06.お嬢様、マック
「翔さん」
もう聞き慣れたその呼び方に、俺も自然に名前を呼ぶ。
「どうしたの、ほのか」
「翔さんは、なにか食べたいものはありますか?」
放課後にもう何度目かの夕食の誘いを快諾して、並んで学校を出たところでそんな風に聞かれた。
「特にリクエストはないかなあ」
というか、ほのかの行きたいお店に付き合うという認識で自分ではなにも考えていなかった。
「そうですか」
少し残念そうな声色のほのかに、いつも選ばせてばかりじゃ申し訳ないかなと頭を捻る。
「思い付くのはカレーとかマックとか牛丼とかかなあ」
なんとも気の効かないダメ男みたいなチョイスで申し訳ない。
後輩辺りに言ったら「もうちょっとマシな候補はないんですか?」と苦言を呈されそうなラインナップである。
まあほのかがいつも希望してるリクエストと大差ないだろと思うかもしれないけれど、彼女自身が提案して俺が付き合うのと、俺が提案するのじゃまた別なんだという感覚は伝わるだろうか。
なんて俺の心の中の言い訳をよそに、ほのかが俺のリクエストのひとつに興味を示す。
「マクドナルド、以前から行ってみたかったんです」
たしかにマックも女性一人じゃ入りづらい場所だと思うけど、予想外のところに興味を示されてちょっと驚く。
まあでもほのからしいっちゃらしいかな。
「じゃあそこにしようか」
「はいっ」
勢いよく返事をするほのかは本当に楽しみなようで、背中に羽根が生えたみたいに足取りが軽やかだった。
「このお店では注文してから自分で運ぶんですね」
トレイを受け取って、並んで店内を歩くほのかが感心したように呟く。
たしかにほのかが普段行っていそうなお店にこういう形式は無さそうだ。
「カウンターでも大丈夫?」
「はい」
テーブル席が埋まっているので、窓際のカウンター席に腰を掛ける。
ほのかの目の前のトレイにはビックマックのセット、俺のトレイにはダブルチーズバーガーの倍マックのLセットとアップルパイが二本載っている。
ちなみにほのかのビックマックは、なにを頼むか迷っていたので俺が勧めたもの。
その注文をするときに、「ナイフとフォーク無くて大丈夫?」と聞いたら「そこまで世間知らずじゃありませんよ」と笑いながら返されたりもしたけど。
わりとそういう固定概念があったんだけど、どこかで見かけたネタだったかな?
等間隔に固定されたカウンターの椅子は、必然的に普段並んで歩いているときよりも距離が近くて少しだけ緊張する。
座って腰より上だけの差だと、普段の半分しか視線の高さに差がなくて顔も近ければ胸も近い。
更に椅子の位置のせいで机に近く、自然に机に乗って持ち上げられているほのかの胸はすごくすごい。
こんな漫画みたいになるんだなあ。
そんな視線をほのかに気づかれる前に無理矢理剥がして、目の前のトレイに視線を戻した。
「それじゃあ食べようか」
「はい、いただきます」
「いただきます」
俺が包みを開けるとほのかもビックマックの箱を開けて、わっと感嘆の声を漏らす。
そしてそれを持ち上げて一口食べてからこちらを見る。
「あまり大きく口を開くのは、少し恥ずかしいですね」
と口元を手で隠すほのかの仕草がかわいい。
「たしかに女子はそうかもしれないね」
なんて女子の友人なんてほとんどいないからわからないけど。
「でもビックマック美味しいです」
「それはよかった」
実際マックが口に合うかは不明だったので結構心配してたんだけど、この反応なら大丈夫かな。
普通のハンバーガーとかチーズバーガーを勧めたほうがいいかとも迷ったんだけど、量的にビックマックの方がいいかなと思った判断が結果的に功を奏したようでよかった。
「あと月見バーガーも個人的に好きなんだけど、残念ながら期間限定なんだよね」
「そうなんですか」
月見の時期はそれを目当てにマックに来るくらいなんだけど、あれがメニューに載るのは九月くらいだからまだ二ヶ月ほど時期が早い。
「そちらも一度、食べてみたいです」
「またその頃になったら一緒に来ようか」
「はいっ」
と嬉しそうにしてくれるのは光栄ではあるんだけど、俺と一緒に食べに来るくらいでそんなにと思ってしまう。
