第3話 開幕、学園生活 ―Rivalry―

「え、えと……」


 カナタはヘッドホンを付けっぱなしでいることを思い出し、それを外した。

 どうにも不機嫌そうな金髪の美少女は、掛けていた椅子ごとくるりとカナタへ向いて言う。


「ボクは早乙女さおとめ・アレックス・レイ。こう見えてもれっきとした男です」


 レイの発言が理解できずにカナタは固まる。

 艶やかな金髪は短めのポニーテール、澄んだ青色の瞳を縁取るのは長い睫毛、体つきは華奢で小柄――と、見た目は女の子だとしか思えない。

 何も言えずにいるカナタを釣り目がちな切れ長の目で睨み据え、レイは勢いよく立ち上がった。

 銀髪の少年に詰め寄ってその手を掴み、自身の胸に押し当てる。


「え、えっ……!?」


「これで分かりましたか? ボクは男です。日本こっちのスラングで言うと、『男の娘』ってやつですね」


 乳房というより胸板というべき感触に、カナタはぎこちなく頷いた。

 それでもまだ半信半疑といった様子の彼に対し、レイは溜め息を吐いて、ベルトの留め金に手を添える。


「何だったら証拠、見せてもいいですよ?」


「いっい、いいよ、そんなの。き、君が男でも、おっ女でも、僕は……」


「まぁそうですね。魔力で動かすSAMには乗り手の性別なんて関係ありませんし、何だったらこの世界で、男だとか女だとか気にしても仕方ないです。未来なんてないんだから、恋愛にも子作りにも意味なんてありませんしね」


 主語を大きくして持論を語るレイに、カナタは反論しなかった。

 それを意外に思ったようで、金髪の美少年はニヒルに笑う。


「あなたの立場なら、言い返して然るべきだと思いますが。人々の未来のために戦う『レジスタンス』、それがあなたの母親が設立した組織でしょう?」


「……ぼっ、僕は、母さんとは違う。そ、それに、母さんだって……」


「んー……何かワケありって感じでしょうか? あ、別に詮索とかしないから警戒しなくていいですよ。誰しも知られたくない過去の一つや二つ、あるものです」


 透き通る海の色の瞳は、相対する者の表面だけをなぞる。

 それからレイはカナタと入れ違いに廊下へ出ていこうとして、ドアから半歩前に踏み出した所で振り返った。


「それと、負けっぱなしでいるつもりはないですから。覚えておいてください、月居くん」


 激しく燃やされる対抗心。悪意も敵意もないのにどうにも取り付きにくい人だ、とカナタは心中で呟くのだった。



「早乙女・アレックス・レイくん……ドイツでSAM操縦技術を学んだ後、今月『レジスタンス』に認められて来日を果たした実力者。そんな人と同室になれたなんてラッキーだね、月居くん」 


 食堂にて、カナタの隣の席でそう語るのは瀬那せなマナカである。

 一人で適当に夕食を済ませるつもりだったカナタだが、幸か不幸かマナカに見つかってしまいこうして同席することとなった。

 小柄にも拘らず大盛りのご飯をかっ込む少女に、少年は冷や汗を流しつつ頷く。

 マナカが人づてに仕入れた情報によると、レイは日本人の父親とドイツ人の母親を持つハーフらしい。海外の地下シェルターから将来有望な若者を招待し、『レジスタンス』本部のお膝元で教育する――そういった制度の存在は、カナタも聞き覚えがあった。


「今、『新東京市』にいる外国人やハーフの人は、【異形】襲来以前に日本にいた人とその子供を除けば、みんな『レジスタンス』お墨付きの人物ってこと。希望ある未来を手に入れるために、そういう人たちとのパイプも繋げておかないと!」


「ね、ねっ熱心だね」


「まあね、当然だよ。誰かが率先して動かないと、このちっぽけな世界は変わらないんだから。月居くんの次は早乙女くん……どんどん味方を増やして、まずは学園から動かしていくの!」


