第3話 諦めは凍てつく風の中で……
小春日和の麗らかな土曜日。
ついにこの日が来てしまった。
武蔵恭太郎さんと同居する家へ引っ越す日が。
インターフォンが鳴り、兄と玄関へ向かう。
玄関の扉を開けると、家の前に車を停めたゴリラのような風貌の男性が二人。
「やあ、冴姫ちゃん、慧くん。迎えに来たぞ!」
「…………」
兄貴肌な武蔵家長男の英太郎さんと、不愛想な仮許嫁の恭太郎さんがいた。
武蔵恭太郎さんはむすっとした表情で軽く会釈しただけだった。
「英太郎さん、わざわざすみません。よろしくお願いします」
「…………」
兄が礼儀正しく挨拶するのとは対照的に、私はおどおどしながら軽く会釈する事しかできなかった。
武蔵恭太郎さんはこの上なく不機嫌そうな顔で私を睨みつけているからだ。
もしかしたらお見合いの時、私に言いくるめられたことを根に持っているだろうか。
そんな状況で武蔵英太郎さんの車に乗って引っ越し先まで行くなんて……。
だが承諾してしまったのは私だ。今更駄々をこねても無駄だ。
私は最小限の荷物を持って、兄と共に武蔵英太郎さんの車に乗り込んだ。
「にしても嬉しいぞ! 期間限定とはいえ、愚弟にこんなにも可愛いらしい許嫁が出来るなんて!」
「オレもですよ~。期間が過ぎても一家共々仲良くしてくださいね~」
「もちろん! 慧くんとはいい友人になれそうだ!」
前の座席では武蔵英太郎さんと兄が和やかに歓談していた。
しかし私と武蔵恭太郎さんがいる後部座席は、沈黙という名の重圧に支配されていた。
私も武蔵恭太郎さんも、兄たちのように口数が多くない。むしろ無口な部類だ。
しかも武蔵恭太郎さんはお見合いの一件で、私に敵対意識を持ったようだ。
ちらっと武蔵恭太郎さんの方を見てみる。
武蔵豪太郎さんほどアスリートのように筋骨隆々ではないものの、ゴリラと言い表すには十分な体格。浅黒い肌は健康的で、武士のように精悍な顔立ち。普通にしていたら整っている部類だろう。
だが完全にそっぽを向かれていて、滲み出る雰囲気がピリピリとしていた。
「あ、あの……」
「なんですか?」
「……いえ」
冷たい重低音が心に刺さる。
私も今回の件を納得したわけではないが、彼は私以上に不満を持っているようだ。
あの時、一体どうしていたら、ベストだったのだろうか……。
今になってシミュレーションしても、もう遅い。だがこの重圧に耐えるには猛省するしかなかった。
私は窓に映る無気力そうな自分の顔をぼーっと眺めた。
管理会社に寄って鍵をもらい、再び車を走らせること、約十分。
武蔵英太郎さんは引っ越し先のマンションからほど近い駐車場に車を停めた。
下車して荷物を持ち、引っ越し業者が待つ新居へ向かう。
「ほう、慧くんは経済学を専攻しているのか!」
「将来的には起業して社長になりたいんです。どうせやるなら夢はでっかくないと!」
「素晴らしい目標だな!」
190センチほどあるだろう筋肉質な巨体が貫禄に満ち溢れている武蔵英太郎さん。
色白で身長が170センチちょっとの割に瘦躯、いくらか長い白髪が中性的な兄。
外見は正反対な二人なのに、なんだかテンポが合うようだ。さっきから会話がものすごく弾んでいる。
その後ろ姿を見つめながら、私は改めて兄との違いを痛感したような気がした。
兄はいつも人の中心にいた。
爽やかで、明朗快活で、人当たりも良くて、誰からも好かれる兄。
高校時代は特に顕著で、文武両道校の生徒会長として、常に忙しそうにしていた。
しかも兄は、幸運体質と呼ばれる母以上の超幸運体質でもある。様々な種類の運を引き付けて成功を修めてきた。
本番に強いタイプで、高校受験も大学受験も難関校に一発合格。福引をすれば毎回一等賞を掻っ攫っていく。小学生の時に交通事故に遭っても無傷で済む。芸能人のサインを懸けたじゃんけん大会で周囲が全滅した中で唯一生き残ったなどなど……。強運エピソードには事欠かない。
対して私は割と不運体質だ。
両親にも親戚にも「慧くんに運を全部吸い取られた」と言われるほどだ。
高校受験は推薦でも一般でも第一志望に落ちた。福引をしてももらうのは毎回ポケットティッシュ。遠足や、学芸会の日にほぼ確実に風邪を引くのに、嫌いな運動会に限って晴天になる。おみくじで凶が出たことも少なくない。
生まれた親は同じでも、生まれた星があまりにも違う。
私の人生の大半は夢を抱くことへの諦めと、兄への羨望で出来ているのかもしれない。
だから今回の件についても諦めて、運命に従おう。
次第に冷たさが増していく風の中、私は俯きがちなまま新居である六〇九号室へ向かった。
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