第4話 新たな友人 ―Others―

「はぁ、はぁっ……ま、まさか、いきなりこんな走り込みをやらされるなんて……」


 汗ばんだ胸を上下させてぼやくマナカに、カナタは何度も頷いた。

 初回のホームルームが終わった後に彼らA組が連れてこられたのは、入学式でエキシビションマッチが行われたスタジアム。

 彼らはそこでフィールドのトラックを一時間ひたすらに走るという、古典的な体力作りの訓練を行った。

 鬼教官に怒鳴られケツを叩かれ走り続け、終了を告げる笛が鳴った瞬間、その場に崩れ落ちなかったのはドイツで英才教育を受けていたレイだけだった。

 元ひきこもりのカナタは途中何度もコースを逸れて吐いてしまったが、それでも食いついていけたのは隣で励ましてくれるマナカの存在が大きかった。


「が、頑張ったね、私たち……」

「う、うん……っ」


 地面に大の字になっているカナタの側に腰を下ろし、マナカは互いの努力を称える。

 まだぎこちない笑みを返す少年だったが、そこで降ってきた声に顔を硬直させた。


「まともに走りきる体力もなく、道中で吐き散らし、あまつさえ甘ったれた女とへらへら笑い合う……そんなやつにボクがSAMで負けただなんて、姉さんが聞いたらがっかりなさるでしょうね」


 失望と悔しさを濃く滲ませた声の主は、早乙女・アレックス・レイだ。拳を握って震わせる彼の表情は、逆光でよく見えない。

 レイの厳しい物言いに、マナカはすぐさま反駁した。

 

「ちょ、ちょっと早乙女くん! 月居くんだって必死に走ったんだから、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」


「必死になれば【異形】に勝てるんですか? ボクたちが臨むことになる戦場が、頑張りだけでどうにかなる場所だと本気で思ってるんですか? だとしたら、あなたは相当頭のおめでたい人です。大臣の娘だと聞いていましたが、それではお父様の顔に泥を塗るだけですよ」


 今度は、マナカも言い返せなかった。

 項垂れる彼女をフォローする術をカナタは持たない。レイの発言が間違いではないとカナタは知っている。頑張ってどうにかなるなら、世界は壊れてなどいなかった。頑張ってどうにかなるなら、自分の心は歪んでなどいなかった。

 

「SAMパイロットにとって、努力するのは前提条件。死んだ兵たちだってみんな努力して這い上がって、『レジスタンス』に選ばれたんです。血の滲むような訓練を経て、彼らは戦いに臨んだんです。『友達ごっこ』で乗り越えられるほど、戦場は甘くなっ!?」


 強い語気で少女の平和ボケした意識をへし折らんとしたレイだが、最後まで言えずに素っ頓狂な声を上げてしまう。

 それもそのはず――彼は後ろから伸ばされた何者かの手に、股間を掴まれていたのだから。


「なっ、なっ……!?」


「……へえ、ほんとに男なのか」


 みるみるうちに女の子のような顔を真っ赤にするレイ。

 小柄な美少年の背後で率直に驚いた様子でいるのは、茶色い短髪の男子生徒である。


「あ、あなたッ――ふざけないでください! 赤の他人の身体を、しかも股ぐらをみだりに触るだなんて、SAMパイロットの風上にも置けない破廉恥です!!」


「赤の他人なんて心外だなあ。せっかく同じクラスになれたんだから、もっと仲良く行こうぜ」 


「あのですね、話聞いてましたか? 仲良しこよしじゃ通用しない世界に、ボクらは足を踏み入れようとしてるんですよ」


「だったら通用するようにすればいいじゃん? 頭ごなしに否定する前に、試してみるのも大事だろ?」


 怒鳴りつけるレイの頭をぽんぽんと軽く叩き、鷹揚な口調で少年は諭した。

 それでも早口にまくし立てるレイを「まぁまぁ」の一言で相手する少年。この人ある意味ものすごい大物かも……と、マナカは感心と畏怖がい交ぜになった視線を送る。

 それからカナタの手を引いて彼を起こしてやりながら、マナカは少年へ礼を言った。

 

「あ、ありがとう。えーと……」


「おれは犬塚いぬづかシバマル。瀬那マナカさんだっけ? うーん、『マナっち』って呼んでいいかな?」


 握手を求めつつニックネームを考案してくるシバマルを、マナカは快く受け入れた。

 白い歯を覗かせて笑うシバマルをマナカの陰から見つめ、自分とは正反対の人種だとカナタは思う。

 

