23.会長、風邪
今日は授業のあと、放課後の前に体育館で全校集会があった。
夏の始まりのこの時期に、全校生徒が集まるとその熱気で死ぬほど蒸し暑い。
申し訳程度に動いている大型の扇風機も快適性には殆ど寄与せずに、低い駆動音だけを響かせている。
そんな不快指数の高すぎる空間に耐えながら、やっと先生の話が終わると、入れ替わりで知った顔が登壇しマイクの前に立つ。
その姿は堂々としたもので、話す言葉にも淀みがない。
やっぱり会長は凄いなと他人事のように思う。
いやまあ実際最近ちょっと話すようになったくらいでほぼ他人なんだけど。
「なあ一郎」
と小声で声をかけると、隣の一郎が視線は動かさずに声を返す。
「どうした?」
「会長って美人だよな」
「いきなりどうしたほんとに」
困惑する一郎がちょっとだけこっちに顔を向けて言う。
「ただ美人だなって思っただけだよ」
「まあたしかに、美人だよな。それにスタイルも良いし。身長高いのは人によるだろうけど、俺とかお前よりは低いし」
「だよなあ」
だからきっと、ちょうどいま会長がこっちを見て目が合った気がしたのはきっと気のせい。
「おい翔、いま会長と目が合ったぞ」
……、きっと気のせい。
「失礼します」
と声をかけて中からの返事を待つ。
少し待って「入っていいわよ」と室内からの声が聞こえて俺はドアを開けた。
室内に入ると会長が一人で仕事をしている。
まあ生徒会室に一人でいることは、先にLINEで確認してたから知っていたけど。
「入るときは返事待たなくていいわよ」
「そうですか?」
なんて言う会長に首をかしげる。
まあ他に誰もいないならそれでもいいのかな?
もし他にも人がいる可能性があるならしないけど、というか人がいるならそもそもここに来ないけど。
「川上くんが自分から訪ねて来るなんて珍しいわね」
「そんなことないと思いますよ?」
以前にも一回くらい自主的に訪れたことが有ったと思う。
「それで、用事ってなにかしら?」
という会長の台詞は、先に俺が送っていた、用事があるから会いに行くという旨のLINEによるもの。
「今やってるのって急ぎの仕事ですか?」
「いえ、これは来週までに終わればいいものよ」
今日が金曜日だから、学校で終わらせるにはギリギリだけど、持ち帰ってやるならまだ猶予があるか。
そして会長の口振り的に、ここで終わらなければ持ち帰ってやるつもりなんだろう。
「それじゃあちょっと、立ち上がってもらってもいいですか?」
「ええ、いいわよ」
素直に椅子を引いて立ち上がってくれた会長のとなりに近寄る。
「そのまま目を瞑ってもらっていいですか?」
「キスでもしてくれるのかしら?」
「まあそんなところです」
なんて冗談を言いながらも、素直に目を瞑ってくれる会長の信用がちょっとだけ怖い。
そんな気持ちを隠しながら、目を瞑っても美人な会長に顔を近づけ、そのままコツンとおでこが触れた。
「やっぱり熱いですね」
お互いの体温を触れたおでこで比べると、俺よりも会長の方が随分熱く感じる。
それを俺が確認するように呟くと、目を開けた会長と視線が交わる。
「よくわかったわね」
「まあなんとなくですけど」
そんな下らない会話を、おでこが触れる距離で交わしている光景は、外から見たらきっとシュールで面白いんじゃないかと思う。
気付いたのは全校集会で話す会長の様子を見ていた時。
もしかしたら、最近体調不良の人間を看病したから、病気の可能性を思い浮かべやすかったのかもしれない。
「家まで送ってきますよ」
「平気よ、これくらい」
言いながら一歩下がろうとした会長が足をもつれさせてバランスを崩し、転ぶ前に手を掴んで引き寄せる。
「やっぱり調子悪いんじゃないですか」
なにもないところで転びそうになるなんて、体調が悪い証左だろう。
それでもやっぱり納得いかないような表情を浮かべる会長へ、有無を言わさず質問する。
「このまま手を繋いで帰るのと、保健室で体温を測るのどっちがいいですか?」
もし後者を選んでも、そのままベッドに寝るか、付き添いを呼んで帰ることになるだろうけど。
「そんなに私と、手を繋いで帰りたいのかしら?」
揶揄するように笑う会長に言葉を返す。
「傘を貸した時に、今度一緒に帰りましょうって言ってくれたのは会長ですよ」
そのちょっとだけ意地悪な返しは、それでも会長を説得するには有効だった。
帰りの支度をして、予告通りに手を繋いだまま生徒会室をあとにする。
幸い放課後になってから少し時間が経っていて、廊下には見える限り誰もいなかった。
そのまま昇降口まで辿り着いて、会長と別の場所の下駄箱に向かう前に確認する。
「手を離しても大丈夫ですか?」
「もちろんよ」
「そのまま逃げないでくださいよ?」
「あなたは私のことを野良猫かなにかだと思ってるのかしら」
会長が肩をすくめながらため息を漏らす。
