第5話 全身に伝わる彼の熱
荷解きが終わった頃には十九時を過ぎていた。
今から夕食を作る気力はなかったのと、引っ越し祝いにと武蔵英太郎さんがお寿司を奢ってくれると言ってくれた。
もちろん、お手頃価格の回転寿司だが。
チェーン店なのでかなり混雑していた。順番が回ってくるまで待っていると、武蔵英太郎さんは私に言ってきた。
「冴姫ちゃん、今日は引っ越し祝いだ! 好きなだけ食べていいからな!」
「ありがとうございます」
英太郎さんの言葉に頷くと、私は近くにあった限定メニューに目を留めた。
今日から大盛り祭りを実施しているようだ。せっかくだし、いつもなら絶対に頼まないだろう大盛りのいくら寿司でも頼もうかしら。
私はメニューに当たりをつけていると、店員さんが私たちの予約した番号を呼んだ。
指定されたテーブル席へ行くと、私はお茶を入れる為に一番奥に座った。さっそく湯飲みを手に取って抹茶の粉末を入れる。
すると武蔵恭太郎さんが戸惑ったようにその場で立ち止まっていた。
どうしたのだろうか、と思っていると、
「恭太郎、せっかくだから冴姫ちゃんの隣に座ったらどうだ?」
「そうだよ~、今日から一緒に暮らすんだからさ」
「…………」
武蔵恭太郎さんは少し戸惑ったように目線を泳がせた。だが兄が武蔵英太郎さんの隣に座ってしまったので、選択肢はなかった。
「……失礼します」
腹を括って他人行儀に呟くと、武蔵恭太郎さんは私の隣に座った。
緊張しているのか、彼は俯いたまま私の方を一切見ようとしなかった。
私も異性とこんな至近距離で座ることはない。なんだか落ち着かなかった。
気を紛らわせようと、慣れた手つきで緑茶とおしぼり、お箸などを人数分手渡していく。家族で来た時、私はいつも率先してセッティングをするのだ。
小皿には醤油を適量注いで配り終えると、私はみんなに聞いた。
「皆さん、何か食べたいものはありますか?」
「そうだな……俺はかつおと、はまちを頼もうか」
「オレはホタテで~」
私は握りのメニューからかつおと、はまちと、ホタテを選択した。大盛りいくらはお楽しみにするとして、私はメニューから甘えびを探した。
すると兄が武蔵恭太郎さんに声をかけてきた。
「恭太郎くんはどうする~?」
「えっ……?」
武蔵恭太郎さんはあからさまに動揺したような声を上げた。
私もオーダーが聞きたくて彼の方へ向き直る。
だが彼は緑茶をちびちび飲むだけで、私の方を向いてくれなかった。
「恭太郎、今日はどうしたんだ? 様子がおかしいぞ」
「そんなことはないです……」
「そんなに緊張していたら明日から持たないよ~」
「別に緊張なんてしていません……」
意地を張っているものの、完全に目線が泳いでいる。
だが私は、彼の気持ちが分からなくもなかった。
いきなり異性と親しくしろ、なんて言われても私だって出来ないし、緊張もする。同居生活を送ることになる相手となら尚更だ。
だがこんなことでは、期間限定の許嫁という役割を全うできない。
引き受けた以上、中途半端にはしたくない。
私はひとつ、深呼吸をして覚悟を決めた。
「あの……何を食べますか?」
「…………」
武蔵恭太郎さんは驚いたように目を見開いた。
私もかなり他人行儀な口調になってしまい、思わず縮こまってしまった。
だが少しずつでも距離を縮めなければ許嫁なんて、務まらない。
ちらっと横目で見てみると、武蔵恭太郎さんはむず痒そうに頭を掻いた。
「……で、では……こ、こはだをお願いします……」
「りょ、了解しました……」
私はオーダーを聞くと、画面からこはだを探そうとした。
さっきまでは普通に動いてくれたのに、何故か画面の反応が鈍くなってしまった。
私が苦戦していると、兄たちはおかしそうにくすくすっと笑い出した。
「なんだなんだ? 二人ともずいぶん他人行儀じゃないか」
「若いっていいですね~、初々しくて! いや~、微笑ましいな~」
「…………」
反応したら面白がられる。私は無表情のまま、鈍くなったタッチパネルと格闘した。
どうにかこはだを見つけて選択すると、私は「注文」というボタンをタップした。
一息ついて、ソファに座り込む。
たった一言、二言しか会話をしていないのに、どっと疲れてしまった。
気分を落ち着けようと、私は熱い緑茶を啜った。
湯飲みを置いて左手をソファに置くと――――ごつごつとした大きな手の温もりが。
「…………ッ!?」
「~~~~っ!?」
彼は体をビクッと震わせ、後退り。
私も素早く左手を引っ込め、背を向けた。
「な、なんですか……!?」
「すみません、わざとじゃないんです……っ!」
今、私の顔は間違いなくみっともない。
彼の熱が手から全身へ伝わっていくようだ。
顔どころか耳まで火照っている。
心臓が激しく脈打って息苦しい。
こんなに冷静さを欠いている自分が恥ずかしい……っ!
私は両手で顔を隠して悶えていると、武蔵英太郎さんが呟いてきた。
「……二人とも、いくら何でもピュアすぎやしないか?」
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