「『ツッキー』もよろしく」


 それが自分を指すあだ名だと理解するのにカナタは5秒ほど時間を要した。

 生まれて初めて誰かに貰ったあだ名。無意識のうちに微笑んでいたカナタの顔を見て、マナカは少し悔しげにこぼす。


「そ、そんなにナチュラルにニックネームを付けて、しかも笑わせるだなんて! 犬塚くん、恐るべしっ……!」


「あ、もしかしてマナっち、ツッキーのこと……」


「へ、変に勘ぐらないでね! 私と月居くんはただの友達というか協力し合ってる間柄というか――とにかく、そういう関係じゃないんだから!」


 シバマルが何か訊ねようとした側から、マナカは頬を紅潮させつつ声を張り上げて首をぶんぶんと横に振る。

 

「そうだよね、月居くん!」

「えっ、えっと、そっそうだよ、うん」


 マナカが汗を流しているのは散々走った後で暑いからか――とズレた解釈をするカナタは、とりあえず肯定しておく。


(この子もしかして鈍感……!?)

 

 マナカが内心で戦慄しているのもいざ知らず、カナタは先にフィールドを出たレイを追っていくシバマルを指して「い、行こう」と彼女を促す。

 難敵にこそ燃える――そう恋の炎をたぎらせるマナカだが、そこで腹の虫が鳴いて思考を中断させた。


「と、とにかくご飯よ! 食べなきゃ何も始まらないっ!」


 入学式の日の契約とは別に、この「好き」も叶えてみせると誓うマナカであった。



 矢神キョウジが生徒たちに示した『第二の世界ツヴァイト・ヴェルト』という単語は彼らの興味を大いにそそったが、つい先日までただの中学生でしかなかった彼らは、そこに足を踏み入れる前にまず知識を頭に詰め込まなければならなかった。

 SAMの構造や操作方法、動力となる魔力マナの扱い方、【異形】の生態や戦い方……などなど。

 予め学んでいたカナタやレイ以外の生徒たちは、初めて扱う分野に悪戦苦闘しているようだった。


「かなり昔だが、『脳の10パーセント神話』なる説があった。人間が使っている脳の領域は、その全体の10パーセント以下であるという都市伝説だ。誰もが眉唾だと思ってたこの説だが……人から魔力を引き出す『コア』の登場によって、未使用の領域――すなわち『魔力』を司る部位の存在が裏付けられた」


 キョウジが担当する『SAM歴史学』の初回では、SAMと人間を繋ぐ『魔力』について語られた。

 魔力がSAMにもたらす力の大きさを、生徒たちは入学式の模擬戦を観て思い知っている。人類が【異形】を打ち破れる可能性――それこそが、魔力によって発動される『魔法』だ。

 

「コアと接続したSAMとパイロットが揃って初めて、人類は魔法を得られる。これまでファンタジーの世界にしか存在し得なかった魔法が現実のものとなったのは、まさに『武力革命』と言えるわけだが……では、そのコアとは何なのか?」


 カナタは窓際の席から今も走り込みが行われているグラウンドを眺めながら、キョウジの話をぼんやりと聞いていた。

【異形】が現れた新暦元年、富士山に墜落した直径10メートルの隕石――それが『コア』であった。

 SAMプロトタイプに搭載できる電力に代わる動力を求めていた『レジスタンス』は、異常な熱エネルギーを放つその隕石に着目。すぐに月居カグヤ率いる調査隊を派遣して、コアの回収に成功する。


「月居ソウイチロウ博士がSAMを開発する傍ら、回収されたコアを調査するカグヤ女史は、コアが歴史上観測されたことのないエネルギーを秘めていることを確信し、その体系化に着手した。コアが墜落してから三年後の新暦3年――カグヤ女史は遂にコアの持つ『魔力』のメカニズムを解明し、ソウイチロウ博士にSAMを魔力に対応した規格に改めるよう求めた」


 魔力の法則が判明してから一年後、ソウイチロウ博士はコアを搭載した「SAM零号機」を完成させた。

 だが零号機の起動テストの最中、魔法の誤射によってソウイチロウ博士は落命してしまう。

 その痛ましい事故を経て、現在では誤作動もほぼ起こらない安全性が確立されている――そう生徒の前にも拘らず涙ぐみつつ語るキョウジに反して、カナタの心は乾いたままだった。



