第39話 共有 ―Smiling face in the architrave―
「いやー、君たちも災難だったねー。試験まであと一週間を切ったというタイミングで新型【異形】と鉢合わせちゃうなんて」
カナタたちが『フラウロス』と遭遇したその日の夕方。
一緒に食堂を訪れたカナタとレイに話しかけてきたのは、赤縁眼鏡をかけた黒髪の少女・不破ミユキであった。
「み、ミユキさん……と、マナカさん? なっ、なんで一緒に……?」
「『第二の世界』でちょっち鉢合わせてね。あたしのお気に入りのあの島に、この子がたまたま先に来てたのよ」
首を傾げるカナタに事情を語ったミユキは、初対面の金髪の少年へウインクしてみせた。
媚びた仕草にレイが顔を背ける中――カノンもそうだったがレイはこういうタイプの女性は苦手だ――、カナタは「じゃ、じゃあミユキさんもご飯一緒にどうですか?」と誘う。
「君から誘ってくるなんて珍しいわね。ま、王子様に誘われちゃあ断れないし、付き合ってあげるわよ」
「あ、ありがとうございます」
普段の相棒とは思えない積極性をレイは怪訝に思ったが、すぐにそのわけに思い至った。
カナタは一人になりたくないのだ。だから人との繋がりを求める。『フラウロス』に真実を見せられ、自分が普通の人間とは違うと知って生まれた疎外感を埋め合わせようとしている。
食券を買ってそれぞれカウンターで料理を受け取った後、適当な席を見つけて掛けた後、最初に口を開いたのはマナカだった。
「……カナタくん」
彼女もまた、平生とは異なる様子でいた。いつもならば快活に話す彼女の口調は、抑揚に欠け、暗く沈んでいる。
「ま、マナカさん、どうしたの?」
「……私、肝心な時にみんなの所から離れちゃった。私がいれば何か変わったかもしれないのに。みんなを守れたかもしれなかったのに」
自責の念に押しつぶされそうになっている彼女に、カナタは首を横に振った。
それから穏やかな口調で、まっすぐ少女の目を見て言う。
「き、君は『コア』の影響で心が不安定になっている。だっだから、も、もしあの場にいたら『フラウロス』の精神攻撃の影響をより強く受けていた可能性があった。そ、そうなった場合、精神が【異形】にめちゃめちゃにされて、二度と再起できないところまで追い詰められる危険もあった。
――だ、だからね、マナカさん。き、君は幸運だったんだ。離れていたから助かった。ぼ、僕は君が無事でいてくれて、ほっ本当に嬉しいんだ」
その言葉はじんわりとマナカの胸のうちに染み渡っていった。
おそらくはレイやミユキが同じことを言っても彼女の心には全く響かなかったであろう。カナタが言ったから、彼女の愛する人が言ったから、届いたのだ。
「そう、なの……? 私、何も出来なかったのに……何の役にも立てなかったのに……」
「そ、それでもいいんだよ。だ、誰もがいつだって戦場で活躍できるわけじゃない。ぼ、僕だって今回は、何もできなかった。『フラウロス』を倒したのは、元【七天使】の湊先生だったんだから」
無力感に苛まれる少女に寄り添うようにカナタは共感し、彼女を受容する。
目に涙を溜めるマナカへ、テーブルから身を乗り出して手を伸ばした少年は、その雫をそっと指先で拭ってやった。
「な、泣かないで……き、君には笑顔のほうが似合ってるよ」
優しく微笑むカナタに、くしゃっと泣き笑いするマナカ。
味噌ラーメンを啜りながら傍から眺めるミユキは、「これじゃ本物の王子様じゃない」と賞賛と感心の眼差しをカナタへ送る。
「でも、『フラウロス』を倒したのが湊先生だったなんて意外よね。あの人、『レジスタンス』を辞めてこの学園に来てからSAMなんて乗ってなかったんでしょ?」
「らしいですね。まあ、あの鬼頭教官あたりから命令されて仕方なく……なんて線もありえますが、ともかくこれはチャンスかもしれません。湊先生が再びSAMに乗ろうという心境になったのなら、頼めばボクらを直接指導してくれるかも。【七天使】に師事する好機、逃すわけにはいきませんよ。ね、カナタ?」
「う、うん。あ、明日にでも掛け合ってみようか」
息巻くレイにカナタは首肯する。
試験を目前に訪れた好機に目を輝かせる相棒に苦笑しつつ、カナタはミユキに訊ねた。
「そ、そういえば……ま、前に決闘した時、勝ったらミユキさんについて教えてくれる約束だったじゃないですか。い、色々あって忘れてましたけど、今教えてもらってもいいですか?」
「んー、実はねぇ、君に言おうとしてた秘密、マナカちゃんにもう言っちゃったのよね。彼女から聞いてくれる? できれば二人きりの時に――そうね、ちょっとしたデートみたいな感じで♡」
年下の子の恋愛模様を面白がるお姉さんにも、その方面には鈍い少年は「分かりました」と特に何も思わずに答える。
豚カツを口に運んでいるカナタを見つめるマナカは、突如舞い降りたデートの予定に胸を躍らせていた。
(今度こそデート! しかも、二人きり……あの遊園地の観覧車のリベンジを果たせる!)
