02.妹、ドライヤー
玄関の鍵が閉まっていないのを感触で確認して、そのまま扉を開けて家に入る。
「ただいまー」
声をかけながら靴を脱ぐと、キッチンの方から「お帰りなさい」と母さんの声が聞こえる。
その声に、夕食はまだ先かな、と思ってリビングに入るか自室に荷物を置いてくるか考えると、洗面所のドアが開く。
現れたのはシャツ一枚で髪を濡らしたかなの姿。
「おかえりなさい……、おにいちゃん」
「ただいま、かな。お風呂入ってたのか」
俺の質問に、かながこくりと頷く。
「今日は……、暑かったから」
なんてかなの台詞に、もう中学三年生で来年は高校生だもんなぁと思う。
昔はよく外で汚れるのも気にせず走り回って一緒に遊んだのに、と思ったけどよく考えたら俺と空でかなを連れ回してただけだったわ。
「おにいちゃん」
「ん?」
「ドライヤー、してくれる……?」
「いいぞ、ちょっと待ってな」
かなのお願いに頷いて、荷物をリビングに置いてから一緒に洗面所に入る。
さっきまで使われていた浴室から湿気が漏れて、体感温度が数度は上がったのを感じた。
手洗いとうがいを済ませてからドライヤーを受け取って電源を入れ、目の前に立つかなの髪へと風を当てる。
ブオオオオと喧しいドライヤーを横に構えて、かなの背中まで伸びる柔らかい黒髪を指で持ち上げ、傷付けないように優しく水気を払っていく。
鏡に映ったかなは目を瞑ったまま気持ち良さそうな表情をしていて、その顔を見ながらやっぱりかなはかわいいなあなんて感想を抱く。
幸いこの歳になっても反抗期が訪れないかなと、兄妹仲良くできているので、このまま一生反抗期は来ないでほしい。
かなの身長は小学生並みで、お互い立ったままでも俺の肋骨の辺りまでしかないかなの頭は撫でるにはちょうど良い位置にあってドライヤーもかけやすい。
よく考えると180越えてる俺と140切ってるかなで身長差が凄いけど、生活習慣や食事に大差はないので遺伝子の悪戯だろうか。
ちなみに鏡越しに見える薄手のシャツにできている平面も小学生並みというか小学生以下だけど、これを本人に言うととても悲しそうな顔をするので口を滑らせてはいけない。
「おにいちゃん……」
「どうした、かな」
急に声をかけられて焦ったけど、考えていたことがバレた訳じゃないらしい。
「今、お腹鳴ったの、聞こえた?」
「聞こえなかったから安心していいぞ」
そもそもドライヤーの音が五月蝿くて、腹の音どころか囁くような音量のかなの声もぎりぎり聞き取れるレベルなんだけど。
「よかった……」
安心する表情がまたかわいくて、よしよしと頭を撫でるとかながくすぐったそうに目を細める。
「そろそろ飯出来てるかな」
「まだ、だと思う……」
「じゃあゲームでもするか」
「うん」
かなの返事と共に髪を乾かすのを終わらせて、つむじから毛先までひと撫でする。
「かなの髪も随分長くなったな」
俺の言葉に、かなが鏡越しに視線を合わせて俺を見つめた。
「おにいちゃんは、短い方が好き?」
「俺はかなの髪が好きだぞ」
長くても短くてもかなの髪は綺麗。
まあここまで伸ばした髪を切るのはもったいないと思わなくもないけど。
「そっか……」
小さく呟いたかなと一緒にリビングに戻ってソファーに腰を下ろす。
母さんに確認するとやはり夕食まではもう少しかかるということで、ゲーム機の電源を入れた。
ちなみに俺が一人で遊んでるとすぐ注意されるのにかなと一緒だと全然注意されないのは差別だと思う。
「それは、差別じゃなくて区別だと思う……」
と、かなの台詞が心に刺さる。
ちくしょうなんて時代だ。
なんて冗談は置いておいて、二人でゲームを遊んでいく。
俺の得意分野がアクションゲームなのに比べて、かなはパズルゲームが得意なのでどのゲームを選んでもあんまり良い勝負にはならないんだけど、それでも一緒に遊んでいると楽しいから不思議。
そのままソファーに並んで座ってゲームを続けていると、一段落したところでかながこちらを向く。
「おにいちゃん、今日は、元気ない?」
「そんなこと無いぞ」
とまあ自覚はないけれど、そう言われれば心当たりはある。
どちらかと言えば元気がない、というよりは感傷的になっている、って感じだけれど。
その答えに不満があるのか疑問があるのか、かなが俺と視線を合わせる。
「おにいちゃんは、好きな人、いる?」
「どうした急に」
聞き返した俺の言葉には答えずに、かなが首をかしげて再び聞く。
「いる……?」
かわいい。
ってそうじゃなくて。
「今はいないかな」
一番最初に思い浮かんだ相手を、俺は自信をもって好きだとは言えない。
そして、それ以上の質問をされると答えに困ることがわかりきっているので逆に聞き返す。
「かなは好きな相手とかできたか?」
オウム返ししただけの言葉に、かなが小さく頷いて聞いたこっちが驚いてしまった。
「本当に?」
「うん……」
「そっかあ、同じ学校の生徒か?」
「恥ずかしいから、秘密……」
答えを誤魔化すということはやっぱり同じ学校の相手なんだろうか。
できることならどんな相手か確認したいけど、聞いても答えてはくれないだろうな。
「それじゃあ、もしかなに恋人ができたら紹介してくれるか?」
「うん……」
もし相応しくない相手だったら埋めよう。
「おにいちゃん……?」
俺の不穏な考えに気付いたのが、かなが首を傾げる。
「ああいや、なんでもない」
不思議そうな顔をしたかなの頭を撫でると、かなは気持ち良さそうにその手に身を委ねる。
「かなはかわいいからきっとすぐ恋人も出来るぞ」
「…………、ありがと」
そこで感謝するのは正しいのか若干疑問だけどまあいいか。
「おにいちゃんも、かっこいい、よ……」
「ありがとな」
そんな風に言ってくれるのはかなくらいで、客観的な評価としては一ミリも当てにならないけど、それでもその気持ちが嬉しい。
だから、かなの言葉にちょっとだけ勇気をもらえたかな。
翌日。
とんとんとん、と階段を上り、部屋に入る。
しんと静まり返った部屋の奥、人影が横になっているベッドの脇に立つ。
そしてうつ伏せに寝ていた彼女がゆっくりと顔をあげた。
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