26.お嬢様、電話

部屋でパソコンに向かってキーボードをポチポチしてると、スマホがぶるっと震えて画面が明るくなる。


パソコンのモニタの右下を見ると只今の時刻は午後八時、ちなみに曜日は日曜日。


相手は本命が空、大穴で一郎かな、なんて思いつつロックを解除すると、そこにはちょっとだけ予想外の名前が表示されていた。




『こ、こんばんは』


少しだけ上擦った小海さんの声に和んで、優しい声で「こんばんは」と返す。


「なにか用事でもあった?」


『いえ……』


と言い澱む小海さんに聞き方が悪かったかなと、ちょっと反省。


普段通話する相手とは、毎回こんな口調だからその癖がでてしまった。


『お電話、ご迷惑でしたか?』


「いやいや、小海さんの声が聞けて嬉しいよ」


『そ、そうですか……』


やっべえ、引かれた。


やっぱり電話の距離感って苦手だわ、そもそも会話するなら面と向かってするのが一番なんだよ、なんて心の中で言い訳してみても意味はないので、急いで別の話題を振る。


「なんだかこうして電話で話してると不思議な感じだね」


『そうですね、私も少し耳がくすぐったいです』


その気持ちはよく分かる。


普段直接話すかLINEで文字のやり取りをしているので、なんだか耳元から声がするのはたしかに少しくすぐったい。


「小海さんは今自分の部屋?」


『はい、ベッドの上に座っています』


その様子を想像すると、正座でもしていそうだなとなんだかとても微笑ましい気がする。


『川上さんも、自室ですか?』


「うん、俺はパソコンの前に座ってる」


『もしかして、勉強してましたか?』


「いや、ずっと麻雀をしてたよ」


というかパソコンを使って勉強という発想がないんだけど、小海さんの中ではパソコン=勉強の道具なんだろうか。


まあそういう使い方もなくはないんだろうけど。


ちなみに俺は麻雀のネット対戦が最近のマイブームで、暇を見つけてはプレイしていたりする。


「小海さんは今日なにしてた?」


『私は勉強と、ピアノを少し弾いていました』


「ピアノかー、たしかに小海さんに似合いそう」


ピアノ演奏してる姿を想像したら完璧にさまになっていて、実際に見てみたくなるくらいだった。


「あとバイオリンとかも弾けそうだよね」


『はい、ピアノほどではないですけど、バイオリンも弾けますよ』


すげー、本当にお嬢様だ。


「今度聞かせてくれる?」


『はい、機会がありましたら』


軽い気持ちで言ってみたけど、なんだか凄く贅沢なことを頼んでしまった気がしてきたけどまあいいか。


『川上さんは本日はなにをしていましたか?』


「寝て起きてゲームして寝てゲームしたかな」


ちなみに麻雀はゲームに含まれてる。


『宿題が沢山出ていましたけど、大丈夫ですか?』


そう聞かれると正直大丈夫じゃないんだけど、だからと言って認めたくないので話を逸らす。


「宿題といえば、小海さんは勉強得意そうだよね」


『そ、そんなことないですよ……?』


なんて謙遜する小海さんだが、順位が学年でも上の方なことを知っていた。


『それで、勉強は……』


「小海さん」


『はい』


「世の中には勉強よりも大切なことがあるんだ」


『な、なるほど……』


なんて言いくるめようとするのも無理があるし、あんまり無茶苦茶言って誤魔化すのも若干罪悪感があるから話題を変えよう、そうしよう。


なんて考えて思い浮かぶのはやっぱり学校のこと。


「それにしても、明日から学校かあ」


週末をぐうたらと過ごした後だと、月曜日が来るのは憂鬱の極みだ。


今日がずっと終わらなければいいのに、なんて女性歌手が歌ってそうな歌詞みたいなことを思ってみても現実はそうはならない。


『私は学校好きですよ』


「それは珍しい」


学生は学校が嫌いと相場が決まってるのに、主に俺の中で。


そんな俺の偏見を知る由もなく、小海さんが優しい声を響かせる。


『川上さんにお会いできるのは学校だけですから』


なんて不意打ちで言われて、小海さんにその気は無いんだろうけど、顔が熱い。


その台詞だけみたら、まるで想い人に早く会いたい気持ちを伝えているような文章で、とても平静には受け取れない。


だからそれを誤魔化すように、言葉を返した。


「休みの日は大抵暇だから、どこか行きたいところがあれば誘ってくれていいよ」


『本当ですか?』


「もちろん」


『嬉しいです』


喜んでもらえたならよかった。


まあ、また今度誘ってよ的な返事がどれくらいの確率で実行されるかは謎だけど。


ちなみに俺は『また今度誘うね』と言われて実際に今度誘われたことは一度もないので、信頼度は『行けたら行くわ』未満である。


『それでは、再来週の土曜日はいかがですか?』


ってはやいはやい、フラグ回収が早すぎるよ。


いや、小海さんに誘われるのは嫌じゃないどころか光栄で恐れ多いんだけどさ。


『なにか用事がありましたか……?』


