第49話 原初的な笑み ―Archaic smile―
迂闊に攻撃すればユイがどうなるか分からない。それでも何もしないわけにはいかなかった。
叫び、そして――胸の奥底より駆け上ってくる衝動に、全てを委ねる。
脳が擦り切れるのではないかと思える程の熱が迸り、どくん、どくん、と鼓動は大きく激しく脈打つ。
「う、うおあああああああああああッッ!!」
雄叫びが機体を震わせた。
剣を高く掲げ、銀の翼を限界まで広げた勇猛たる姿に『ベリアル』は生唾を呑む。
コックピット内の少年の姿は変化を遂げていた。瞳は赤く、髪は獰猛に逆立ち、口元や指先には爪牙が伸びている。
『獣の力』――かつて体内に宿していた【異形】に起因すると思われる力を使い、少年は敵へと真っ向勝負を仕掛けた。
「ぜあああッ!」
白銀の光の筋を引いて一直線に降下する【ラジエル】。
鋭い気合を発して【ミカエル】を絡め取る黒い腕を斬りつけ、即座に離脱する。
ベリアルの魔手の数本が斬撃に耐え切れず霧散するのを尻目に、彼は再度の攻撃へと移っていった。
肉眼で追うのも至難な速度で旋回しながら攻撃と離脱を繰り返す、ヒットアンドアウェイの戦法。
最も得意とする戦術で『ベリアル』に勝負を挑むカナタの表情は、この状況にありながら笑っていた。
――ああ、気持ちいいよ。君と一緒に空を飛ぶのは――。
肌で感じる風の感触。冷たい空気の澄んだ匂い。目に映る蒼穹。
全身でそれらを感じる少年の胸は踊り、高揚感は戦闘にさらなる鮮やかさを彩った。
『この速さは――!?』
『ベリアル』の目が限界まで見開かれる。
空を舞うカナタの機動は派手に見えてその実、繊細だった。決して【ミカエル】に致命打を負わせることなく、魔手の一本一本を着実に刈り取っている。
最初に雄叫びを上げたのはフェイクだ。彼が感情的になり、理性で組み立てた戦いを演出するのだと思わせないようにするための。
勝負を焦ってはならない。怒りに任せて目先の敵に突っ込んでいってはいけない。月居カナタというパイロットは、これまでの戦いを通して自身のメンタルコントロールを完璧に行えるよう成長していた。
「ゆ、ユイさんを、離してもらうよ!」
【ミカエル】の関節部の隙間をこじ開けて内部へ侵入しかけている魔手を、断絶する。
カナタの剣撃の速度は既に『ベリアル』の侵食が進むペースを上回り、彼の目論見を阻めていた。
それを理解してもなお諦めないほど、『ベリアル』は愚かではない。
【異形】は【ミカエル】を破壊する方向にシフト、縛ったその機体をカナタの剣撃と激突させるべく振り上げるが――
「ご、ごめんッ、ユイさん!」
【ラジエル】は『ベリアル』の思ってもみない行動に出た。
振り下ろす剣の勢いは止まらない。いや、むしろ増している。『ベリアル』が【ミカエル】を盾にしているにも拘らず。
――おかしい。ヒトは互いに助け合わないと生きられない、脆弱な性質なのではなかったか。
自らの知る「ヒト」の像と異なる姿を見せつけられ、【異形】は真紅の目を限界まで見開いた。
「ああああああああああああああッ――――!!?」
絹を裂くような少女の悲痛な叫びが空気を震わせた。
魔力液が流れ出し、胴を真っ二つに切られた機体の金属片が飛散していく。
直後――激烈な衝撃が『ベリアル』を襲った。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、痛い。
彼は痛みを知らなかった。ヒトの智慧と【異形】の爪牙を同居させる彼という存在は、地上で最も強力な生命体であり、彼を脅かす者は地上のどこにもいないはずだった。
だが、地下にはいたのだ。
雌伏の時を過ごしていた人類が生み出したSAM、そしてそれを駆る「ヒトの女王の子」という存在は、『ベリアル』たち理知を持つ【異形】にとって決して無視できない脅威であった。
『くっ……一刀、入れた程度で……』
剣は急所に達していない。切り裂かれたのは腹――出血は多量だが、治癒魔法でカバーしきれる。
即座に傷口に手のひらを当てて【治癒魔法】を発動しつつ、ユイを手放して乗っている戦車を後退させた『ベリアル』は、その目を細めて少年の機体を見上げた。
『ヒトの女王の子よ……キミはやはり、ワレワレの側にいるのが相応しいヒトだ。ヒトは弱い故に結束する。弱い故に仲間同士かばい合う。しかし、今のキミの戦い方はどうだ? 『個』の戦い――実に【異形】的だと思わないか? その力もワレワレ由来のものだ。機体とのシンクロ率を高め、喰った【異形】の魔法を奪取するその力もね』
【ラジエル】の両眼のカメラを真っ直ぐ見つめて、『ベリアル』は少年へ呼びかけた。
その声にコックピット内のカナタは静かに首を横に振る。
たとえ力の源泉が【異形】にあっても、月居カナタは人として戦う。大切な人が側にいる限り、彼は【異形】に抗い続ける。その意志は絶対に揺らがない。