先程まで落ち込んでいたのが嘘のように顔色が良くなったマナカ。
「単純な人ですね」とレイが肩を竦め、「澄ましちゃって、嫉妬しないでよね」とマナカは言い返す。
それからムキになったレイが口を尖らせ、さらにマナカが応戦していくという騒がしい舌戦が始まった。
そんな二人のやり取りをカナタとミユキは笑って眺め、彼らの夕食の時間は賑やかに過ぎていくのだった。
*
その夜。
寮へ戻ったカナタはまず、寝室でレイに『フラウロス』に知らされた真実について話した。
自分が幼少の頃におそらく【異形】である『見えざる者』に接触したこと。その『見えざる者』が自分の体内に――脳だとカナタは推測している――入り込んだこと。そして、自身に寄生した【異形】が月居カグヤに「奪われた」のだということも。
母親に【異形】が受け渡った場面の詳細を話すのは躊躇われたが、隠すよりは明かしたほうが今後の問題解決に繋がると考え、彼は正直に語った。
息子に対する強姦というカグヤの行為に顔をしかめるレイは、俯くカナタに寄り添うように言う。
「……お母様とそのようなことがあったのですね。辛かったでしょう」
無邪気に母親の愛を求めた少年の感情と、母親が無理やり与えた快楽だけの愛は平行線上にあって交わるものではない。
少年が求めたのはアガペーだ。リビドーではない。
「か、母さんに対して、どう接したらいいか……わ、分からなくなった。ず、ずっと、信じていたんだ……か、母さんは僕を心から愛してくれてるって。か、母さんに認めて欲しくて、褒めて欲しくてSAMに乗ったのに……。か、母さんが僕を愛してくれてるっていうのが僕の思い込みだったとしたら、ぼ、僕は……」
愛情の希求。承認欲求。それが月居カナタが戦いに臨んだ原動力だった。
しかし、それが無為なものだと気づかされてしまった今、カナタの依るべきところはどこにもない。
背骨が真っ二つにへし折られたようなものだ。マナカやレイの存在という支柱が周りを支えても、芯が折れてしまえばどうにもならない。
【異形】が自分の中に入っていた。自分の『獣の力』も、その【異形】が寄生していたことによる脳の変質が生んだものかもしれない。ヒトではない何かに、自分は変わってしまったのかもしれない。――だがそれ以上に、母親の愛が偽物だったことのほうがカナタの中では大きな恐れであった。
「お母様が君を愛してくれなくとも、君のそばにはボクや瀬那さんがついています」
ベッドに座るカナタの隣に掛けるレイは、確固とした口調で言った。
銀髪の少年の前髪に優しく触れ、覗けた青い瞳をレイは見つめる。
不安に揺らぐ瞳は次第に落ち着きをみせ、正面から見つめ返してきた。
「……ありがとう」
短い言葉。だが、それで十分だった。
「母親の愛」という精神的支柱を失ったカナタの心の穴を、レイが埋め合わせられるかはまだ分からない。
いや――分からない、ではない。絶対に埋め合わせるのだ。『コア』が人の精神の欠落に付け入ってくるというなら、【異形】だって同じ可能性は高い。カナタを守るためにも、レイは彼の心に寄り添って支えていかなくてはならなかった。
「君の話から見えてきたことをまとめてみましょう。
一つ、人の目に見えない【異形】が都市内に多くいること。これまで目立った被害が確認されていないことから、それらは人に害をなさない存在だと推測できます。
二つ、その【異形】は人の体内に侵入できること。それが魔法による行為なのかは定かでありませんが、カナタの話からして確実でしょう。