電話の向こうから不安そうな声が聞こえて、慌てて答える。


「ううん、その日なら大丈夫」


『よかったです』


電話の向こうでホッと、安心した息を吐く小海さんに、忘れないようにしないとなと注意する。


あとでスマホの真っ白なスケジュール帳に書いておこう。


そんなたわいない話をしていると気付けば一時間以上経っていて、午後九時を過ぎていた。


そろそろ良い子は寝る時間、とは言わないけど寝る準備くらいはしておいた方がいい時間かもしれない。


まあ俺は風呂も宿題も済ませてない訳なんだが。


「小海さんはお風呂入った?」


『はい、いいお湯でした』


なんて言われて不意に、小海さんがお風呂に入っている姿を想像してしまう。


きっと彼女の家は風呂も大きくて、その中でゆっくりと湯船に浸かったり体を洗ったりしているんだろうななんて考えたら鼻血が出そう。


ちょっと妄想が変態ちっくだろうか。


いや、健全な思春期の高校生はこれくらい普通だと思う。


……、思いたい。


『今は川上さんにいただいた髪留めも、着けてますよ』


「気に入ってもらえたならよかった」


『はい、大切にします』


本当に、そこまで大層なものじゃないのであんまり持ち上げられるとくすぐったいんだけど、流石に本人の気持ちに水を指すのは野暮なので黙っておく。


『川上さんは、お風呂入りましたか?』


「俺はまだ」


『入らなくて大丈夫ですか?』


「明日の朝シャワー浴びるから大丈夫だよ」


『湯船にはちゃんと浸かった方が疲れがとれますよ』


「小海さんはお風呂長そうだよね」


『はい、私は一時間くらい湯船に浸かっています』


たしかにそれは小海さんらしいなと思いつつ、胸は湯船に浮かぶって話は本当だろうか、なんて思ってしまった。


流石に本人には聞かない、というか聞けないけど。


それから好きなテレビ番組の話、クラスメイトの話題、好きな動物の話などをして、更に一時間が経っている。


ちなみに小海さんは馬が好きだとか。


もちろん賭ける方ではなく見る方、もしくは乗る方の話。


時計を見るとちょうど長針が真上から傾いて十時を過ぎ、そろそろ相手を拘束するのに問題がある時間になっていた。


「そろそろ寝ようか」


と言っても俺は寝ないけど、小海さんはよく寝て大きく健康に育ってほしいとなぜか親目線。


『はい』


その声のトーンがちょっとだけ低くて、違和感を覚える。


「なにかあった?」


『いえ、川上さんとお話しているのが楽しくて、名残惜しくなってしまいました』


なんて小海さんの言葉と電話の向こうでは照れた表情をしていそうだな、なんて想像するとやっぱり少しくすぐったい。


「また明日学校で会えるよ」


『そうですね』


俺も時間が許すならまだ話していたいという気持ちはあるけど、このままずるずると続けて小海さんに寝不足を強いるのは流石に気が引ける。


『川上さん』


「どうしたの?」


名前を呼ばれて声を返すと、スマホのスピーカーから少しだけ沈黙が流れる。


「小海さん?」


それを不思議に思って名前を呼ぶと、今度はちゃんと返事が戻ってきた。


『いえ、すみません、なんでもないです』


「そう?」


『はい』


そのやり取りが少しだけ気になったけど、結局聞き返すことはせずに挨拶をする。


「それじゃあ、おやすみ、小海さん」


『おやすみなさい、川上さん』


最後に聞こえた彼女の声は、いつも通りの上品な響きだった。






「川上さん」


私の声に電話の向こうの川上さんが、不思議そうに声を返す。


『どうしたの?』


二時間ほど続いた『長電話』はとても楽しくて、名残惜しさを覚えてしまう。


だからその心地良い空気に、わがままを言ってしまいそうになる。


思い出すのは、川上さんと親しく話すあの人のこと。


私も……、


「名前で、呼んでいただけませんか?」


と呟いた言葉は、スマートフォンのマイクを押さえた親指に遮られて、伝わらない。


そのお願いを伝える勇気が、今の私には無い。


だから親指で彼に聞こえないようにして、一人で呟く。


『小海さん?』


もう一度呼び掛けられて、私は平静に努めて言葉を紡ぐ。


「いえ、すみません、なんでもないです」


『そう?』


「はい」


……。


通話が切れて、スマホを下ろして息を吐く。


正座していた脚を崩してそのままベッドに横になると、川上さんの声が耳に残っている気がした。


川上さん、と小さく呟いてみる。


それだけで、胸の奥が少しだけ熱を持つ。


一度名前を呼ぶ毎に、心の中であの人の存在感が大きくなっていく、そんな気がする。


この気持ちは、なんなのでしょうか……。


こんな気持ちになったのは初めてで、この気持ちの正体がわからない。


…………、翔さん。


先程よりも更に小さい声でそう呟く。


その答えは、まだ見つかりそうになかった。

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