第22話 ドアノブは、氷の破片

 昼食を食べ終えると、私たちはレストランをあとにした。

 だが休めた気が全くしない。

 むしろ余計に疲労感が募り、足取りも重たかった。

 いまどきのカップルというのは、どうしてこんなにも進んでいるのだろうか……。

 楽しげに笑っている二人の後ろ姿が、なんだか遠くに見えた。

 すると舞衣さんが情けないと言わんばかりに、私たちの方へ振り向いた。

「ちょっとぉ! まだ半日も歩いてないよっ? 疲れるの早すぎないっ!?」

「お二人のテンションについて行くのが大変なんです……」

 恭太郎さんがはっきりと言ったので、私も頷いた。

 全く同感だ。

 よくあんなにイチャイチャしていて疲れないものだ。緊張はしないのだろうか……。

 舞衣さんはどこかつまらなさそうに息をついた。

「全くもう……しょうがないなぁ」

 舞衣さんは私の方へ歩み寄って来た。

 何をする気だ……? 私は身構えると、舞衣さんが私の背中を押してきた。

「えーいっ!」

「きゃっ……!」

 唐突に押された。

 私はバランスを崩して、隣にいた恭太郎さんにぶつかってしまった。

 ――――勢いのまま、その逞しい胸元に顔を埋めて。

「…………」

「…………」

 フリーズした。息が。体が。思考が。

 布越しの恭太郎さんの鼓動。どんどん脈が速くなる。

 同世代の男の人に抱き付いたことなんて、ない。

 離れたくても、体が硬直して……動かない……!

「…………っ!」

 突如、恭太郎さんに肩を掴まれた。

 やや強引に引き剥がされて、顔を背けられる。まるで見られたくないように……。

 すると兄が舞衣さんに言ってきた。

「ちょっと舞衣!? 今何した!?」

「えぇー? ちょっと距離を縮めさせようとしただけだよぉ。あまりにも色気がないからさぁ?」

 そんな理由で……!? 私は思わず目を見開いて言葉を失った。

 すると恭太郎さんが舞衣さんをギロリ、と睨みつけてきた。

 舞衣さんは怯えたようにビクッと体を震わす。

 私もいつになくピリついた恭太郎さんに肌が粟立ってしまった。

 恭太郎さんは低く唸るようにして、舞衣さんを睨みつける。

「……余計なお世話です。放っておいてください」

「ご、ごめん……っ」

 舞衣さんもこんな反応をするとは思ってなかったのだろう。

 怯え竦んだ様子で縮こまり、目を伏せながら呟いた。

 すると兄が二人の間に割って入った。

「ごめんな、恭太郎くん! 舞衣がお節介しちゃって……。舞衣、二人はちょっと特殊だからあんまり首を突っ込むなよな?」

「う、うん……ごめん」

 舞衣さんは顔を上げて言ったものの、恭太郎さんは何も言わなかった。

 その後、恭太郎さんは顔を見られないようにずっと背け続けていた。




 二十時頃、兄たちと夕食を食べ終えてから私たちは帰宅した。

 あれから恭太郎さんはずっと機嫌が悪かった。

 私は怖くて話しかけることが出来ず、帰路につく間もずっと無言だった。

 だが、いくら何でも根に持ち過ぎではないだろうか。

 私だって舞衣さんに背中を押されて驚かなかったわけじゃない。だが口をきかなくなるほど怒ってもいない。

 恭太郎さんは、何に対して不機嫌になっているのだろうか……。

 帰宅すると、恭太郎さんは何も言わず部屋に入って行ってしまった。

 声をかけることも出来なかった。

 大きな背中を見つめたまま、私は一人、廊下に取り残された。

 目的は果たすことが出来た。

 しかし失ったものも多い気がする。

 せっかく楽しい一日になるはずだったのに……。

 私は深く溜息をつき、沈んだ気持ちで部屋のドアノブに手をかけた。

 そのドアノブは、今の私には氷の破片だった。

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