三つ、人の体内に寄生した【異形】は、人同士の肉体的接触によって別の人へ移ること。月居カグヤ司令がカナタの首元の痣――【異形】が寄生時に残した跡に噛み付いたことで、カナタの体内から【異形】が分離し、カグヤ氏の肉体に移動した。カグヤ氏の身体を調べないことには本当に移っていたのか断定はできませんが……人が噛み付いただけで【異形】が消え去るとも考えにくいですから、転移したと考えるのが妥当でしょうね」
スマホのメモ帳アプリに同じ内容を書き込みつつ、レイはカナタの語りから判明した新たな事実を順に並べた。
もしこれらが事実だったとしたら、とんでもない話だ。
これまでに確認された【異形】とも、『パイモン』や『フラウロス』等の新型とも異なる、人には見えない第三の【異形】が自分たちのすぐそばにいた。
さらには人類の反撃の象徴たるカグヤが、敵である【異形】をその身に宿している可能性があるなど――叶うのならば、嘘であってほしい話だ。
「ふ、『フラウロス』戦の
「そうですね……『フラウロス』の精神攻撃の効果のサンプルとして、『レジスタンス』側は見た光景の仔細な報告を求めてくると思います。カグヤ氏のことは一旦伏せておいて、それ以外をできる限り伝えるのがベストでしょう。ただ……所詮は【異形】が引き出した君の記憶に過ぎませんから、信憑性を疑われてもおかしくはありませんが」
頷いたカナタはすぐに、レイにSNSアプリのメッセージで先ほどのメモを送るよう頼んだ。
ひとまずこの話題は切り上げて、うーんと伸びをする。
「な、なんか、すごく疲れたよ。あ、あんまり戦ってないのに、この前ユイさんと試合した時よりも怠い感じ」
「心理的なストレスは当人が思っているよりも身体に出るものですからね。幸いにも明日は安息日ですし、ゆっくり休みましょう。ユイさんの様子も気になりますし、カナタ、明日にでも会いに行ってみては?」
「う、うん。分かったよ。と、ところでさ……れっレイの喋り方って、先生みたいだよね。た、たまに暴言吐くけど、基本丁寧だし」
「先に言っておきますが、瀬那さんに続き君までその呼び名を使うのは止めてくださいね。その渾名が
不平そうに少し赤らんだ頬を膨らせるレイの横顔に、カナタはくすりと笑った。
それからふと疑問に思ったことを訊いてみる。
「そ、そういえば、どうしてレイはずっと敬語で話すの? と、友達同士なんだし、僕は別にタメ口でもいいんだけど……」
「それについては深い理由はありませんよ。ボク、幼少期からずっとドイツにいましたから、日本語が母語ではないんです。だから、来日する一年前から訓練の傍ら必死に勉強して身につけた。どこに行っても通用する敬語表現は、特に重点的に。普段敬語を使うのは、単にそればかり使ってきたせいで染み付いてしまったからです」
実を言うと今でもネイティブの口語表現や俗語は分からない部分も多いんですよ、とレイは付け加えた。
ユイと比べるとあまりにも流暢に喋るために、レイが日本に来て間もないのだとすっかり忘れていたカナタは、へえと相槌を打つ。
「じゃ、じゃあレイはすごく頑張ったんだね。く、訓練しながら外国語の勉強もするなんて、僕には到底無理だもん」
「ふふっ、当然でしょう。ボクはエリートですから。『努力の天才』とはボクのことです」
カナタの賞賛に胸を張るレイ。彼の結んだ髪が揺れるのを眺めるカナタは、もう一つ気になったことを口にした。
「こっこれも前から気になってたんだけど、れ、レイって中性的っていうか、見た目だけなら女の子寄りって感じじゃない。そ、その……不躾かもしれないけど、どうしてそうなんだろうとか、訊きたくて」
楽しげに細めていた目をレイはおもむろに見開いた。
陰りをみせるその横顔に、カナタの息が詰まる。
