第2話 ペンギン少女は青春なんていらない
お見合いの翌日。
HRが終わり、放課後を告げるチャイムが鳴り響く。
私は明日の予習用に教科書をスクールバックに入れていると、前の席の大橋さんが声をかけてきた。
「ねえ、海原さん! 帰りにドーナツ食べて行かない? 今Twitter見たら、今日から新作が出たんだって~っ」
大橋さんは中学一年生から五年間、ずっとクラスが同じの腐れ縁だ。
いつもハイテンションだが、別に悪い子ではないし、割とつるむことが多かった。
「ごめん、今日シフトがあるから」
「そっか~。じゃあ『PAPILLON』でお茶してから帰ろっかな~。ついてってもいい?」
『PAPILLON』は私の親戚が営む、商店街にある古き良き喫茶店だ。
値段も学生に優しく、和やかな雰囲気で、大橋さんは私がシフトの日は大体店にいる。
「どうせ駄目って言っても来るんでしょ?」
「あったり~っ!」
大橋さんはほぼ毎日、喫茶店やカフェ、ファストフード店に入り浸っている。
本人曰く、「家にいても親が勉強しろってうるさいんだよね~」。
まあ、良識の範囲内の時間帯までしかいないが、たまに大橋さんのお財布が心配になる。
「ねぇ、海原さん」
下駄箱で靴を履き替えていると、大橋さんが尋ねてきた。
「昼休み、誰かと電話してたよね? 何かあったの?」
「……聞いてどうするの?」
「ただの興味本位だよ~。海原さんが学校で携帯使うのが珍しかったからさ~」
そんなに使っていないイメージなのだろうか。むしろ大橋さんの方がインスタグラムやTwitterなどで使い過ぎのような気もするが……。
言って困るような内容でもないので、私はあっけらかんと答えた。
「母親からよ。来週の土曜日に引っ越すから、その準備について」
「ええ~っ!? 海原さん、引っ越すの!? どこに!?」
「実家から二駅離れたマンションよ。今より学校から近くなるから、そこだけは良かったかも」
大橋さんは私の言葉に、餌を求める犬のように目を輝かせてきた。
「マジで!? じゃあ遊びに行ってもいい!? 引っ越し祝いに何か買ってくよ~!」
今から楽しみだと言わんばかりに大橋さんは無邪気にはしゃいだ。
だが私はその場で立ち止まり、思わず黙り込んでしまった。
「あれ、海原さん?」
「……ごめんなさい、勘弁して」
「ええ~っ!? なんで!? 今までだって何度も遊びに行ったじゃん!」
「そ、そうだけど……」
さすがに例の件を大橋さんには話したくなかった。
絶対に学校中に広められて注目の的にされるのがオチだ。
付き合いが長いだけに隠し事は心苦しかったが、私は口が裂けても言えなかった。
「なんでよ~っ!? 海原さ~んっ!!」
「本当にごめんなさい……」
『PAPILLON』の従業員控室。
バイト用の制服にエプロンをつけて、私は背中まである焦げ茶髪をさっと梳かした。ロッカーについている鏡を見ながら邪魔にならないようポニーテールに結わく。
すると小休憩をしていた店長こと氷室亜紀さんが言ってきた。
「突然現れた許嫁かぁ……まるで少女漫画みたいなお話ね、羨ましいわ~」
店長は母の妹だ。お気楽な性格こそ共通しているものの、店長は恋愛脳だ。わずかでも恋愛の匂いを嗅ぎつけたら、根掘り葉掘り追究してくる困った人だ。
「あの時は今にも喧嘩が始まりそうだったから……。はぁ、もっと穏便に話を進められたら良かったのに……」
自分の対応力の無さと臆病さが悔やまれる。私は自分の安易すぎる対応を猛省した。
あの険悪さは男系家族のノリ、というやつなのだろうか。
私は女なのでよく分からないが、喧嘩は嫌いだ。止める為に思わず承諾してしまったのだ。
喧嘩なんて、はしたなく感情を相手にぶつける行為は、人間として最もみっともない。
私の持論のひとつだ。
「だけど相手の子、カッコいいんでしょ? お母さんから聞いたけど、礼儀正しくて真面目そうな子なのよね?」
「…………」
礼儀正しく真面目そう、確かにそうだ。
受け答えも聡明そうだったし、豪太郎さんとは対照的にとても落ち着いていた。あまりにも落ち着き過ぎていて高校生っぽくなかったが、私としては親近感が湧いた。
だがあの意地っ張り、頑固さは相当なものだった。
かなり自己主張も強かったし、その点においては少し怖いとも思っていた。
「嬉しいわぁ」
「嬉しい……?」
真意が分からず、私が首を傾げると店長は感慨深げに言ってきた。
「冴姫ちゃんって恋愛に無頓着っていうか、無関心っていうか、クールすぎるところがあるじゃない? 叔母の立場としては強制的でもこういう話が来て、すごく嬉しいのよ」
「…………」
なんだか、嫌な予感がする……。
店長は両手で頬を包んで、うっとりとした様子で言ってきた。
「だから二人だけの愛の巣で~っ、たくさん愛を育んでほしいわ~っ! だってまだうら若き17歳なのよ~!? 青春をエンジョイしたって誰も文句なんて言わないわ~っ!!」
妄想を逞しくし始めてきた店長に私は呆れて息をついた。
青春なんて、いらない。
青春よりもその先の人生の方がずっと長い。
だったらその先の人生を手堅く生きていく為、の準備期間に青春を充てたい。
私は頭の中でお花畑を広げていく店長を放っておいて、控室を後にした。
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