08.幼馴染み、ジョギング

家の前、暗くなった道路の脇にそらが立っていた。


上下ともに水色のスポーツウェアに身を包んだその格好に「げぇっ」となりつつも、ここで後退して身を隠すのを見つかったら更に面倒なことになるという懸念と板挟みなってそのままフリーズする。


「あっ」


「げっ」


「『げっ』ってなによ『げっ』って」


そのまま迷っていたら結局すぐに空に見つかってしまう。


ちなみにこのあとなんて言われるかは聞かなくてもわかる。


「ちょっとジョギングつきあって」


「ラーメン食ってきたばっかりなんだが」


予想通りの台詞に用意していた台詞を返す。


まあ店から歩いて帰ってきてそこそこ時間は経ってるから無茶な運動しなきゃ平気だろうけど。


「嫌ならいいけど、その代わりにおばさんがあんたの隠した小テストの点数を知ることになるかもしれないわね?」


「……、着替えてくるからちょっと待ってろ」


いや、あの小テストはあとでちゃんと見せようと思ってたんだよ。


ただちょっと点数が悪かっただけで。


それも前日に漫画読んでたら寝不足でテストに集中できなかったのが原因だし。


というか、その漫画は空から借りたものだからマッチポンプじゃねえか。


いや、実際その漫画は面白かったし、夜更かしして一気読みしたのは自業自得なんだけどさ。


そんなことを考えながら家に入り、部屋で運動できる格好に着替える。


「おにいちゃん、出かけるの……?」


開けっ放しのドアから顔を覗かせたかなに聞かれた。


「ちょっと空と走ってくる。かなも行くか?」


俺の提案にぶんぶんと顔を左右にかながかわいい。


「それじゃあちょっと行ってくるな」


「うん、気を付けてね」


階段を降りて玄関まで着いてくるかなに見送られてまた外に出た。




「そもそも俺いるか?」


軽く準備運動をしながらそんな疑問が口をつく。


「こんな時間に変質者に襲われたら大変じゃない」


「お前が走って逃げれば十中八九逃げられるだろ?」


空は足も速いし体力もあるから変質者が出ても早々追い付かれないだろう。


「馬鹿なこと言ってないで行くわよ」


言って走り始めた空に続くと、だんだん心拍数が上がってきて、それに合わせて気分も上がってくる。


実際準備して走り始めるまでは面倒だけど、一旦走り始めるとジョギング自体は嫌いじゃなかったりする。


ただ自主的にやる気が皆無なだけで。


よくあるよねそういうこと。


そのまましばらく無言で走って、なんとなく思い出したことを空に聞く。


「そういえば告白どうしたんだ?」


「告白って?」


「ラブレターのあれだよ」


「あー、あれ。もちろん断ったわよ」


「ふーん」


言ってから、聞くべきじゃなかったなと後悔する。


それでも聞いてしまったのは、あの頃の思いがまだ残ってるからだろうか。


考えてみても、よくわからなかった。


そして黙った俺に今度は空が質問してくる。


かけるはラーメン一人で食べてきたの?」


「いや、小海さんと一緒」


「小海さんって翔のクラスの? 珍しい。どういう組み合わせ?」


そう聞かれて答えに困る。


うーんと考えて思ったことをそのまま口に出した。


「道端に落ちてたから拾った」


「なにそれ」


まあ冗談だけど、本当の事情を詳しく話す気にはならないので省略。


でもよく考えたら小海さんにも結構失礼な台詞だったから今度謝っておこう。


ごめん、小海さん。


「まあいいけど、女の子には優しくしなさいよ」


「なんだそれ」


「翔は朴念仁なんだから気を付けなさいってこと」


「いやいや、俺ほど優しい奴は早々いないだろ」


「……、はぁ」


「おい、無言でため息つくのやめろ」


俺の言葉にもう空は返事もせずに走り続ける。


そのあとは無言で時間が流れ、そもそも息が上がり会話する余裕もなくなってくる。


酸素が足りなくなり、心臓がバクバクいって、どんどん呼吸が荒くなっていく。


体温が上がり、汗が溢れだし、喉の奥がからからに乾く。