「いいじゃないですか猫。俺は好きですよ」
「まあ、あなたはそうでしょうけど」
「もし『にゃー』って猫の真似してくれたら、なんでも言うこと聞きますよ」
なんて冗談に、会長が繋いでいない方の手をスッと上げる。
「にゃー♪」
綺麗な笑顔に片手をくるんと猫の手のようにしたジェスチャー付きのその台詞は、ちょっと威力が高すぎた。
「折角リクエストに答えたのにノーリアクションなんてひどいわね」
「……、すみませんビックリして反応できませんでした。でも凄く素敵ですよ」
その答えが正解だったかはわからないが、会長が上げた手をおろして表情を戻す。
「でも俺になにかしてほしいことでもあるんですか?」
「いまは特に無いわね。だから今度なにか思い付いたらお願いするわ」
と笑う会長の表情に嫌な予感しかしなかったが、そもそも自分で言い出したことなのでどうしようもない。
まあ、普通に金が取れそうなさっきの会長のサービスに比べたら、俺が何しても釣り合う気がしないんだけど。
なんてことを考えながら一旦会長と別れて、靴を履き替えてから合流する。
そして俺が右手を差し出すと、会長がそこに左手を重ねた。
本当はもう会長を生徒会室から連れ出した時点で手を繋いでいる必要もあんまりないんだけど、最初に自分から無理やり繋いだ手前、やっぱりやめたとは言い出しづらい。
いっそ会長が再び手を繋ぐのに難色を示してくれたらと思ったんだけど、その気配はなく握られてしまった。
そのまま帰り道を歩き始めると周りの視線がこちらに集まっている気がする。
もうこれは噂どころじゃないな、なんて心の中で自虐しながらも、やっぱり自分から手を離すのはやはり躊躇われる。
「会長は俺と手を繋ぐの嫌じゃありませんか?」
「随分今さらな質問ね」
「まあそうなんですけど」
「嫌ではないけれど、やっぱり少しだけ恥ずかしいわね」
「じゃあやっぱり離しましょうか?」
「川上くんは、私と手を繋いでるのは嫌?」
質問を返されて、それを否定する。
「嫌じゃないですよ、会長の手は柔らかくて触り心地も良いですし」
なんて俺のセクハラ発言だったが、会長が嫌な顔をせずにそのまま頷く。
「なら、このままでいいわ」
いいんだ……。
「だから、私が転びそうになったらまた助けてちょうだい」
「わかりました」
それから海の見える坂を下り、街中を抜けると、会長が今更のように疑問を口にする。
「外から見たら私たち、どう見えるのかしらね」
「やっぱり兄弟じゃないですか?」
歳が違うのはネクタイの色でわかるし、揃って身長が高いのでそういう兄弟なんだときっと思われるだろう。
まあこの歳の兄弟が手を繋いで歩いている理由はわからないけど。
「ところで会長は兄弟とかいますか?」
「私は歳の離れた兄が一人いるわよ。川上くんは?」
「俺は妹がいます」
「いいわね、妹。私も兄より妹が欲しかったわ」
「たしかに妹はいいですよ。かわいいですし、一緒にいると癒されますし」
そんな俺の台詞に、会長が怪訝な視線をこちらへ向ける。
「もしかして、川上くんはシスコンというやつなのかしら?」
「違いますよ!」
ただ妹が好きなだけの普通の兄です。
「焦って否定するなんてやっぱり……」
「だから違いますって!」
俺が否定すればするほど、会長の疑惑の眼差しが強くなる。
「いやほんとに、普通の兄妹なんですって」
なんて話を延々していると、会長が「着いたわ」と言って立ち止まる。
いつの間にか会長の家に着いたようで、その初めて見る家は広い庭付きの立派な一軒家だった。
やっぱり会長の御両親も優秀な人なのかなあと疑問に思いつつ、会長に訊ねる。
「ちなみに今日は会長の両親は居ますか?」
「おそらく居ないわね」
「じゃあ一人でもちゃんとゆっくり寝ててくださいよ。生徒会の仕事とかしないで」
「これくらいの熱なら寝てなくても平気よ」
「平気じゃないですって」
どうせ月曜までなんだから少なくとも今日はゆっくり休んでも問題ないだろうに、会長にそのつもりはないらしい。
どうしてそこまで仕事をしたがるのかはわからないけれど、会長の体調のためにはこのまま放ってはおけないことはわかった。
「わかりました。それじゃあ会長がちゃんと寝るまで看病します」
素直に寝る気がないなら寝るまで監視すればいいじゃない作戦。
「嫌ですか?」
いきなり家に上がり込もうなんて客観的に見ればとても迷惑な奴である。
「どうかしら?」
「まあ嫌でも会長にはゆっくり休んでもらいますよ」
生徒会室で手を握ってからこっち、ずっと手を握ってここまで来てもはや開き直りの境地だ。
「今日の川上くんは、強引ね」
「ちゃんと風邪がよくなったら、俺のことは嫌いになってくれてもいいですよ」
なんて言いながら、会長の家の門を開いた。
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