「は、はっきりと言うよ。ぼっ、僕は君たち【異形】に加担するつもりはない。でも……た、対話は望みたいと思う。きっ君たちと僕たちが互いに殺し合わなくて済むような未来を、僕は目指したいんだ。ぼ、僕らに痛みがあるように、き、君たちにも同じ感覚があるんでしょう? だ、だったら……互いに痛みを避けたいって思わないかい……?」
『ベリアル』の口元が弓なりに歪んだ。
優しい子だ、と彼は思った。イノセンスな理想を掲げる、真っ直ぐな少年。
実際のカナタは周囲の悪意から屈折した心を抱え、【異形】について考えるようになったのは幼き日を一緒に過ごした『見えざる者』を深層心理で求めてのことだったが――表層しか見えていない『ベリアル』には知る由もない。
『あぁ、ワタシは今痛みを知ったよ。だがね、君は【異形】を知らないからそう言えるのだ。【異形】が何故ヒトを襲うか、その根本を君は考えたことがあるか? 捕食対象をヒトに限定せずとも生きていける【異形】が率先してヒトを狙うわけを、知っているのか?』
少年は言葉を失った。
知らないわけがない。【異形】について学園で教わった際、最初の授業で先生は言った――それが奴らの遺伝子に刻み込まれた本能なのだと。
人が腹が減ったら食べ物を求め、眠たくなれば惰眠を貪り、成熟すれば性の欲求を抱くように、【異形】にとってのそれは当たり前のものなのだと。
『君は他人に一生断食していろと言われ、一生眠るなと言われ、性交も手淫も絶対にしてはならないと言われて、従えるか? ――答えは否だろう。断言できる。これ以上の説明が必要かね?』
反駁などできようもなかった。
結局カナタは叶わない理想を夢見ていただけの、愚者に過ぎなかったのだろう。
机上の空論、絵に描いた餅。変えられないものを変えようとするなど、それこそ神にでもならないと実現できない話だ。
「ぼ、僕は……彼を、信じていたんだ。と、友だちだったんだ。い、一緒に過ごした日々は……空想のものなんかじゃ、なかったはずなんだ」
『例外はあるだろうさ。ワレワレも一枚岩ではない。だが……ワレワレの大多数は対話も融和も望まない。いや、望めないのさ』
飛びついた理想が崩れる音を少年は聞いた。
【異形】は敵だ――それは分かっていても、かつて『見えざる者』と過ごした頃の記憶を取り戻してしまった今、以前のように「ただ敵だから」と躊躇なく刃を振るうことが出来なくなっていた。
それでも守るべき味方が側にいたなら、彼は戦えただろう。だが、ユキエたちが倒れ、【ミカエル】も敵に乗っ取られることを避けるために壊した現状、カナタは独りだった。
「う、ぐっ……」
『ベリアル』の背中から伸びた触手のような黒い腕たちが【ラジエル】を捕らえ、その首を締め上げる。
残酷な破壊はしない。同胞への対話という優しい理想を提示した彼へのせめてもの敬意として、彼の誇りであろうSAMの外観を可能な限り保つ形で止めを刺そうとした。
少年の虚ろな目は、カメラ越しに敵の赤い眼を見る。
――君たち全体に届かなくても、君一人には届くはずだ。
まともに声を出せない状況下であってもカナタは抵抗することなく、ただその意思だけを視線に乗せて伝えようとしていた。
『優しさは美しく、尊ぶべきものだとワタシも思うよ。だがね……生き残るには残酷さを忘れてはならない。ワレワレとヒトの間で行われているのがこの世界の少ない牌を奪い合う戦争だという事実を、理想で上書きしてはいけないよ』
『ベリアル』は微笑んだ。モナ・リザを思わせる|原初的な笑み(アルカイックスマイル)を浮かべる彼は、カナタの思いを読み取りながらもそれを汲むことはなかった。
(理想は捨てたくない。でも、ここで死ぬわけにもいかない。僕は……僕はまだ、レイやマナカさん、クラスのみんなと離れるわけには、いかないから……!)
カナタは全身の力を振り絞って、黒い手から逃れようと藻掻く。
だが腕や脚の関節が極められて動けない。雁字搦めの檻に閉ざされた少年は、血流を遮られて希薄になりつつある意識の中で敗北を覚悟するが――その時。
どくん。
激しく一拍、鼓動が刻まれた。
コックピット内の少年の肉体が震える。彼は近づいている何かの気配を感じ、赤い目を頻りに動かしてモニターの隅々を見渡した。
マップ内で急速に南下してくる青い光点上に表示されている名は、カナタが信頼する大切な少女のもの。
「――カナタくんを傷つけるやつは、どんな相手でも許さないから!」
赤き光芒を纏い、閃光となって戦場に駆けつけた【イェーガー】。
そのパイロットである瀬那マナカは『ベリアル』を見据え、宣戦布告の叫びを高らかに上げた。
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