お見舞い編

第7話 朝食のフレンチトースト

 柔らかい日差しがカーテンから差し込み始めた6時頃。

 目覚まし時計のアラーム音が遠くから聞こえた。

 音は次第に大きくなっていき、私は目を擦って小さく欠伸をした。

 左手を伸ばして、手探りで目覚まし時計のアラームを止める。大きく背伸びをしてのっそりと起き上がると、足から順にベッドから抜け出す。

 布団の中と部屋の空気の寒暖差で目は覚めたものの、スッキリしなかった。

 寝不足のせいでまだ重たい瞼を擦りつつ、私はベッドから立ち上がった。

 武蔵恭太郎さんと、ひとつ屋根の下で暮らすことになった最初の夜。

 寝る部屋はもちろん別々だし、危険はないとは分かっている。だが緊張しすぎてちっとも眠れなかったのだ。

 今日は武蔵修治郎さんのお見舞いに行く日なのに……。

 とりあえず珈琲でも飲もう、私は欠伸をしつつ自室から出た。

 廊下を抜けてキッチンに行き、棚のかごの中からインスタント珈琲の瓶を探す。

 するとガチャリと部屋の扉が開く音がした。

 パッと反射的に振り返ると、手を当てて小さく欠伸をする武蔵さんが出て来た。

「お、おはよう……」

「……おはようございます」

 緊張しすぎて言葉が出て来なかった。こんなことで四ヶ月間も一緒に暮らせるのだろうか……。

 私は珈琲の瓶を手に持つと、恐る恐る武蔵さんに尋ねた。

「こ、珈琲……飲む?」

「……いただきます」

 目を逸らしながら言われると、私は瞬間湯沸かし器に水を入れた。

 武蔵さんも起きたし、少し早いがついでに朝食でも作ってしまおう。

 私は武蔵さんに何が食べたいか聞いてみることにした。

「あの、武蔵さん……今から朝食を作ろうと思うんだけど……り、リクエストとか……」

「あっ、すみません……。えっと……お、お任せします……」

 武蔵さんは蚊の鳴くような小さな声で呟いた。手持ち無沙汰になったのかソファに座り込むと、テレビをつけてニュース番組を見始めた。

 私は冷蔵庫を開けて朝食のメニューを考え始めたが…………気まずい。

この上なく気まずい。

 会話とはこんなにも弾まないものだっただろうか。家族の方がまだ会話が弾んでいた気がする。

 何か……何か話題はないだろうか。

 沈黙という重圧に耐えながら、私は必至に頭を働かせようとした。

 だが眠気と昨日からの緊張のせいで、広がりそうな話題が思い浮かばない。

 とりあえず手を動かそう……。

 私はフレンチトーストでも作ろうと、材料を取り出し始めた。




 朝食を作り終えた私は武蔵さんに呼び掛けた。

「む、武蔵さん……」

「あっ……出来ましたか?」

 私は頷くと、武蔵さんはテレビを消してソファから立ち上がった。

 私が作ったのはフレンチトーストとオニオンスープだ。

 珈琲も二人分、マグカップに注いでテーブルに並べる。

 すると武蔵さんは料理を見て驚いたように数回、瞬きをした。

 座りかけた私はその反応に思わず硬直してしまった。

「……もしかして、フレンチトースト……苦手だった?」

 武蔵さんはすぐに答えなかった。

 椅子に腰かけて、しばらくじーっとフレンチトーストを見つめる。

 先に好みを確認しておくべきだった、と私は猛省した。家でよく出していたとはいえ、甘いものが苦手な男性だって一定数いるのに……。

 私は膝の上で両手を握り締めていると、武蔵さんはようやく口を開いた。

「……美味しそうですね」

「えっ?」

「はい?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 じゃあさっきの反応は何……?

 私は戸惑っていると、武蔵さんは薄く笑みを浮かべた。

「すみません……少し珍しい朝食だったので。実家では基本的に和食だったんです」

「あっ、そういうこと……。じ、じゃあ、甘いものは……」

 苦手なの? という短い一言すら言えない。

 安堵と緊張が融合して私の心を支配する。見事に振り回されている私を他所に、武蔵さんはどこか嬉しそうに呟いた。

「意外かもしれませんが、割と甘党なんです」

「…………!」

 初めて、彼の微笑みを見た。

 ああ、こんな風に優しく微笑む人なんだな……。

 少しだけ心落ち着いて息をつくと、武蔵さんが言ってきた。

「……食べましょうか」

「そうね……いただきます」

 私は両手を合わせると、武蔵さんも同じように「いただきます」と言って食べ始めた。

 武蔵さんは一口フレンチトーストを頬張ると、よく味わうように咀嚼する。

 その様子にまだ残っている小さな不安が私に言葉を発させた。

「ど、どうかしら……?」

 また武蔵さんはすぐに答えなかった。飲み込んで、珈琲を一口啜ると私の目を見て穏やかに微笑んだ。

「美味しいです。海原さんって料理上手なんですね」

 事務的で、どこか素っ気なく感じる人もいるだろう。

 だが私の心に残っていた小さな不安はすっと消えて行った。

 初めて会話らしい会話が出来た……!

 今はそれだけで十分だった。

 緊張も少しだけ解れ、私もフレンチトーストを口に運ぶ。

 ほんのりと優しい甘さとふんわりとした食感が、さらに私の気持ちを落ち着けてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る