髪を留めていたゴムを外し、肩まで伸びた髪をふわりと広げたレイは、遠い目を虚空に向けていた。
「この髪留め、姉さんのなんです。死んだ姉さんはあまり物を持たない人で……彼女が残していた数少ない遺品の一つが、これだった。姉さんはあまり飾り気がなくて、男勝りで、仲間たちからは『
もういない人を想うために。孤独から自分を守るために。あの日の罪を、忘れぬように。
レイの髪留めは単なるファッションではなく、姉が確かに存在した証なのだ。
「この髪型のボクは姉さんに瓜二つで、鏡を見るたびに彼女を思い出せるんです。ボクはボクですが、同時に姉さんでもある。姉さんが見られなかった世界を、未来を、この目で見れば――きっと彼女の供養になるのだと、信じてここまで来ました」
自分を見捨てた弟が自分と同じ格好をしていると知ったら、彼女は何と思うだろう。
感謝するだろうか。傲慢だと詰るか。
それはレイの独りよがりに過ぎないのかもしれない。姉に姿を寄せ、他人になりきることで、「罪を被った自分」という像から少しでも離れようとしているだけかもしれない。
「れ、レイ……レイは髪を伸ばす前、どんな髪型だったの?」
カナタに問われ、伸びた髪を指で弄りながらレイは俯いた。
封印した過去の自分。それを思い出せば、レイは自責の念に耐え切れなくなってしまう。
だが――カナタは話してくれた。自分の辛い過去を、本当なら一生隠してしまいたいであろう部分まで、全て。
自分だけ過去から逃げていて良いのだろうか、とレイは自身に問いかける。
いつまでも逃げて、それで本当に姉や仲間たちへの
その答えは――
「写真が残っています。いま、見せますね」
スマホの液晶上で湖畔をバックに笑っているのは、レイと同期の仲間たち、そして彼の姉だ。
中心ではにかんでいるのがレイで、その隣でおおらかに笑って肩を組んでいるのが姉。その周囲に彼の仲間四人が立っていて、それぞれポーズを取って眩しい笑顔をみせている。
今のカナタより少し短いくらいの長さの髪をした13歳のレイは、本当に華奢で小さく見えた。
少し波打った柔らかい髪を隣にいるそばかすの少女にくしゃくしゃとかき乱されている彼の表情は、照れながらも自然体だった。
「真ん中にいるのがボクと姉さん、一番左の背の高いのがエッボ、その隣でボクにちょっかいかけているのがマルガ、投げキッスなんてしている優男がディルク、眼鏡をかけた寡黙そうなのがローベルト。……みんな、ボクの大切な仲間でした。今でも忘れない、ボクを好きでいてくれた、ボクの――」
声に徐々に嗚咽が混じり、最後にはもう何も言えなくなる。
二度と還らない人たち。写真の中で笑うことしかできない人たち。
彼らを知らないカナタも、この人たちがレイを除いて全員死んだと思うと、胸が痛く、やるせない思いに駆られた。
戦場で人が死なないなんて有り得ない。何かを得る代償に別の何かを失い、傷つき、損なう。
近い未来、カナタもそれを経験することになるのだ。これまで学舎で共に過ごしてきた仲間たちを、一人、また一人と失っていく。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……」
涙を流して懺悔の言葉を連ねるレイの手を、カナタは黙って握っていた。
それは今後も隣にい続けるという意思表示だ。レイが自罰的な気持ちに押しつぶされてしまわないように支えるという、彼の決意。
二人の夜は静かに過ぎていく。何も言わず、ただ同じ意思を抱き、眠気の
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