02.過去の記憶
それは暑い夏の日だった。
まだ太陽が高く昇る昼過ぎに、海沿いの道を
「暑いわねー」
学校からの帰り道。
ぼやきながら制服のシャツの襟元をパタパタと揺らして空気を入れる姿が気になって仕方がない。
正確にはその仕草ではなく、チラチラと見える胸元がだけど。
中学三年の頃にはもう、体の特徴もはっきりとしてきて、以前のように一緒にいても意識してしまうことが多かった。
「夏だからなー」
隣を歩く空の姿に視線を向けているのを誤魔化して生返事。
「ちょっと休憩してきましょ」
空が視線を向けた先にはコンビニがあって二人で連れだって中に入る。
自動ドアをくぐると中からぶわっと冷気に包まれて肌寒さを感じる。
どうして夏のコンビニってこんなに寒くするんだろう。
まあスーパーよりはマシだけど。
近所のスーパーの生鮮コーナーは半袖のまま30分もいたら風邪引きそうなくらいエアコンがガンガン効いてていつも早足で通り抜けているし。
「
「アイスでも食うかな」
「じゃあ、あたしも」
俺が開けたアイスケースの中に空が手を入れてひとつ選ぶ。
それに続いて俺も空が選んだアイスの味違いを選んで蓋を閉じる。
ここでアイスを買うときは、俺も空もいつも同じ物を買うのがもう何年も習慣になっていた。
会計を済ませて店を出て、目の前を横切る軽トラを見送ってから道路を横断し、並んで堤防に腰を掛ける。
眼下には白い砂浜が、その先には青い海が水平線まで広がっている。
この辺りに住む人間には見慣れた景色だけど、それでもこうして眺めるとやっぱり綺麗な光景だ。
フィルムを剥がしてアイスを咥えると、口の中にチョコの甘さと冷たさが広がっていく。
「生き返るわねー」
「ほんとになー」
脚をぶらぶらさせながらアイスを舐めていると、波の音だけが耳に響く。
「ねえ、一口ちょうだい」
「じゃあそっちも一口」
交渉が成立して腕を交差させてお互いにアイスを差し出す。
それを自然な仕草で咥えて、先っぽを噛る。
口の中にバニラの味が広がった。
見ると引き抜かれたアイスの先端が少しだけ茶色くなっている。
白いバニラアイスに塗られた茶色は、おそらく俺の唇についていたものだろう。
それはすぐに、空の唇に消えていった。
「それにしても本当に暑いわね」
「早く冬にならねーかなー」
「どうせ冬になったら早く夏になれって言ってるくせに」
「いやいや、本当に夏は嫌いなんだよ」
「はいはい」
冗談を聞き流すように笑って、空がアイスを食べ終わると、俺と同じように段差に投げ出した足をぷらぷらと揺らしながら、遠くの海へ視線を向ける。
「翔は高校どこにするの?」
「それ今聞く?」
せっかくいい気分でアイス食べてたのに。
「いいじゃない、もう三年の夏なんだし」
まあ、もうどこを目標にするかくらいは決めててもおかしくない時期だけど。
「そういう空はどこにするか決めたのか?」
「あたしは、西高かな」
「西高かー」
俺の成績だとちょっと怪しいラインの学校なので、正直志望するのは躊躇われる。
今から真面目に勉強すればあるいはって感じだけど。
「まだどうするかわかんねえな」
「でも夏が終わったらもうすぐ受験よ」
「やっぱりずっと冬は来なくていいかな」
なんて冗談に空が呆れたように笑う。
ほんとに、ずっとこうしてられたらいいのにな……。
進路が別れるなるなら必然的に、中学までずっと一緒だった空との生活も別々になる。
お隣さんで幼馴染で、一番距離が近い相手。
家族のような存在で、でもそれだけじゃない気持ちが俺の中にあった。
その気持ちにつられて空の顔を見ると、なぜかバッチリのタイミングで空もこちらを見て目が合ったまま手を握られる。
一瞬気持ちが見透かされた気がして胸が跳ね、それが落ち着く前に空が口を開く。
「ちょっと来て」
「おわっ!?」
そのまま急に手を引かれて二メートルと半分くらいの距離を落下する。
綺麗に着地した空の横で、俺もバランスを崩しながらなんとか転ばずに白い砂を踏みしめた。
一拍遅れて片手に握っていたバッグもどすんと落ちる。
スマホ壊れてないだろうな……?
なんて俺の心配を余所に、空は砂を蹴り上げながら海の方へと走っていく。
「翔も来てっ」
手をあげて呼ばれた方へと歩きながら、靴と靴下を脱ぎはじめた空を見て目的を察する。
そのまま俺はどうするかなと考えていると、空に手を掴まれてそのまま引っ張られた。
「ちょ、まっ」
慌てて前のめりになりながらも、なんとかバッグだけは手を離して砂浜に落として、体は海辺へと連れていかれる。
「えいっ」
両手で俺をスイングして海へ投げ棄てる空へ、足元を波に濡らしながら抗議の声をあげる。
「自分だけ靴脱いでズルいぞ!」
「あははっ」
笑いながら水を掬ってかけてくる空へこちらも水を掬って反撃すると、顔にかけられて思わず目を閉じた。
「このっ」
空を捕まえようと追いかけると、やはり楽しそうに水面に飛沫を上げながら逃げていく。
水に浸かって走りにくい足元を蹴りながら、届きそうで届かない背中を追って走るのがなんだか楽しくて、俺もいつの間にか笑っていた。
二人で笑いながら砂浜を走っていくと、やっと手が触れそうになった瞬間、空が足をもつれさせてバランスを崩す。
顔面から砂浜にいかないように仰向けに倒れた空の上に、倒れ込むように俺が重なって、四つん這いになった俺の両腕の間でまだおかしそうに笑っている空へ言葉をかけた。
「それで、なにがしたかったんだ?」
「海見てたら青春したいなーっと思って」
それだけかよ、なんて思っても俺も楽しんでたから人のことは言えないか。
「満足したか?」
「うんっ」
自分の真下、二十センチくらいの距離で、微かに波を受けて髪を揺らすその笑顔が綺麗すぎて、呼吸が止まる。
細いまつげもくっきり見えるほど近く。
今この時、俺にだけに向けられたその表情を見てしまって、自分の気持ちを押さえられなかった。
普段と違う雰囲気に気付いたのか、空が疑問の声をあげる。
「翔……?」
それを無視して、腕を曲げて頭を下げる。
ゆっくりと近づく顔の距離がやがてゼロになる。
目を開いたままの空の唇は海の味がした。
そのまま波の音だけが響いて、唇を離す。
そして閉じていた空の唇がゆっくりと動く。
「ごめん」
その時の謝った空の表情を、俺は一生忘れられそうになかった。
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