05.幼馴染み、勉強

「ただいま」


と声をかけて自室に入ると、そらがちゃぶ台に教科書とノートを広げて勉強していた。


部屋はエアコンが点いておらず、開け放たれた窓から入る風にカーテンが揺れて、それでも昼から残る熱に外よりも少しだけ暑く感じる。


いや、この熱は空のものなのかな。


「おかえり」


と座布団に座ったまま振り返って視線をあげる空の、女の子座りした太ももが眩しい。


空は部屋着のままこっちまで遊びに来るから心臓に悪い。


特に夏は平気でショートパンツ履くし。


「それで、大事な話って?」


かける、明日までの数学の宿題やった?」


全然大事な話じゃなかった。


「まだやってないけど、あとでやるよ」


「そんなこと言ってどうせやらないんでしょ。ほら、教科書開いて」


まあ実際やらずに夜中になって、そのまま寝る姿が見えるけど。


「わかった。着替えるからちょっと待ってろ」


タンスを開けて私服を取り出し制服を脱ごうとしたところで、空と目が合った。


「こっち見んなよ」


「今更気にするような関係でもないでしょ」


じゃあ空の着替えも見せろよ、とは流石に言えない。


もし空の部屋に遊びに行ったら着替え見れるのかなとはちょっと思うけど。


結局諦めてそのまま着替え、ちゃぶ台の空の向かい側に座る。


「それで、どれくらいやってあるの?」


「まあそこそこ」


実際は全くやってない。


空もそれを見透かして言う。


「長くなりそうね。とりあえず、教科書とノート」


指示された通りにバッグから一式を取り出して、宿題の最初のページを開く。


正直めんどくさいという気持ちもあったけど、こんな俺が人並みの成績を維持できているのは空のおかげという事実に感謝している部分もあった。


勉強を開始したからと言って特に教わったりするわけでもなく、二人で別々の宿題を進めていく。


そのまましばらく数学の宿題をしていると、ノックもせずに母さんが顔を出す。


「空ちゃん、いつもありがとね」


俺の向かいに座る空へ視線を向ける。


隣同士で両親同士からの付き合いのうちの家では、もはや日常のような光景だ。


「ごはん出来たから食べてって」


「はい、いただきます」


その誘いに人の気も知らないでと思いつつ、知らないから当たり前だし知られても困るという微妙な心情で、結局黙っていた。




夕食を済ませて、また空と一緒に部屋に戻ってくると、中の空気が涼しくなっているのを感じる。


というか、全く換気されていない廊下が暑い。


ちゃぶ台に向かい宿題の続きを始めて、途中で空がスマホを部屋のスピーカーに繋げて音楽を流し始める。


お互いに沈黙していると、結果的に宿題が捗って数学の宿題が手早く終わり、せっかくなのでそのまま別の宿題をバッグから引っ張り出した。


ノートを広げてシャープペンの先が触れたとき、ふと流れてる曲が耳に留まる。


「これなんの曲だ?」


「知らないの? 今人気のバンドよ?」


と、呆れた顔をする空にグループ名を教えられてもパッと思い浮かばず、俺も知ってそうな曲を、ということで一曲さわりを歌ってもらったところでやっとわかった。


「あの曲より今の曲の方が好きだな」


「じゃあとりあえずリピートにしましょうか」


「…………、さんきゅー」


言ったきりまた会話が途切れて、音楽と二人分のカリカリとペンを走らせる音が断続的に響く。


気付くと、外から微かに雨音が聞こえてきた。


それに合わせてなんだか頭が重くなってきた気がする。


髪の毛が湿気でも吸ってるのかな……。


なんてくだらないことを考えるのを打ち切って再び勉強に向かっていると、空がノートを閉じてスマホを持って腰をあげる。


「よいしょ」


掛け声と共に俺のベッドに登って、そのまま横になった。


「あー、疲れたー」


「寝るなら自分の部屋帰れよ」


「大丈夫、今からテレビ見るから」


いつの間にか持っていたリモコンを使ってテレビを点ける。


「テレビ見るならそれこそ自分の部屋に戻れよ……」


「翔が勉強サボるからだめー」


「ったく」


ちょうどテレビから流れてくるドラマを空がベッドに寝転んだまま眺める。


うつ伏せになって、ちゃぶ台を挟んでベッドと反対側にあるテレビを見る空は、必然的に俺の位置から胸元が見えそうになって……。


二重の意味で集中できない状況で、ドラマの声を聞きながら一時間が過ぎていった。


「面白かったー」


ドラマを見終わった空が体を起こし、ベッドから脚を下ろす。


「翔はどうだった?」


「勉強してたから知らん」


「嘘、だってさっきから問題進んでないじゃない」


気付いてたのかよ。


「……、面白かったな」


「だよねっ」


満足げに笑って熱心に感想を語ったあと、やっと帰る準備を始めた空と一緒に階段を降りると、母さんがリビングから顔を出した。


「雨降ってるから、空ちゃん送ってあげなさい」


俺は飲み物を取りに来ただけなんだが……、文句を言っても無駄なのはこの家での自然の摂理なので、空と別の傘を差して外に出る。


我が家のヒエラルキーは俺<空なのだ。


雨の勢いは強くはないがそのまま外を歩けるほど弱くもなく、結局空の家の前まで見送って、玄関で貸した傘を受けとる。


「送ってくれてありがと」


振り返って、礼を言ってはにかむように微笑んだ空。


その甘酸っぱい表情に、不意に心が奪われそうになる。


「どういたしまして」


その気持ちをどうにか抑え込んで、俺は表情を変えずに家へ戻った。


玄関を開けて傘を片付け、階段を上る。


「はぁ……」


部屋に戻って息を吐いてもその気持ちは落ち着いてくれない。


正直、今でも空のことは嫌いじゃないし、一緒にいて楽しいと思うこともある。


でも、だからこそ、あの時の事を思い出すと胸が痛くなる。


揺れるカーテンに気付いて、窓を閉めようと近寄ると、その向こうに空の部屋の明かりが点くのが見えた。


声をかければ届きそうなこの距離が、今ではとても遠く感じる。


外に降り続く雨は、止む気配がなかった。




そこから視線を剥がして部屋に戻すと、スマホの通知が光っているのに気付く。


メッセージの相手は後輩だった。


『明日ちょっと付き合ってもらえませんか?』

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