第12話 もう後戻りは出来ないけど……
「恭太郎さんは……人に対してとても誠実な人だと思います」
「…………」
相槌はなかった。
思わず言葉が飛び出して、私は自分自身に驚いた。
だが気持ちがどんどん先走ってしまう。私は修治郎さんの目を見ながら、半分ほど無意識のうちに言葉を紡いでいた。
「愛想がいい方ではないですし、意地っ張りで頑固なところはたまに戸惑います。無口なので何を考えているか、分からないこともありました。けど……ちゃんと自分の言動に責任が持てる人です」
どうにか支離滅裂にならないように言葉を組み立てる。
だが、気付いてしまったことがある。
私はまだ恭太郎さんの深いところまで知らないんだな、と……。
そして、一人の人間としてもっと彼のことを知りたい、とも思った。
次第に息が整ってきた私は自然とその言葉が出てきた。
「まだ出会って間もないですが……もっと、恭太郎さんのことが知りたいです」
心の底から自然と出て来た言葉に私は微笑みを浮かべた。
修治郎さんはしばらく黙って、私の目を見つめて来た。
だが逸らしはしなかった。人との対話で目を逸らすのは、失礼なことだと分かったから。
私は不思議と穏やかな気持ちで、この緊張感と静かな空気を楽しんだ。
「……そうか」
息をついて、修治郎さんは静かに呟いた。
その表情は厳格で緊張感のあるものではなく、孫を慈しむ穏やかな祖父らしいものだった。
少しの間だけ感慨深げに瞼を閉じると、修治郎さんはその静穏な笑みを私に向けた。
「嬉しいよ、恭太郎を好いてくれる人が現れて。恭太郎は昔から女性が苦手で、性格的にも女性にはあまり好かれなかったから」
「そうなんですか?」
私は思わず首を傾げてしまった。
修治郎さんは苦笑しつつ、少し昔話をしてくれた。
「知っていると思うが、豪太郎の子供は三人とも男児なんだよ。私の妻も、三人の母親も若いうちに亡くなっているせいで、特に恭太郎は甘え下手に育ってしまった……。だから女性との付き合いは一番、難しいと思っていた」
言われてみればそうだ。
恭太郎さんはあまり弱みを見せないような気がする。どこか他人行儀に感じるのはそのせいだったのか……。
だが私は修治郎さんのある一言には、納得できなかった。
「私は……他の同世代の男性より、恭太郎さんと一緒にいる方が落ち着きますよ」
「…………」
修治郎さんは少しだけ驚いたように目を見張った。
何かおかしなことでも言っただろうか……?
だが私の予想に反して、修治郎さんは口元を緩めて告げた。
「冴姫さん、孫をよろしく頼むよ」
今までで一番、柔らかくて静かな口調。
認められた、と解釈していいのだろうか。
私も精一杯、柔らかな表情を浮かべられるように努め、短く答えた。
「……はい」
一時間ほど歓談してから、私たちは病院をあとにした。
マンションの最寄り駅で父とも別れると、六〇九号室への帰路についた。
気持ちとしては晴れやかだった。
だが本当はかなり気を遣ったようで、疲労感が半端ではなかった。
六〇九号室に近付くにつれて、足取りが重たくなっていく。
「冴姫さん、大丈夫ですか? ぐったりしていますが……」
やはり表情にも出ているようだ。
とても一時間程度お見舞いに行ったとは思えないほどの疲労感だった。
私は恭太郎さんを見上げながら少し苦笑した。
「……少し、疲れたのかもしれないわ」
「あー……分かります」
恭太郎さんは思い当たる節がたくさんあるように頷いた。
すると恭太郎さんは一安心したように呟いてきた。
「とりあえず、第一関門はクリアですね」
「そうね。けど……」
私は少し顔を伏せると、帰り際に修治郎さんが言った言葉を思い出した。
『たまに二人の写真を送ってくれ』
また新たな試練の到来だ。
写真は苦手だし、おそらく許嫁らしい写真を送れ、という意味だろう。
一難去ってまた一難。まだまだ問題は山積みだ。
だが修治郎さんのおかげで、私の中の『期間限定の許嫁』に対しての認識が変わった気がした。
もちろん、あくまで親に任された役割だ。
例え四ヶ月で終わってしまう関係だとしても、案外悪くないかもしれない。
「楽しかったな……」
大切なことに気付かされた。
短い時間だったが、今日のお見舞いはとても有意義な時間だった。
私はどこか満足げに笑みを浮かべながら呟くと、恭太郎さんも頷いてくれた。
「……そうですね」
もう、後戻りは出来ない。
だが少しも怖くはなかった。
今の私なら、私たちならきっと乗り越えていける。
そんな自信が芽生えてくれたのだ。
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