12.後輩、喫茶店

カランカランと入り口についた鐘を鳴らして中に入る。


さほど広くない喫茶店の中は冷房が効いていて、まだ日が高い外のうだるような暑さがすっと引いて心地いい。


中を探すと見知った顔があった。


「いらっしゃいませー、って先輩じゃないですか」


「今日バイトだったか」


「はい。もしかして、あたしに会いに来てくれたんですか?」


会いに来たと言われればその通りなんだが、まあいいや。


「とりあえず席に案内してくれ」


「はい、テーブル席一名様ご来店でーす」


明るく言って案内する後輩に、一人なのにテーブル席でいいのかとちょっと思ったけど、店の中にほとんど人がいないのを見て黙っておく。


どうせそんなに長居する気もないし。


ちなみにカウンターの中では、この店の店長が微笑んでいる。


綺麗な茶色の髪を後ろで括って背中まで伸ばし、落ち着いた色のシックな制服に身を包んだその女性は、控えめに言って滅茶苦茶美人だ。


大人の魅力というのはああいう人のことを言うんだろう。


とはいえ年齢はそんなにいっていないように見えるけど、実際にはよく分からない。


本人に聞くわけにもいかないし。


「先輩お昼食べましたか?」


席について、質問する後輩に頷いて答える。


今の時間は午後二時すぎ。


ここでは軽食も出しているけど今日は用はない。


「それで、この画像は?」


スマホを取り出して昨日送られてきた画像を見せる。


これが今日の本題。


「見ての通り新しい制服です」


そうじゃなくてだな。


「なんでこんなもの送ってきたのかって聞いてるんだが」


確かにいま後輩が着ている制服は送られてきた画像と同じもので、前まで着ていた給仕服のような落ち着いたデザインのものから、可愛らしいデザインの制服に変わっている。


「迷惑でしたか?」


「階段踏み外してすねにアザができたぞ」


「歩きスマホはダメですよ、先輩」


そんな正論はいらない。


そもそも家の中ならいいだろ。


「せっかく着てみたので、誰かに見てもらいたかったんです。昨日は試しで、これを着てお店に出てるのは今日からなんですよ?」


「じゃあそうやってLINEで言えよ」


昨日聞いても返信が来なくて、結局ここまで会いに来た訳で。


「だって感想は直接聞きたいじゃないですか」


笑った後輩がその場でくるりと回る。


その拍子に膝上丈のスカートがふわりと少しだけ持ち上がって、止まるときに衣装で強調された胸が揺れる。


「それでどうですか? かわいいですか?」


実際に、後輩の衣装も、それに身を包んで自慢げに笑う後輩も、どちらもかわいい。


けどそれを認めたらなんだか負けたような気がするのだった。


「あー……、似合ってるぞ」


「あっ、いまかわいいって言うの避けましたね」


こいつ、エスパーか?


「だって恥ずかしいだろ」


「だから言ってほしいんじゃないですか」


知らんがな。


と思ってみても後輩が引き下がる気はないのはその表情を見ればわかる。


「……、かわいいぞ」


「先輩って、誰にでもそういうこと言うんですか?」


「リクエストに応えただけなのにひでえな! 女子にかわいいなんて記憶にある限り一度も言ったことねえよ!」


勢いよくツッコんだ俺に、後輩がなにか納得したような表情を見せた。


実際には一度だけ、女子にかわいいって言ったことがあるんだけど、それは秘密。


そのことを思い起こそうとすると、記憶に付随ふずいする感情に死にたくなるから。


「そうですか、ならいいです」


「ったく」


「でもえっちなことには使わないでくださいね?」


「しねえよっ!」


いや、鏡を使って自撮りされた画像はさり気なく腕で持ち上げた胸が強調されてて、実際エロいんだけど。ってそうじゃなくて。


「あっ、ちょっと待っててくださいね」


と席を離れてカウンターの中へ入っていく後輩を見てはあ、と息を吐く。


考えてみれば、自主的にここに会いに来た時点で俺の負けだったんだろう。


そんな諦めの境地で、戻ってきた後輩を見る。


持っているトレイの上には、切り分けられたチーズケーキが乗っていた。


「これ、お礼です」


「……、ありがとな」


何のお礼かはわからないが。


「500円になります」


「金取るのかよ! っていうかまたかよ!」


「あはは、冗談ですよ。あたしの奢りです」


さっきからずっと後輩に振り回されっぱなしだけど、このチーズケーキに免じてすべて許そう。


ここのチーズケーキは本当に絶品で、後輩関係なく食べに来ることもあるくらい。


見ているだけでも、昼食のあとなんて関係ないくらい食欲が刺激されて、フォークを受け取ろうとした手をスッとかわされる。


向かいの席に座った後輩が、何故か自分でフォークを持ち、ケーキの先端を切り分けてこちらへ差し出す。


「あーん」


「いや、なんでだよ」


人がいない店内でも流石に恥ずかしいわ。


「お礼ですから」


「仕事中にこんなことしてていいのか?」


「大丈夫ですよ、今暇ですし」


「それでいいのか……」


救いを求めてカウンターのオーナーに視線を送ると、楽しそうに笑ってこちらを見ていた。


「嫌ですか?」


不安そうな顔でこちらを見る後輩の表情が、演技なことくらいは流石にわかる。


わかるからといってどうにかなるわけでもないんだけれど。


「お前それ卑怯だぞ」


「あーん」


俺の抗議を無視した後輩の再びの催促に、結局諦めて口を開く。


フォークを奪おうとして上のチーズケーキが落ちたらオーナーに悪いし。


そのまま口に含んだフォークを後輩が引き抜く。


うん、甘くて美味い。


もう細かいことはどうでもいいな。


「先輩のそういうところ、好きですよ」


俺の反応を見てイタズラに満足した後輩からフォークを受け取って、今度は自分でケーキを切ると、立ち上がった後輩が思い出したように口を開く。


「そうだ、先輩。この後予定あります?」


「別にないぞ」


「じゃあ送ってってください、もうすぐバイトあがりなので」


「はいはい」


答えると、後輩が嬉しそうにスカートの裾を揺らして、カウンターの中へ戻っていった。

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