第8話 迂闊過ぎた問題点

 偶然とはいえ、朝食が武蔵さんの好みと合っていて良かった。

 そのおかげで本当に多少なのだが、会話が続くようになった。

 正直言って昨日の時点ではどうなるかと思っていたが、少し気持ちが楽になった。

 この調子で距離を縮めて行けばなんとかなるだろう。

 そう確信しつつ、私は自室にある姿見の前で身だしなみチェックをした。

 今日は武蔵修治郎さんのお見舞いの日。

 十三時に父とマンションからの最寄り駅で待ち合わせて、そのまま病院に向かう予定だ。

 荷物を確認して支度を終えると、私は自室を出た。

 リビングのソファには既に支度を終えた武蔵さんが座っていた。

「お、お待たせ……」

「……いえ、自分も今出来たところです」

 武蔵さんは自分の傍らに置いていた紙袋を手に持つと、すっと立ち上がった。

「……では、行きましょうか」

「え、ええ……」

 壁の時計を見ると、時刻は十二時二十九分。

 私たちは玄関で靴を履き、六〇九号室の鍵を閉めた。

 二人並んで歩き出すと、私は少し気になっていた紙袋の中身について聞いた。

「武蔵さん……その紙袋、何が入っているの?」

「小説です。祖父は時代小説が好きで、実家から持って来ました」

 武蔵さんの言葉に、私は物珍しそうに紙袋を見つめた。

 本を読まないわけではないが、私は時代小説を読んだことがないので新鮮だった。

 今度おすすめの小説を教えてもらおう。

少しずつ広がっていく話題に私は心に余裕が出来てきた。

 最寄り駅に到着すると、改札口の近くに父が待っているのが見えた。

「お父さん、お待たせ」

「まだ時間前だよ、冴姫」

 父が苦笑しつつ腕時計を確認すると、武蔵さんは軽く会釈してきた。

「圭司さん、ご無沙汰しております」

「ご丁寧にありがとう」

 父は穏やかな笑みを浮かべると、武蔵さんに尋ねた。

「恭太郎くん、冴姫と上手くやれているかい?」

「……と言うと?」

「昨日、慧から『二人ともガチガチに緊張していた』と聞いてね」

 あ~……なるほど。

 私も武蔵さんも父の言葉に、少し気まずそうに目を逸らした。

 確かに昨日のぎこちない雰囲気では兄も心配するだろう。

 今思えば、朝食はフレンチトーストにして本当に良かった。

 そろそろ電車の時刻が迫ってきた。

 私たちは改札を抜けて、エスカレーターでホームへ降りる。

 電車を待っていると、父が懐かしむような口調で呟いてきた。

「修治郎さんに会うの、久しぶりだなぁ。何年振りだろう」

 祖父同士が親友なのだから、父は修治郎さんと何度も会っているのだろう。

 私はもっと心に余裕が欲しくて、父に尋ねた。

「お父さん、修治郎さんってどんな方なの?」

 父は少し考え込むと、微笑みを浮かべながら答えてくれた。

「警察官の鑑のような人だよ。武蔵家は代々警察官一家だからね」

 そういえば豪太郎さんも、警察官だと言っていたような気がする。

「とても厳格で、多くは語らないけど、思わず尊敬してしまうような人、かな」

「……素晴らしい人なのね」

 父が尊敬してしまうほどの人……。

 武蔵さんがお見舞いの時に頑なに拒んだ理由が分かった気がする。

「武蔵さん……」

「……なんですか?」

「その、いいんですか……? 期間限定とはいえ、仮の許嫁を演じるなんて……」

 武蔵さんは正義感が強く、誠実な人だ。だから嘘をつくことにあんな凄まじい拒否反応が出たのだろう。修治郎さんの為とはいえ、説き伏せてしまったのが今更のように悔やまれる。

 時間通りに来た電車に乗り込むと、武蔵さんは少し考え込んでから答えた。

「……嫌ですよ」

「…………!」

 呟かれた言葉に私は息を飲むと、武蔵さんは続けた。

「……海原さんに言われる前までだったら、はっきり言えました」

「えっ……?」

 私は彼の言葉の真意がいまいち分からなかった。

 電車が出発して車内が揺れ始める。

 荷物を置くための網の付近にある棒に捕まると、武蔵さんは少し目を伏せた。

「……一理あるな、と思いました。例え嘘でも、祖父さんにとって幸せな真実ならいいのかな、と……。正直、どちらがいいのか、分からなくて……」

「武蔵さん……」

 武蔵さんの言葉に私はどう声をかけていいのか分からなかった。

 武蔵さんなりに今回の件にきちんと向き合っているのだろう。だが、どちらがいいかと言われると、私にも分からなくなってきた。

 私も武蔵さんの考えは一理あると思う。あの時は喧嘩が怖くて言いくるめてしまったが、嘘は良くないとも思う。

 つり革に捕まり、電車に揺られながら私も目を伏せる。

 すると父が申し訳なさそうに言ってきた。

「すまないね、二人とも。大人の思惑に巻き込んでしまって」

 最初からそう思っていたなら、反対してくれればよかったのに……。

 私がぐっと飲み込むと、父は不思議そうな顔をしてきた。

「ところで二人とも……苗字で呼び合っているのか?」

「「~~~~ッ!?」」

 迂闊だった……!

 私たちは父の言葉に雷のような衝撃が走り、完全に言葉を失った。

 修治郎さんの病院に着くまで、あと三駅。

 幾度となく立ちはだかる問題点に、私たちは懊悩せざるを得なかった。

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