25.幼馴染、映画

学校から帰って来て、夕食を終えて午後七時。


部屋でテーブルに向かっていると外はすっかり暗くなっていて、開けた窓から吹き込む風が気持ちいい。


目を閉じてその感覚に浸っていると、階段からトントントンと軽快な足音が響く。


かける、いるー?」


と呼び掛ける声と同時にノックもなく入ってきたそらが、こちらを見下ろす。


「宿題ならもう終わったぞ」


ちょうどテーブルの上に広げて最後の問題を解いたノートを見せると、空が呆れたような視線を向ける。


「別に今日は勉強させに来た訳じゃないわよ」


じゃあなんの用が、と聞く前に、空が持ってきた物を差し出す。


「これ、なんだかわかる?」


言われて見せられたのはDVDのパッケージ。


そのパッケージに見覚えねえなぁと思いつつ、よく観察すると記憶の隅に引っ掛かるものがあった。


「あー、これ!」


「思い出した?」


なぜか嬉しそうな空に勢いよく頷く。


そのDVDは以前に空と一緒に見た映画のもの。


ただしその時見たのはDVDじゃなくテレビの放送だったので、気付くのに時間がかかった。


「どうしたんだよ、これ」


「ネット見てたら見かけてね、懐かしくなって買っちゃった」




その映画を見たのは約三年前、中学二年の頃の夏休み。


うちの家族と空の家族で一緒に花火をして、そのまま俺と空がうちのリビングて寝てしまったときのこと。


肩を揺すられて目を覚ました俺に、空が「しーっ」と人差し指を立てて笑い、テレビをつける。


カーテンが開いたままの外を見ると真っ暗で、人の気配もなく、まだ深夜なことが肌で感じられた。


その頃の俺達は部屋にテレビもなく、許されていた深夜のテレビ番組は年末年始の年越し番組くらいで、夏休みに夜更かしして見るテレビなんていうのは、夜の学校のプールに忍び込むようなスリルのある行動だった。