 野望に燃えるマナカは語気を強め、カナタの手を握って宣言する。

寂滅じゃくめつの池』で見せた憂慮の表情はなりを潜め、快活に振舞う少女がそこにいた。

 触れている彼女の手の温度に、少年の心拍数は僅かに上がる。

 そんなことはいざ知らず、マナカはさっそく次なるターゲットの情報収集を開始した。


「ねえ月居くん、早乙女くんってどんな子だった? 会ったんでしょ、部屋で」


「あ、う、うん。えっと……お、女の子みたいで、ちょっと、取っ付きにくそうな……」


 声量が尻すぼみになるカナタの説明に、マナカの顔はたちまち険しくなる。

 が、持ち前の向上心を発揮して彼女はすぐに勝気な笑みを浮かべてみせた。


「取っ付きにくいくらいが逆に燃える! ……あ、そのぶりの照り焼き、ちょっと貰っていい?」


「い、いいけど……いっ意外と、食べるんだね」


 自分の生姜焼き定食を完食してもなお食べ足りない様子のマナカに、畏怖にも似た感情を抱くカナタ。

 マナカは「私食べても太らない体質なんだよねー」と細い腹回りをさすりながら、甘いタレのよく染み込んだ切り身を口にした。


「月居くんももっと食べたほうがいいよー。パイロットは体力が資本!」


「ごっ、ごもっともです……」 


 目の前で実に美味そうに頬張るマナカを見ていると、普段は少食のカナタでもつられて食欲が湧き上がる。

 口に入れた途端に崩れるような柔らかい鰤に、炊きたての麦ご飯、味噌汁、酸味の効いたドレッシングを絡めたサラダ――スナック菓子かインスタントラーメンで済ませていた引きこもり時代と比べれば、雲泥の差だ。

 新鮮な食材を毎日運んでくれている『レジスタンス』隊員に感謝しながら、黙々と食べ進める。

 ――と、そこに。


「おっ、その髪色は月居博士の息子さんか? そういや、今年で十六だったな」

 

 やや掠れた男性の声に、カナタは顔を上げる。彼はその声に聞き覚えがなかったが、向こうは知っているようだった。

 タバコを咥え、両手で夕食を載せたトレーを持って近づいてくる白衣の男。黒髪は肩口までぼさぼさに伸びていて、無精ひげを生やし、眼鏡は下のほうに若干ずれている。どうにもだらしない印象を与えるその人物に、マナカは不信感を隠そうともしない。

 

「すみません、誰ですか?」


「おっと、教師への物言いとしては少し丁重さにかけるな、瀬那マナカくん」


「きょ、教師!? し、失礼しましたっ!」


 慌てて頭を下げるマナカに苦笑し、男は二人の正面の席に腰を下ろした。

 煙を吐き出す彼は、眼鏡越しにカナタを見据える。

 どこか品定めするかのような視線に、少年はたじろいだ。


「ふむ、君は母親似だな。髪を伸ばしたら見分けがつかないんじゃないか」


「そ、そっそうです、か?」


「ああ。本当にそっくりだよ。それはもう、不自然なほどにね」


 子が親に似るのは自然なことだろう、と思っていても、カナタは何も言えなかった。

 男は少年を凝視するが、その目は彼の内面を穿ってはいない。

 タバコの煙が、二人の間を遮った。


「あのー、先生? 失礼ですがお名前を伺っても……?」


「すまない、名乗り遅れたな。俺は矢神キョウジ。君たち一年A組の担任だ」


 この男が自分のクラスの担任だという情報に、カナタは興味がなかった。大事なのは初めに口にした、「月居博士」という言葉だ。

 カナタの父・月居ソウイチロウ博士は、カナタが生まれて間もない頃にSAMの開発試験中に事故死した。物心つく前に亡くなった父について、母・カグヤは何を語ろうともしなかった。だからカナタは、父を知らない。あるのはネットで調べられる程度の表層的な情報だけだった。

 父親について知りたい――だが、それでも少年は口を開けなかった。

 母親が頑なに口を閉ざしてきたのには、意味があるのではないか。伏せなくてはならない「何か」が、父と自分の間にはあるのではないか。そう思うと、怖かった。

 


 翌日からさっそく授業は本格的に始まった。

 ここ『新東京私立SAMパイロット養成学園』は【異形】の襲来以後、廃止された高校に代わって新たに義務教育となった学園である。

 SAMパイロットとして求められるあらゆる知識、技術、戦術を徹底的に叩き込み、優秀な兵士を生み出すというのが学園の教育理念だ。

 厳しい訓練を三年間こなした者だけが卒業後、『レジスタンス』への配属を認められるのだが――卒業までたどり着ける生徒の数は、入学時の三割ほどと言われている。

 その理由こそが、この学園の特筆すべき「訓練」とそれにまつわる規則にあった。


「これからホームルームをやることになってるんだが、クラス内での決め事なんて休み時間にでも出来る。君たちには訓練――仮想空間での戦闘シミュレーションについて説明しておこう」