「カグヤ様……本日も食糧の輸送及び搬入任務、滞りなく済んだようです」


 側近である初老の男からの報告を受け、女――月居カグヤは微笑した。

 場所は『レジスタンス』本部、司令室。巨大モニターと幾つものコンソールが設けられた、月居カグヤの「居室」である。

 薄暗い室内でタバコの煙をくゆらせる彼女は、いっぱいになった灰皿にタバコを乱雑に押し付けて呟いた。


富岡とみおか。これ、片付けてくれるかしら?」


「かしこまりました、お嬢様」


「いつまで経ってもその呼び名、改めないわね。……昔を忘れられないのはあなたも同じ、か」


 カグヤは卓上の画面に映る自身の顔を見つめ、自嘲の笑みを浮かべた。

 銀色の髪を腰まで流し、前髪と伸ばしたもみあげをぱっつんと切り揃えた、人形のように幼さを残す顔立ち。くたびれた白衣を纏い、気だるげに背もたれに身を預ける姿に反して、その顔は不自然なほどの生気に満ちている。

  

「お嬢様があの頃から変わらぬおつもりなら、私もそのつもりでございます」


 軍服を着た富岡という男は、眼鏡の下から確固とした意志を宿した瞳をカグヤへ向けた。 

 女は微笑みを崩さない。夫が死んだその日から変わらぬ美貌を誇る彼女は、首から下げたロケットを開き、そこから一枚の写真を取り出した。

 追憶に耽っているのか、しばし目を細めてそれを眺めるカグヤ。

 部屋の隅のゴミ箱に灰を捨てる富岡は、掠れた声で女の心境を慮った。


「やはり、気になりますか」


「当然よ。あの子の遺伝子の半分は、私なんだから」


「だったら、心配は無用ですな」


 短い台詞に込めた信頼に、カグヤは「だといいけど」ともう一本に火をつける。

 そのタバコの味と匂いで胸のざわめきを誤魔化して、女はおもむろに席を立つのだった。



「なぁツッキー、今日の授業で分かんないとこあったんだけど教えてくんね?」

「あ、じゃあ私も一緒に勉強する! 月居くんみたいに私もSAMを使いこなせるようになりたいもん!」 


 新たな友人・犬塚シバマルを加えて、カナタはマナカと共に食堂で夕食がてら勉強会を開くことになった。

 月居夫妻の息子にして優秀なSAMパイロットであるカナタに、マナカもシバマルも期待を寄せていた……のだが。

 

「えっと、ま、魔力の使い方は……ぐぐっ、って、こっ込めてから、ど、どーん! って撃つ感じ、かな」


「お、お前……なかなか個性的な教え方するなぁ」


 論理からかけ離れた感覚的な語り口のカナタに、二人は空笑いするほかない。

 そのオノマトペで言っている部分を具体的に教えてくれないか――とは、身振り手振りで努めて伝わりやすくしようとしているカナタに言えるはずもなかった。


「うーん……実際にSAMに乗ってみたら分かるのかなぁ?」

「かもなー。ま、例外を除けばみんな初心者だし、そんな焦らなくても大丈夫っしょ」


 首を傾げるマナカに同調するシバマルは気楽に笑う。

 既に閉じてしまっている参考書の上に突っ伏した彼は、あくび混じりにカナタへ言った。


「そういやさー、ツッキーって話すとき吃るじゃん? 生まれつきそうなの?」


「……え、えっと、うん。むむ昔から、そっそうで……」


「そっか、わかった」


 それだけだった。笑いものにすることもなく、腫れものに触れるような扱いをすることもなく、シバマルは穏やかにカナタを受け入れた。

 いきなり切り込んだ質問をしたシバマルに肝が冷える思いをしたマナカも、彼の態度に胸をなで下ろす。

 彼やマナカの側でなら、人への恐怖感も克服できるかもしれない――人から逃げずにいられるかもしれない、とカナタは心中で呟いた。

 そして、逃げちゃダメよ、と囁く母親に応えられるのではないかとも思えた。


「あ、も、もうちょっと、べっ勉強、続けよ?」

「おっ、月居くん積極的だねー。私たちも応えなきゃだよ、犬塚くん!」

「んー、しゃーない、やったるか!」

「なんでちょっと上から目線なのよ……」


 ごちゃごちゃ言いながらも三人は勉強会を再開する。

 それから連日、授業が終わると三人は集まってその日の復習に勤しんだ。

 三人の取り組みはそれだけに留まらない。カナタの唯一の弱点である体力の無さを補うべく、マナカとシバマルは彼を連れて早朝のランニングにも精を出した。

 つい足を止めてしまうカナタを余裕なシバマルが励ました一方、勉強会では投げ出そうとしたシバマルがカナタに控えめながら注意されたり、どちらでも全力のマナカの姿に二人とも気を引き締めたり……と、互いに刺激し合って三人は授業外での「訓練」を日常に組み込んでいった。



 そうして二週間が過ぎた、午後の授業。座学で基礎的な操作法を一通り学んだ生徒たちは、いよいよ仮想空間『第二の世界ツヴァイト・ヴェルト』にてSAMに乗り込むことになる。

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