第10話 老樹の爆弾

 駅から病院へ向かう間、私と恭太郎さんは全く会話をしなかった。

 恭太郎さんがどうかは分からないが、私は冷静さを取り戻すのに精いっぱいだった。

 粗相があってはいけない。

 演じ切らなければならない。

 その為には冷静さが不可欠だ。

 歩きながらゆっくりと深呼吸を繰り返して、気持ちを鎮める。

 病院に着く頃には火照った顔も多少は冷めた。

 視界も端の方まではっきりと見えるようになった。

 受付を済ませ、一度来たことがあるという父のあとを私たちはついていく。

 もうすぐ修治郎さんと対面だ。

 粗相をしない為の最後の練習として、私は彼に声をかけた。

「きょ、恭太郎さん……」

「……なんですか?」

 やや不愛想な反応。恭太郎さんも冷静さを取り戻したようだ。

 私の方は声が震えてしまったが、許容範囲内だ。

「恭太郎さん……私は修治郎さんが幸せな最期になるように務めるわ」

「…………」

 返事はすぐに来なかった。

 修治郎さんに会う前にお互いの認識の確認をするべく、私は恭太郎さんに尋ねた。

「恭太郎さんは、どうする……?」

「…………」

 私の言葉に恭太郎さんはしばらく沈黙した。

 私は恭太郎さんの返事を待つ。

 この曲がり角を曲がった先の突き当り、と看護師さんは言っていた。

 私は緊張を鎮める為に再びゆっくりと呼吸をした。

 曲がり角を曲がった瞬間、恭太郎さんは告げた。

「……賛同しましょう」

「…………!」

「やはり自分も、祖父には最期まで幸せに生きて欲しいです」

 はっきりと告げられた言葉に、彼の顔を見上げる。

 黒い瞳には力強い光が宿っていた。

 覚悟が、出来たようだ。

「……ええ、そうね」

 私は静かに、そしてはっきりと頷いた。

 廊下の突き当たりの部屋の前に着いて、父がノックをする。

「どうぞ」

 腹の底から出しているように発声のいい、低く落ち着た良く通る声。

 ピリッと緊張感が走るような感覚に襲われる。

「失礼します」

 と言って父と恭太郎さんが入って行ったので、私も恐る恐る入室する。

 電動ベッドには白髪混じりで、皺が深い精悍な顔立ちをした老人がいた。

 末期がんに侵されていると聞いていたので、やはり少し痩せ気味だった。だが目つきはしっかりとしていて力強い。きゅっと締まった口元も相まって厳格な雰囲気を醸し出していた。

 この人が武蔵修治郎さん……。

 私は圧倒されていると、恭太郎さんが先に挨拶をした。

「お久しぶりです、祖父さん」

「恭太郎か。勉学の方はどうだ?」

「はい。精一杯努めさせていただいております」

 恭太郎さんがいつも以上に事務的な口調になっている。

 だが無理もない気がした。

 修治郎さんは、まるで地に根がしっかりと張った樹齢百年以上の老樹のような人だ。

 思わず深々と一礼したくなるような印象を私は抱いていた。

「修治郎さん、ご無沙汰しております」

「圭司くんか、久しいな。……して、後ろの彼女は?」

 修治郎さんと目が合って、私はビクッと体を震わせた。

 私は粗相がないよう慎重に、かつ丁寧に挨拶をした。

「初めまして。娘の海原冴姫と申します」

 そして深々とお辞儀をする。

 修治郎さんの威圧感によってこのまま頭が上げられなくなりそうになった。それでも私はどうにか少しぎこちなく頭を上げる。

 すると修治郎さんは少しだけ口元を緩めて、感慨深げに言ってきた。

「昔の賢治郎に似ているな。聡明で賢そうだ」

「あ、ありがとうございます……っ」

 私は反射的に再び深々と頭を下げた。

 厳格だが、とても愛情深い人のようだ。

 だから豪太郎さんたちも嘘をついてまで、この人の最期を幸せなものにしたいのだろう。

 お見舞いの時に豪太郎さんが必死になっていた理由が、分かった気がした。

「……して、恭太郎」

 先程よりもピリッとひりつく声音。

 眼光もさらに鋭くなり、その場にいる全員が背筋を伸ばした。

 修治郎さんは私をしばらく見つめてから、恭太郎さんに告げた。

「豪太郎から話は聞いたぞ。お前、冴姫さんと婚約したそうだな」

「はい」

 恭太郎さんはいつになく力強く頷いた。

 押し潰されそうな威圧感の中、私は意識を保つために固唾を飲み込む。

「素敵な娘じゃないか。お前、冴姫さんのことが好きか?」

 …………………………えっ?

 真顔で言われたので、思わず素っ頓狂な声を上げそうになった。

 寸でのところで堪えると、恭太郎さんは静かに告げた。

「はい」

 間髪入れずに返事をしたので、私は腰を抜かしそうになってしまった。

 足に上手く力が入らない。視界もぼやけたように歪んで見える。

 すると修治郎さんはすました顔で爆弾発言をしてきた。

「冴姫さんのどこが好きなんだ? 教えてくれ」

「…………」

 私は言葉を失った。

 恭太郎さんもすぐに返答しなかった。

 本人がいる前で言わせるの……!?

 シャイな孫になんて苦行を強いるのだろうか。

 私は内心であたふたしてしまった。

「どうした、言えないのか?」

「…………」

 恭太郎さんは黙り込んでしまった。

 嘘でも言えるわけがない。

 あのシャイで口下手な恭太郎さんが。

 まさかこんなアドリブが待っているなんて……!

 どうやって乗り切る……!?

 どうやって誤魔化せばいい!?

 足元がふらふらする中、私は必至に思考回路を巡らせようとして――――

「冴姫さんは、」

 恭太郎さんの声が私を現実に引き戻した。

 思考が完全に止まってしまうと、恭太郎さんは修治郎さんに告げる。

「冴姫さんは……――――」

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