 

 三十名の生徒たちをざっと見渡して言うのは、教壇に身を乗り出す担任・矢神キョウジだ。

 月居カナタ、瀬那マナカ、早乙女・アレックス・レイ……入学前から注目していた面々へ視線をやりつつ、キョウジは黒板に乱雑な字でその世界の名を記す。


「【第二の世界ツヴァイト・ヴェルト】。【異形】が跋扈する地上を忠実に再現した、VR空間だ。君たちのSAM戦闘訓練は、主にここで行われる。学園の全員が同時に実機で訓練するには、スタジアムじゃ狭すぎるからな」


 プロジェクターで黒板に映し出される映像は、【第二の世界】での【異形】との戦闘の光景だった。

 体高30メートルに届く巨躯の、翼の生えた鹿の姿をした怪物【フルフル】。それを取り囲むのは三十機の量産型SAM【イェーガー】だ。

 ビル街を猛進する巨鹿の進路に立ちふさがる狩人たちは、一斉射撃を敵へ浴びせかける。銃撃のみならず大砲も並べ、撃ち放つが――フルフルの皮膚には傷一つ付きはしなかった。

 喉を震わせる怪物は雄々しい二つの角の間に青白い稲妻を閃かせ、眼下の兵たちへと雷撃を降り注いでいく。

 先輩たちが呆気なく散っていく光景に、A組の生徒たちは絶句した。


「……見て分かる通り、奴らと我々の戦力差は歴然だ。【異形】との戦闘シミュレーションで勝利をもぎ取れるのは、ほんの僅かな逸材のみ。この学園が狙いとするのは若者をみな兵士として仕立て上げることではなく、生徒たちをふるいにかけてひと握りの天才を見出し、伸ばすことだ。【異形】と戦うのに十分な実力がないと判断された生徒は、退学処分となる」


 退学。その単語はこれまで大人から示されたレールを辿ってきただけの子供たちにとって、酷く恐ろしいものに捉えられた。

 誉れある兵士になる道を閉ざされ、落伍者として生きていく――それだけは嫌だと誰もが強く思う中、キョウジは持論を語る。


「この『新東京市』にはSAM兵こそが至上であり、それ以外の一般人は穀潰しだという風潮があるが……俺はそうは思わない。月居博士も言っていたよ――人の数だけ可能性がある、と。まぁつまるところ、道はいくらでもあるってことさ」


 無精ひげの生えた顎をさすりながら言うキョウジに、マナカはこくこくと頷いていた。

 目に見えた反応があってつい口元を緩めそうになるキョウジだが、教師として威厳を持たねばと顔を引き締める。

 と、そこで一人の女子生徒から挙手があり、彼は快く応じた。


「質問ですが……【第二の世界】で【異形】に敗れたら、その時点で退学が決まるのですか?」


 金髪のツインテールを縦ロールにし、紅玉のピアスを付けた、いかにもお嬢様といった風貌の美少女。

 手元の名簿で彼女の名前を確認したキョウジは、その質問に首を横に振った。


「えー、神崎かんざきリサくんね。無敗のまま卒業できた生徒なんて、『第二の世界』創設以来一人もいないさ。仮想空間を管理するAIが君たちの戦闘を観測し、そこでの貢献度を数値化、それをもとに成績がつけられる。どう数値化しているのかはブラックボックスで俺も知らないが……ともかく、死ねば死ぬほど退学が近づくってのは確実だな」


 神崎リサと呼ばれたお嬢様は勝気に目を細め、獰猛に笑う。

 

「そうですか。では、卒業までよろしくお願い致しますわ、先生」


「自信があるのはいいことだ。そんじゃこっからは事務連絡になるが……」


 本題を語り終え、今後の授業や試験に関する情報を淡々と伝えていくキョウジ。

 それを聞き流しながら、カナタは先ほど映像で見た【異形】の姿を思い起こしていた。

 

(あの【異形】と戦って、勝ち続ける……それしか、僕の生きる道はない)


 少年はそう決意を改める。SAMに乗らなくては、彼は自分の価値を見いだせない。 

 その意識が彼をがんじがらめに縛ってしまっていることも、今の彼には自覚できていなかった。

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