第27話 横断歩道の真ん中で赤に染まる

 その日からというもの、私は恭太郎さんを観察したり、話をしたりするようになった。

 もちろん、不審に思われないようにさりげなく。

 昔から人間観察は得意だが、まさかここで役に立つとは思わなかった。

 数日かけて恭太郎さんを知ろうとしていく中で、分かったことがある。

 決心した数日後の放課後のことだ。

 バイトのシフトがあると言うと、恭太郎さんはまた待っていてくれると言ってくれた。

 また店長にからかわれそうだが、せっかくの申し出を無碍には出来ない。

 私たちは学校から直行で『PAPILLON』へ向かった。

 彼の隣を歩きながら、恭太郎さんの横顔を見上げる。

 やっぱり……背が高い。おまけにゴリラみたいに体格がいい。

「恭太郎さんって本当に体格がいいわよね」

「改まって何ですか?」

 少し不審がられたが、私は上手く受け流す。

「いや、私の兄は恭太郎さんと比べるとひょろひょろだから。何かスポーツでもやっていたの?」

「……一応、三歳から中三まで空手を」

 空手、か。

 そういえば豪太郎さんや英太郎さんも空手をしている、と兄経由で聞いたことがある。

「今はやらないの?」

「勉強との両立が自分には難しいので」

 そんなことはないと思うが、それだけ熱心に勉学に励んでいるのだから素敵だと思う。

 だが恭太郎さんはどこか苦々しそうな顔をした。

「……他言無用でお願いします。特に父には」

「え、ええ……」

 いまいち真意が読めず、戸惑いつつも頷いた。

 恭太郎さんは頭を掻いてから、小さくぼそりと呟いた。

「……嫌いだったんです、空手」

「えっ?」

 嫌いなのに十二年間もやっていたのか?

 思わず首を傾げると、恭太郎さんは小さく息をついた。

 しばらくすると恭太郎さんは覚悟を決めたように、私に話し始めた。

「空手に限らず、自分は勝負事があまり好きではないんです。別にランキングをつけることをとやかく言うつもりはありません。けど……どうしても勝ち負け、という概念を、自分は好きになれなくて……」

 なるほど、そういうことか。

 確かに恭太郎さんは物静かで、温厚な性格だ。

 怒っているように見えて、実際はそうでななかった事も何度かあった。

 そんな恭太郎さんだからこそ、私は落ち着いて生活出来ているのだろう。

 恭太郎さんは申し訳なさそうに続けた。

「ですが自分の家は家系的に何かしらの武道はやらなくてはいけなかったので、ほぼ強制的に……。祖父や父の期待とか、兄や弟の方が成績的に優れているとか、色々しんどかったですよ」

「そう……」

 私は静かに頷いた。

 初めてだ。恭太郎さんが私に愚痴を零すのは。

「今は医学部を目指す、と言って納得してもらえたのでいいですが……すみません。初めてなんです、この事を誰かに話すのは」

「いいのよ、むしろ嬉しいわ」

「嬉しい?」

 今度は恭太郎さんの方が首を傾げてきた。

 横断歩道を渡る前、恭太郎さんはきちんと立ち止まって信号を確かめた。

 青信号になると、恭太郎さんは歩道側を歩いてくれた。

 あっ……気遣ってくれたのかしら。

 やっぱり、恭太郎さんは優しい人だ。私は改めて確信した。

 横断歩道を渡りながら、私は恭太郎さんに伝えた。

「平和主義なのは悪い事じゃない……素敵だと思うわ。人を痛めつける人は大勢いるけど、痛みを分かって寄り添える人はそう多くないもの。お医者さん、適性があると思うわ」

「冴姫さん……」

「応援しているわ。私に出来る事なら何でも言って。……と言っても、恭太郎さんの方が私よりも成績がいいけど」

 私はやや自嘲的に苦笑して、横断歩道で立ち止まった。

 ――――信号機の色が赤になったと、気付かずに。

「………! 冴姫さんッ!!」

 突然、手を引っ張られた。強引に。力強く。

 つんのめった。転びそうになった。思わず目を瞑る。

 何かにぶつかった。いや、受け止められた。

 冷たい布越しに感じる、鍛えられた体……。

 横断歩道を渡えた所で、恭太郎さんは深く息をついた。

「あっぶな……!」

 切迫感に満ちた低い声。初めて聞いた。

 もしかして、轢かれかけた……?

 私は今になって心臓がバクバクと跳ね上がってきた。

「あ、ありがとう、きょうたろ――――」

「何ぼーっとしていたんですか!? あと少しで轢かれていたんですよッ!?」

 思わず体を縮こませた。

 思わず目を伏せて、私はバクバクする心臓の辺りに両手を置いた。

 怒らせてしまった……。

 怒られた事よりも、怒らせてしまった事が私にはショックだった。

 くるしい。にがい。痛い。イタイ……ッ!

「全くもう……あまり困らせないでください」

「………!」

 怒っているものの、声音は優しい。

 本気で心配してくれているのが伝わってくる。

 恭太郎さんは私から手を離すとさっさと歩き出した。

 私は慌てて後を追いかけつつも、跳ね上がる胸の痛みは取れなかった。

 すると恭太郎さんは私に言ってきた。

「冴姫さん、最近ぼーっとしていますけど、何かあったんですか?」

 思わずビクッと震わせてしまった。

 やはり恭太郎さんは鋭い。私がじっと観察している時の事を言っているのだろう。

 胸の痛みを堪えつつ、私は苦笑しつつ彼の顔を見上げた。

「ごめんなさい、何でもないの。……助けてくれて、ありがとう」

 見上げた彼の横顔はどこか困ったように唇を尖らせていた。

 恭太郎さんはどこか素っ気なく、事務的な口調で言ってきた。

「次から気を付けてくださいよ」

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