32.幼馴染み、教室で
放課後。
俺を呼び出した空は、教室の窓際、俺の机に腰を掛けて座っていた。
蛍光灯の電気を落とした教室の中は夕焼けに赤く染まっていて、寂しい印象を受ける。
他の生徒は教室の中にも、今通ってきた廊下にも誰もいない。
机の端から僅かに垂れるスカートと、そこから覗く空の脚が眩しい。
そんな空が俺の気配に気づいてこちらを向く。
「来てくれたんだ」
そう呟いた空の台詞には、安堵の他に僅かな別の音色が混ざっていた。
「そりゃ、呼ばれたらな」
言いながら俺もその後ろの机に腰を掛けて空と視線の高さを合わせる。
視線を外へと向ける空につられて、俺も顔を窓へ向けた。
誰もいない教室で、空と二人きり外を眺める。
校庭には部活動をしている生徒たちの姿が見え、野球部の金属バットを叩く音が時折ここまで聞こえてくる。
「それで、なんの用なんだ?」
聞いた俺に空は答えず、視線を外に向けたまま口を開く。
「今日も暑いわねえ」
「これからもっと暑くなるぞ」
「だったら水着買いにいかなくちゃ」
弾んだ声でそう言う空に答える。
「海もプールも付き合わないぞ」
「別に翔に付き合えなんて言ってないわよ?」
たしかに、そんなことは一言も言われてないし、空には一緒に海に行く友人くらい何人もいるんだろうけど、自然に連れていかれるものだとばかり考えていた。
「新しいのは何色にしようかしら」
「水色とかでいいんじゃね」
「もし買ったら見せてあげましょうか」
「別に興味ねえよ」
なんて答えてもいまいち話に身が入らない。
「翔の夏の予定は?」
「ゲームして寝てゲームかな」
「もうちょっと青春らしいことすればいいのに」
そう言われて、もしかしたら今年は去年よりも青春らしいイベントが起こるかもしれないと不意に思う。
それはきっと空以外との出来事の予感で、嫌ではないんだけど、少し違和感を覚える。
俺の夏は、いや夏以外も俺の時間はほとんど空と一緒の時間だったから。
「ねえ、翔は好きな人いる?」
「つい最近も同じ話しなかったか?」
「いいから、答えて」
その口調は軽いもので、でもまっすぐ見つめられた視線に答えをふざけられない。
「……、いない」
「そっか、よかった」
それはどう意味なのか、聞く前にもう一度空が口を開く。
「ねえ、翔」
「どうした、空」
「あたし、翔のことが好き」
さらりとそう言った空の言葉を飲み込むまでに時間がかかった。
そして言葉の意味を理解してもいきなりのことに思考が追いつかない。
「それは、なんの冗談だよ……」
それに、冗談だとしたら、とてもたちの悪い冗談だ。
「冗談じゃないわよ」
「翔が楽しそうに他の子の話をするとき、胸が苦しくなった」
「翔と一緒にいて、笑顔を見れると嬉しかった」
「あのとき、断ったことをずっと後悔してた」
「だから、あたしは……、翔のことが好き」
笑顔を作ったまま、見つめる空の目は真剣で、冗談ではないことが伝わってくる。
「そうか……」
空が真剣なら、俺も真剣に答えないといけない。
「すげえうれしいよ」
本当に、心の底からそう思う。
でも、
「お前が好きだった頃の気持ちを……、もう思い出せねえよ……」
絞り出した言葉は短く、最後は声がかすれていく。
空と一緒にいて、楽しいと思う度に胸に刺さる痛みが辛かった。
空が俺のために一緒にいてくれたことは知っている。
だけどその自分を犠牲にする献身が嫌いだった。
そしてその献身を拒絶することも受け入れることもできない自分が嫌だった。
好きだった相手に告白されて、今でもうれしい。
でも、だからと言って、空と恋人になって、幸せだと言えるようになれるとは思えない。
もし二年前のあの時に、そう言われたなら涙を流して喜んだだろう。
だけど、もうあの時とは違う。
お互いの時間を戻すことはもうできない。
だから俺の口からは、否定の言葉しか出てこない。
その言葉を聞いて、空が短く呟く。
「そっか、……ごめんね」
そう言って空は、どこか寂しそうに笑った。
一緒に帰ると気まずいから、なんて言って教室から見送った翔の背中が消える。
そして翔の席に腰を下ろしたまま、ふーっと息を吐いた。
目を閉じて思い出すのは翔の姿。
二年前のあの夏の日、きっと断られるなんて思っていなかった翔の驚きに満ちた表情をまだ覚えている。
翔が今みたいになったきっかけはあたしにフラれたから。
だから、きっと、あたしが翔に告白して二人の関係に区切りをつけたら、恋愛にも前向きになれる。
今の翔の周りには素敵な子が沢山いるし、きっとその子たちが翔のことを好きになってくれる。
それにあたしに、翔の恋人になる資格なんて無いんだから。
この告白はあたしの罪滅ぼし。
だからこれでよかったはずなのに。
でも、なんでだろう。
涙がとまらないよ……。
まぶたを開けても視界はぼやけて、拭っても、拭っても、流れる涙は止まらなくて滝のように零れていく。
「……っ」
痛みに耐えるように体を折り、両手で顔を覆うと、ついに嗚咽が漏れた。
その気持ちを抑えようとすればするほど、余計に感情が溢れてくる。
「うっ……、うあああぁぁぁっ」
あたしは、本当に、翔のことが好きだったんだ。
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