まあだからといってその過大評価を訂正する上手い手段も思い付かないんだけど。
そのままポテトとドリンクも口に運び、ほのかとほぼ同じタイミングで完食する。
ちなみにほのかのポテト評は塩気が強いけど美味しいけどカロリーが気になる、とのこと。
そして俺が最後に残ったアップルパイの包みを開けると、黄金色に焼けた生地が姿を現す。
久しぶりに頼んだけどやっぱり旨そうだなと思っていると、隣で黙ったままこちらを見つめる視線に気付いた。
「一口食べる?」
「よろしいんですか?」
「もちろん、熱いから気を付けてね」
包みから取り出したアップルパイをほのかへと差し出すと、遠慮がちに口に咥えるその姿がなんかもう色々ヤバい。
そして、口に含んだほのかがパリパリと音をさせながらアップルパイの皮を噛んで切ると、中の熱さに息を吐いた。
「んっ……。おいしいです」
その感想は本当に美味しそうで、こっちまでその感情が伝わってくる気がする。
「もう一口いる?」
「よろしいんですか?」
「もちろん、遠慮しなくていいよ」
「ありがとうございます」
と感謝をされるけれど、ありがとうと言いたいのはこっちの方だった。
もちろん言わないけど。
そのまま二口目を含んだほのかが、もう一度同じように息を吐く。
「ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
と言葉を返して、そのままアップルパイを口に咥える。
ほのかが美味しそうにしていたけれど、時分で食べても口の中に広がるリンゴの甘さはやっぱり旨い。
「あっ……」
「どうかした?」
「いえ、なんでもありません……」
否定したほのかの顔が少しだけ赤くなっているような気がする。
その原因はなんだろうと考えてみて、もう一度訊ねてみる。
「もう一口食べる?」
「そ、そちらをですか?」
「うん、気に入ったのかなと思って」
「はい、それはそうなんですが……」
「遠慮しなくていいよ?」
「あまり食べると体重が心配なので、お気持ちだけいただいておきますね」
「そっか」
固辞されたので諦めて自分で残りを食べる間、なぜかほのかが熱い視線を向けてきているのが気になった。
アップルパイも完食して、そのままほのかと今日の学校での出来事を話していると、目の前の窓ガラスの先のすっかり暗くなった街路を歩く人影が目に留まった。
「ほのか、あれ見て」
視線を促した先には、クラスメイトが男女でふたり。
手を繋いで仲良さそうに歩いている。
「お二人はお付き合いしていたんですね」
ほのかが視線を向けて興奮気味に言う。
「青春だなー。若々しくて羨ましい」
「翔さんも同い年じゃないですか」
「実は俺は、一年留年してるから歳上なんだ」
「そうだったんですか!?」
「うん、嘘だけど」
「え? ええっ?」
表情を変えずに答えると、混乱して頭の上にクエスチョンマークを浮かべるほのかが純真すぎて癒される。
その時一瞬だけ、外を歩くクラスメイトの彼と目があった気がした。
だけどそのまますぐに視線を隣に歩く彼女に戻した彼は、こちらに気付いたのかはわからない。
まあ気付いても気付かなくても、彼には恋人との時間の方が大切だったのかもしれないけれど。
翔さんと並んでお店を出て向かい合う。
「それじゃあ帰ろうか」、と言われて私は「はい」と返し、その時ふと先程見た手を繋いだクラスメイトの仲睦まじい姿を思い出す。
隣を歩く翔さんとの距離はほんの数センチ。
手を握ろうと思えばすぐにもできるその距離で私は思う。
私たちも、今の姿をクラスメイトの方が見たら恋人同士に見えるでしょうか。
その答えはきっと……。
「翔さん」
「どうしたの?」
「月がきれいですね」
空に浮かぶ月は白く輝く満月で、お月見をしたくなるくらい綺麗な姿を夜空に浮かべている。
「そうだね」
心から感嘆の声をあげる翔さんの隣で、私は月ではなくその横顔を見つめていた。
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