身体の内側を燃やして苦しくながらも走り続けるこの感覚が、俺は嫌いじゃなかった。


そんな俺の隣に並んで走る空も呼吸を荒くしていて、それでも俺ほど疲れた様子を見せないあたりにスペックの差を感じる。


本当に、なにかスポーツでもやればいいのにな。




約三十分の時間をかけて五キロの距離を走り、海沿いの自動販売機の前で速度を落として休憩する。


はあ、はあ、と息を吐きながら夜の空気に体の熱気が放出されていくのを感じて少しだけ心地良い。


視界に広がる夜の海は絶え間なく波の音が響き、少しだけ不気味なものを感じる。


海沿いの街に住んでいて、潮の香りと波の音には慣れたものだけど、吸い込まれそうな夜の海は子供の頃からずっと苦手だった。


まあ、ここが苦手なのは別の理由もあるけど……。


ずっと続く岸沿いの道路の先に、微かにコンビニの灯りが見える。


その灯りから目を逸らして視線を上げると、自販機の上には街灯があり、近くを虫が飛んでいた。


これがもう少し夏に近づくと街灯どころか自販機の明かりにも寄ってきて酷いことになったりする。


なんてことを空は気にもせずに、ポケットから小銭を出す。


そこでやっと、俺は小銭を忘れたことに気付いた。


折角の給水地点なのにやっちまったなと思っていると、空がそんな俺の様子に気付いて小銭を鳴らす。


「なにか飲む?」


その提案を、なんとなく受ける気がしなくて断る。


「いらない」


息を整えながら、買ったミネラルウォーターのキャップを捻って喉を鳴らす空を横目で見ていると、そのまま飲みかけのペットボトルをこちらに差し出した。


「ほら、一口」


少しだけ悩み、無言で受け取ったペットボトルから一口だけ含んでそのまま返す。


そしてもう一度口をつけた空が、残った中身を草むらに流し、備え付けのゴミ箱にペットボトルを捨ててこちらを向く。


「じゃあ帰りましょうか」


「はいよ」




帰り道をひたすら走り、行きとほぼ同じペースで家の目前までたどり着く。


もちろん行きよりも何倍も辛くて最後の方は息も絶え絶えだったけど。


「はぁ、はぁ」


「結構良いペースで走ったわね」


クールダウンに最後は速度を落として歩き、やっと会話する余裕が出てきた。


「ラーメンのカロリーはこれでチャラになったかな」


「なに言ってんの。一時間走ったくらいじゃラーメン一杯の半分も消費されないわよ」


「うっそだろ」


驚愕する俺に、空がおかしそうに提案する。


「もう一時間行く?」


「……、ラーメンのカロリー消化する前に口から戻すダイエットになりそうだからやめとく」


つーか流石にもうこれ以上走りたくない。


「確かにそれは見たくないわね、後始末もめんどくさそうだし」


なんて話してる間に俺の家の前まで着いて、足を止めた。


「じゃあお疲れ」


「そうだ。あとであんたの部屋行くからちゃんと宿題終わらせておきなさいよ」


「いや、なんで来るんだよ」


「なによ、この前貸した漫画の新刊持っていってあげようと思ったのに」


「……、待ってるからちゃんと来いよ」


「はいはーい、それじゃあまたあとで」


「おう」


結局そのあと風呂を入ってから勉強を始めて、当然のように空が来るまでに宿題は終わらなかったが、なんとか寝るまでには漫画を読むことができた。




翌朝。


昨日のジョギングの後遺症に若干のダルさを覚えながら教室の戸を開け自分の席に着く。


窓の外は快晴で、今日も暑くなりそうだ。


ホームルーム開始まであと十五分ほど。


クラスには半分以上の生徒が既に登校していて、ガヤガヤと話し声が重なっている。


そして開いたままの前側の入り口から小海こうみさんが入ってくるのが見えた。


いつもはもっと早い気がするけど記憶違いかななんて思いつつ、その様子をなんとなく見ていると、なぜか自分の席を通りすぎて俺の席の目の前まで彼女が歩いてくる。


「おはようございます、川上かわかみさん」


その瞬間、クラスがざわっと動揺した。

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