03.幼馴染み、部屋の中

とんとんとん、と自分の家とは違った木目の階段を上り、二階の部屋をノックする。


昼過ぎの廊下はまだ暑く、中から返事が聞こえる前にドアを開けた。


うっすらと爽やかなレモンの香りが鼻をくすぐって、部屋の女子らしさを感じる内装に少しだけ心が跳ねる。


そんな気持ちを抑えてベッドに寝ている部屋の主の脇に立つ。


「お母さんー……?」


うつ伏せに寝たまま声をあげて、ダルそうにこちらを見上げた空がの動きが止まった。


「翔っ!?」


驚きを表情に浮かべてがばっと身体を起こす空にちょっとだけしてやったりな気分。


「なにしに来たのよ」


嫌そうな声と顔。


そんな顔されると俺が傷つくぞ。


はい、嘘です。


「ひとりじゃ勉強やる気にならないから会いに来たんだよ」


持ってきた勉強道具を掲げると、空が眉を潜める。


「そんなの、ひとりでやればいいじゃない」


どこか投げやりに言う空に顔を寄せる。


ベッドに膝をのせてお互いの距離を詰めると、空が体を後ろに反らせて壁に背をつける。


そして俺は空が逃げられないように壁に手をついて、視線を合わせた。


「空は俺と一緒にいるの嫌か?」


これはいつかの空の問いかけの逆で、絶対に否定をされないジョーカー。


だってあの時に空を受け入れた俺を、今の空が拒絶できないから。


「嫌、……じゃない」


そしてやっぱり空は、あの時の俺と同じように答えた。


「よかった」


たとえ断られないだろうと思っていても、やっぱり実際に答えを聞くまでは安心できなかった心が少しだけ軽くなる。


そして冷静になって、今の状況と気まずそうにしている空の表情に気付く。


(あっ、これ壁ドンだ。)


なんて感想は今は置いておいて、腰を引き空に手を差し出した。


「ほら」


と促して、手を引きベッドから立ち上がると、勢い余ってお互いの体が微かに触れる。


その柔らかい感触に、少しだけ泣きそうになったのは秘密。


一歩下がって体を離し、なんでもないような顔をして座布団に腰を下ろす。


「それじゃあ勉強しようぜ」


「はいはい」


渋々のように頷いた空も、 表情に呆れと嬉しさが混ざっていたように見えたのは気のせいじゃない、と思いたい。


ふたりでテーブルへ向かい、教科書とノートを広げる。


空の雰囲気はいつもよりちょっとだけ硬くて、それでも質問したらちゃんと真面目に教えてくれた。


「ここの問題は?」


「そこはこっちの公式を使うの」


「なるほど」


勉強している間に無駄話はなく、ページを捲る音だけがリズムよく続いていく。


「じゃあこっちは?」


「それは前の問題の応用ね」


「あー」


教えられた通りに問題を解き始めると、空が不思議そうな顔をする。


「なんか翔、今日はいつもより真面目ね」


「褒めてもなにも出ないぞ」


なんて冗談めかして見てもふざけてないのは本当のことで。


その理由のひとつは、空と一緒にいる時間が前よりも大切に思えるようになったから、かな。


あと、やるべきこととやりたいことが見えたから、かもしれない。


「それよりなにか音楽流そうぜ」


促して、空がスマホをスピーカーに繋げる。


流れてきた曲は前にも空に聞かせてもらった曲だった。


「この曲好き」


「あたしも好きだけど、聞いてないでちゃんと勉強しなさいよ」


「わかってるって」


というか俺の音楽の趣味の何割かは空の影響だと自覚すると、今更ながら不思議な気分になる。


もし空がいなかったら、そうでなくても同じ高校でなかったら自分がどんな風に生きていて何を好きになっていたんだろうか。


おそらく自宅と学校を往復して家でだらだら過ごすだけの日々だったんだろうけど、たぶんその時は今みたいにほのかや会長達と接点を持つことも無かったんだろうなと思う。


一郎とは変わらず話してただろうけどそれくらいで。


まあもしもの想像なんてしても、あんまり意味のないことだけど。




「疲れたあぁぁ」


喉から捻り出したような声で呻いてペンを置き、横に倒れ込んで床に頬をつける。


三教科分を終わらせて今日の勉強はおしまい。


外を見ると来たときにはまだ真上にあった太陽が、角度をつけて窓から日光を差している。


もうすぐ空がオレンジ色に染まって、そのあとは外も涼しくなるだろう。


夏本番まであとちょっとだなぁ。


今年の夏はどんな風に過ごすことになるのか、まだわからないけど。


「お疲れさま」


ずっと真面目に勉強していたからか、空も素直に労いの言葉をかけてくれた。


ほんとに、空には感謝しないとな。


「空」


名前を呼ぶとテーブルの上から声が返ってくる。


「なによ」


「パンツ見えそう」


膝を折って座っている空のショートパンツの隙間から下着が見えそう、というか見えた。


そしてそれを指摘すると、空が勢いよく脚を閉じる。


「変なこと言うとあんた殴るわよ」


折角忠告したのにひどい。


というか見られたくないならそんなに短いパンツ履くなよ。


まあ今日は俺が部屋に襲撃してきたからアレだけど、いつもその格好で俺の部屋まで来てるんだし。


なんて思いながら空も勉強を終えた気配を感じて、体を起こす。


もう用済みになったノートとペンを片付ける途中で手を止めて、同じように片付けをしている空へ視線を向けた。


「なあ空」


俺の呼び掛けに、空が視線をあげずに答える。


「なによ」


「今日泊まってってもいいか?」


「はぁ? 良いわけないでしょ」


「だよなぁ」


まあわかってはいたんだけど。


「今日のあんた、テンションおかしいわよ?」


「それは自覚してる」


空に怪訝な顔をされて密かに思う。


本人には言えないけど、振って振られて、やっと対等な立場になった気がする。


このあとどうするにしても、もう今さら関係を無かったことにすることはできないんだから、お互い納得できる形を見つけるしかない。


その形がどうなるかは、まだ俺にもわからないけれど。


それでも痛みを感じずに一緒に居られるような関係を探したい。


それが今の俺の結論。


「つーか、空がいないと勉強する気にならないんだよ」


「なにそれ」


呆れたように笑った空の表情には少しだけ痛みが混じっている。


俺もきっと、あの時同じような表情をしてたんだろうな……。


だから俺はこの関係に答えを出さないといけない。


もしそれが、どういう答えになるとしても。

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