて、原型なんて残っていないよ。どうせ失われるのなら、ボク自身の手で引導を渡したい」


「でも……」


 なおも食い下がろうとするテルミットに、少し強い言葉をかける。


「形あるものはいつか壊れる運命だよ。その時が、少しだけ早くなっただけさ」


「……わかりました」


 テルミットがしぶしぶといった様子で従う。


「でも、できるだけ記憶に焼きつけておきたいんです。……だから、庭を燃やすのは、最後にしてもらえませんか?」


「それくらいなら、お安い御用さ」


 エレナがにこりと微笑んだ。






 荷物を外へ運び出すと、エレナが魔法で火を放った。


 屋敷の内部には油がまかれている。一度火がついてしまえば、あっという間に炎に包まれるだろう。


 短い間だったとはいえ、ここで過ごしたことは、テルミットにとってかけがえのないものになっている。


 今までの人生で、最も濃密で、最も幸せな時間だった。


 炎に包まれる屋敷から目を離し、隣のエレナに視線を移した。緋色の瞳に炎が映る。まっすぐに屋敷を見つめ、その最期を見届けようとしていた。


 そんな彼女の横顔を眺めながら、ぽつりと呟く。


「本当に、全部燃やしちゃって良かったんですか?」


「手放すには惜しいものばかりだけど、このまま放置して連中の手に渡るのも業腹だからね」


 それに、とエレナが付け足す。


「本当に大切なものはここにあるからね」


 エレナがテルミットの手を握り、力強く微笑んだ。


 釣られてテルミットも微笑む。


 これから先のことなどわからない。


 だが、この先どんなことが待ち受けていたとしても、彼女となら乗り越えていける。


 そんな希望が、テルミットの胸を静かに満たしていた。

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