09.お嬢様、朝の挨拶
「おはようございます、
その瞬間、クラスがざわっと動揺した。
「おはよう、
席に座った俺の正面、少し視線を上げると立ったままの小海さんと目が合う。
彼女の整った顔立ちと礼儀正しい物腰、世間ずれしていない性格にクラスの男子の間で密かに不干渉条約が結ばれている。
もしそれを破ったら、「貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ(パパパパーウ)」って感じで吊るされかねない。
ちなみに女子からは保護対象に認定されていて、もし無礼を働こうものなら窓から投げ捨てられるかもしれない。
その小海さんが挨拶をしたあとも、なぜか自分の席に行かずに俺の前に立っている。
「あのっ」
小海さんが持っていたスマホを両手でぎゅっと握る。
「連絡先を教えていただけませんかっ?」
あっ、俺死んだ。
自分の運命を悟るくらい濃密な殺意が身体中を突き抜ける。
それでも、意を決してそう言った小海さんの勇気を無視することはできなかった。
「わかった、LINE入れてる?」
「はいっ」
俺の返事に小海さんの表情に笑顔の花が咲く。
というかこの空気に気付かない小海さんは鈍感なのか、それともそれだけ緊張しているのか。
俺に連絡先聞くだけでそんなに緊張する理由はないと思うけど。
というか連絡先をなんで聞いてきたのかも謎だけど。
「それでは、失礼しますっ」
「うん」
連絡先を登録して席に戻っていく彼女と、そこに挨拶を交わすクラスメイトの女子たち。
一方俺の周囲には360度から注目が飛んできて、ある意味誰も近寄れない不干渉領域が出来上がっていた。
あんまり騒ぎ立てて、小海さん本人に気付かれるのを
「おーっす」
そんな空気に気付かずに野球部の朝練から遅れて教室に入ってきた
そのまま目の前の田中さんの席に腰を下ろし、半身になってこちらへ話しかけてくる。
「今日も朝練きつかったぜー」
「お疲れ、チョコ食うか?」
「サンキュー」
針のムシロの空気を和らげてくれる救世主に捧げ物を渡して心の中で拝む。
ちなみに感謝の印はチロルチョコ(20円)。
一郎が包みを剥くのを見ながらピコンとスマホが鳴って、画面が見えないように角度を立ててからメッセージを覗く。
『よろしくお願いします』
やっぱり文章でも丁寧な小海さんのメッセージのあとに、かわいいスタンプが貼られている。
『こっちこそよろしく』
返事を送るとすぐに既読がついて、視界の隅にも小海さんがスマホとにらめっこしているのが見えた。
「なにニヤニヤしてるんだ?」
指摘されて顔が緩んでいたのに気付き、それを引き締めながら画面を覗こうとしてくる一郎をブロックする。
「ニヤニヤなんてしてない」
「でもいま……」
「うるさい黙れ」
ちなみに俺と一郎のこんな感じは平常運転。
『異性の方とLINEするのは初めてで少し緊張します』
文面からも緊張が伝わってくるようで、空に言われたことを思い出す。
優しくしなさいよ、か。
『気軽に送ってくれていいよ』
『はい、嬉しいです』
視界の隅に実際に嬉しそうにしている小海さんの姿が映る。
俺が彼女のあんな表情を作ったのかと考えると、その表情はもっと別の誰かに向けられるべきなんじゃないか、なんて気分になってなんだか少しだけ申し訳ない。
『ラーメン美味しかったです』
『食い過ぎで腹痛くなったりしなかった?』
『それは大丈夫です』
『あと体重が増えたりとか』
『はぅ……、それは言わないでください……』
『ごめんごめん』
小海さんはからかいたくなるオーラが出ていて、つい冗談を言いたくなってしまう。
距離感を間違えないように気を付けないと。
『すぐ近くにいるのにこうしていると、不思議な感じがしますね』
ふと、小海さんがこちらを見ているのに気が付いて、視線を合わせるとなんだか照れくさそうにはにかむ。
その表情にこっちまでなんだかくすぐったくなってしまった。
「なあ、やっぱりなんか……」
「うるさい黙れ」
一郎の言葉を遮って、小海さんとのそのやり取りは、
「疲れた……」
朝の一件が尾を引いて、休み時間の度にプレッシャーを感じていた体がやっと解放される。
まさか、授業中の方がゆっくりできるなんてな。
結局そのプレッシャーは一日続き、放課後になって教室を出たところでやっと脱力することができた。
「あら、川上くん」
「お疲れ様です会長」
廊下を行き交う人の間で、ちょうど生徒会室の前で立っていた会長に挨拶する。
そしてそのまま通りすぎようとしたところで手を握られた。
「ちょっと付き合ってくれるかしら」
「なにがですか?」
「いいからいいから」
手を引かれて入った生徒会室には、中に誰もおらず、明かりも点いていなかった。
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