だからそのちょっとだけ悪い遊びに年相応にワクワクして、空と視線を合わせたのを覚えている。


別に親に見つかったってそんなに怒られることもなかっただろうけど、あの時の俺と空は一緒に悪いことをしているという非日常を共有することを楽しんでいたんだと思う。


そして空がリモコンを操作してチャンネルを変えて、テレビからポーンと時報の音が響き、右上には『01:00』と時間が表示される。


ちょうど始まった映画の番組に指を止めてこちらを見て、その確認に俺はこくりと無言で頷いて、空がリモコンを置く。


そして映画を二人で見始めて、ソファーに座って少し前のめりになりながら、隣の空の肩が触れる感覚を今でも覚えていた。




「という訳で、一緒に見ましょ」


「おう」


俺がプレイヤーのリモコンを取ってディスクトレイをあけると、空がケースを開けてそこに入れる。


プレイヤーに飲み込まれていくディスクを見ながら、俺は懐かしさとその映画が面白かったというおぼろげな記憶になんだかテンションが上っていた。


空も俺と同じ気分のようで、どこかそわそわした様子でテレビの正面の座布団に腰を下ろす。


「飲み物取ってくるわ」


声をかけて階段を下り、コーラの1.5リットルペットボトルとグラスを二つ持って部屋に戻る。


そして座布団に座って背後のベッドに背中を預ける空の隣に座布団を移動させて、俺も腰を下ろした。


「電気消していい?」


「あいよ」


空が部屋の蛍光灯から伸びる紐を引いて明かりを落とし、俺がリモコンの再生ボタンを押す。


映画の内容は、真夏に大学の部室でリモコンの壊れたエアコンに悩むSF研究会の部員が、なぜか置いてあるタイムマシンを発見。


タイムマシンを使って壊れる前のリモコンを取ってこようと思い付くといったお話。


画面を見ていると、向こうからジリジリと焼かれるような夏の熱気が伝わってくる。


その熱気に喉が乾いて、映画の合間にコーラを口に含んでグラスをテーブルに戻すと、空が口を開く。


「ポッキー取って」


「ん」


テーブルの袋から一本取り出して肘を捻って差し出すと、隣に座った空がそのまま口に咥える。


そのままポリポリとポッキーが短くなっていく音を聞きながら無言で画面を見る。


しばらくして今度は空がコーラを手に取るタイミングで俺がポッキーを頼むと、今度は空が袋ごと掴んで姿勢を戻す。


そこから一本貰って口に咥え、空も同じように口に運ぶ。


それを繰り返して俺がもう一本食べようとすると、中身が空っぽになっていることに気付いた。


一気に上がった消費ペースに、やっぱりすぐ手に届くところにあると駄目だな、なんてお菓子の真理を実感して袋をゴミ箱に捨てる。


そんな時間を過ごしながら映画を楽しんでいると、ふと空が口を開く。


「この間は看病してくれてありがとね」


「どうした急に」


「別に急でもないでしょ」


そうかな。


まあたしかにあれから改まって話せるような機会はなかったけど。


「というかお前、あのときのことちゃんと覚えてるのか?」


「翔がプリン食べさせてくれたのは覚えてるけど、……アンタ変なことしてないわよね」


「俺はしてねえよ、むしろお前が……」


「あたしが?」


「……、なんでもない」


「なによ、気になるじゃない。ちゃんと最後まで言いなさいよ」


なんて言われても、あの日のことは二重の意味で語りたくないというか、起こった事実だけでも胸元が見えそうになったり背中を拭いたり着替えを渡したり色々まずい。


まあでも実際、空があの日のことを覚えてないのには少しだけほっとしたけど。


「あの日の空は『アイキャンフライ』って言いながら窓から飛び出そうとして止めるのが大変だったぞ」


「あたしがそんなことするわけないでしょ」


冷たい目で見られたけど誤魔化せた?からよしとしよう。


そんな俺の様子に呆れたような顔をして、それでもいつの間にか優しい表情をしていた。


「とにかくありがとね」


言われて俺は視線を映画に固定したまま答える。


「どういたしまして」


なんて交わした短い言葉が、ちょっとだけくすぐったかった。


そのままテレビの画面が何度も明滅を繰り返して、暗くした部屋の中が映画の映す色に支配される。


少しだけ腰を浮かせて座り直した空の位置はさっきより近くて、僅かに肩が触れる。


こっそりと盗み見た空の横顔は映画に集中していて、触れた肩のことなんてまるで意識していないように見えて、以前に戻ったような距離感に心のハードルが下がる。


その甘すぎる空気に、もしも、なんて考えた自分にハッとして口を抑える。


「どうかしたの?」


俺の様子に気付いた空に、視線を外して答える。


「なんでもない」


言いつつ一旦肩を浮かせて、もう一度、空と肩が触れないようにベッドに寄りかかった。




映画が終わってタイトルメニューに戻る。


懐かしい記憶に残っていた映画がやっぱり面白かったことがなぜか嬉しくて、少しだけ心が暖かくなった。


俺はゆっくりと腰をあげ、そのままベッドに倒れて横になる。


「あの時って映画終わったあとどうしたか覚えてる?」


なんて聞いてきた空に、俺が首を捻って枕に頬を押し付けながら答える。


「たしかそのまま寝たんじゃなかったか?」


ひとつのソファーに横になって押し合いながら寝るなんて今じゃ考えられないけど、あの頃はそれが自然にできていた。


「この映画のあと、そのまま次の番組を見てたら翔が先に寝たのよね」


「いや、先に寝たのは空の方だろ」


テレビの光だけが漏れるリビングで、空の寝顔を見た記憶がたしかにあった。


「翔が先でしょ」


「いや空だろ」


なんて話していると、振り返った空と目があってどちらともなく笑みがこぼれる。


「懐かしいわね」


「そうだな」


あの頃に戻ることは出来ないけれど、今は少しだけ、あの頃と近い空気になれていることが嬉しかった。




話をしているうちに、いつの間にかベッドで寝息をたてていたかけるの脇に腰を掛ける。


そしてその顔を上から覗き込むと、もうずいぶん見ていなかった翔の安心した寝顔に心が緩む。


あの日にどちらが先に眠ったかは、あたしの方が後が正解。


とは言ってもいたずらしようとして先に寝たふりをしたのがあたしで、翔が眠ってからまぶたを開いたから、自分のほうが遅くまで起きてたと思ってる翔も間違ってはいないんだけど。


そんな懐かしい記憶に、自然と顔がほころぶ。


懐かして大切な、私と翔だけの思い出。


「おやすみ」


小さな声で呟いて、翔の前髪を分ける。


くすぐったそうにして、それでも起きない翔の頬に手を当てて顔を寄せる。


そして、唇が触れた。

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