第5話 牙を剥く異形 ―I can't move.―

 目を開き、息を吸い込む。手を握っては開き、足をぶらぶらと揺らしてみる。

 身体の動きは現実世界と何ら変わらない。違うのは、見えている「世界」そのものであった。

 

 アスファルトが敷かれた広大な演習場――かつて地上に存在し、現在は廃墟同然となってしまっている米軍基地を再現したフィールド。

 さらに、場所も異なれば衣装も異なる。彼らが着用しているのは制服でも体操服でもなく、身体にぴったりと密着した『アーマメントスーツ』だ。

『コア』を削った粒子を混ぜた特殊化学繊維で作られたスーツは、パイロットから『コア』への魔力伝導率を飛躍的に向上させることができる。

 日差しを反射して輝くSAMたちがずらりと並ぶ前にカナタたち一年A組の生徒は集い、初めて体感する「仮想空間」に各々興奮の面持ちでいた。


「しっかしすげえよな。ここにあるのが単なるデータだとは思えないくらい、触った感じも本物みたい……」


 シバマルはその場に這いつくばってアスファルトの表面を撫でたり、匂いを嗅いだりしている。

 そんな彼を呆れ顔で見下ろすのは、マナカだ。


「ちょっと、みっともないからやめてよね。犬っぽいのは名前だけにしなさい」

「ちぇっ、つまんねーの。これだから童心を忘れたおませさんは」

「なによ、やろうっての?」

「おっ、乗ったな! ……で、何で勝負する?」


 シバマルの少し常識から外れた行動にマナカが口を尖らせ、二人が一触即発となる状況はもはやパターン化してきている。

 喧嘩するほど仲がいい二人を少し引いた所から見守るカナタは、視線を彼らから離し、視界の隅に映る金髪へと向けた。

『レジスタンス』の量産機【イェーガー】を仰ぎ、凝視するレイは、唇を引き結んで教官からの指示を待っていた。


(早乙女くんはドイツでSAMパイロットとして結果を出した立場……SAMに人一倍こだわりがあるんだろうけど)

 

 拳を固く握り締め、目元に皺を刻むレイの横顔を見つめる。カナタから見えるレイの姿は、彼のほんの表層に過ぎないのだろう――そう思ってもレイの方から拒絶の意思を示されては、カナタは何をすることもできなかった。

 早乙女・アレックス・レイは孤高の存在だった。寮で同室のカナタとも顔を合わせれば挨拶の一つはするが、それだけ。学園でも他の生徒たちと関わることはなく、黙々と訓練に取り組んでいた。

 カナタのように、他人を恐れているわけではない。レイには、興味がないのだ。だから干渉しない。だから、期待しない。

 

「全員揃っているな? ではこれより、貴様らにはSAMに搭乗してもらう! 入学してから二週間、貴様らが手抜きせず座学に臨んでいたならば、私からの説明なしで乗れるはずだ!!」


 禿頭で筋骨隆々な、サングラスをかけた軍服の教官が生徒たちへ吼える。

 連日ひたすらに走らされ、失敗の一つでもしようものなら連帯責任で罰を受けさせられ、何度も何度も怒鳴り散らされ。この二週間、座学やマラソンの他にも射撃や白兵戦の基礎教練をさせられてきた生徒たちは、「上官の命令は絶対」と完全に叩き込まれていた。

 彼らはもう子供ではなく、兵士なのだ。「イエス・サー!」と敬礼を返す彼らは手にキーを握り、SAMの脚部から背面にかけて備えられた足場を踏んで背面上部のコックピットへと上っていく。

 誰よりも早くコックピット入りしたのはレイで、それに続くのはカナタだ。

 あのエキシビションマッチで初めて触れた実機と変わらぬ内装が、少年たちを迎える。


(座った感覚も、操縦桿を握った感触も、まるで同じ……)


 カナタは『アーマメントスーツ』の胸部に取り付けられた『セル』と呼ばれる赤色のオーブに手を触れ、「目覚めよ」と呼びかける。

 その声に呼応するように真っ暗だったコックピット内はモニターの青白い光に満たされ、同時に少年は五感が研ぎ澄まされていくのを感じた。

 SAM内に埋め込まれた『コア』が発する魔力が、乗り手から魔力を引き出そうとしてその脳を刺激している――そうと分かっていても、カナタは不自然な「覚醒」の感覚を好きにはなれなかった。

 と、その時。



「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ――!!」



 破鐘のごとき轟音が大地を震わせ、その砲声に胸を衝かれた少年たちの時間は停止した。

 彼らは、知らなかった。

 その怪物が神出鬼没であることを。顔を出した瞬間にはもう、獲物の首に食らいついているということを。

 アスファルトを突き破って地中より出現した『異形』はその手を最も近かった一機へ伸ばし、『コア』の埋め込まれた胸部を掴み潰す。


『うああああああああああああっ!?』


『コア』を破砕されたSAMの末路は、敗北だ。いとも簡単に、人が蟻を踏み潰すように、『異形』は人の作りしものを破壊する。

 異常に長い手に一本の杖を携えた、尾の長い猿に似た姿。体高はSAMとほぼ同程度の約六メートルで、しわくちゃで醜い顔をしている。

 新暦4年に初出撃したSAM部隊を壊滅させたその怪物は、序列二十七番の『異形』――『ロノウェ』といった。

 

『嫌だ、来るなっ、この化物っ!?』

『おい、こんなの聞いてないぞ!? 今日はSAMに試乗するだけじゃなかったのかよ!?』

『いいから撃て! 早く倒さな――』


 喚く仲間に一人の男子生徒が反撃を促すも、手遅れだった。

 地を蹴って空中へ跳躍したロノウェは、杖の先端を禍々しい赤に瞬かせる。

 高まる魔力に揺らぐ空気。次いで何が起こるのかいち早く察知したレイは単騎前に飛び出し、腰から抜いた杖を構えて「魔法」を発動した。


「【防衛魔法(ディフューズ)】!」


 緑の輝きを放つ魔力の防壁を機体の頭上に展開し、彼は自身と周囲にいる数機を光線から守る。

 魔法同士の激突によって放散される多量の魔力はSAMの装甲を焼き焦がす。一瞬にして急上昇するコックピット内の熱に顔をしかめながらも、レイは叫んだ。


『単純な攻撃……そんなんじゃ、ボクを倒すに値しない!』

 

 ロノウェは十年前に討伐された低級の異形であり、目の前にいるのは記録を元に再現されたコピーでしかない。

 所詮は紛い物の敵だ。本物の異形が放つ威容を、この張りぼては持たない。


『あぁ、イライラしますね。その眼も、牙も、爪も、放つ殺気も――全部、嘘。本物の地獄を知らないやつが作った世界で戦って……その果てに、何が得られるっていうのですか!』


 跳躍から着地までの間に生まれる隙を、ロノウェは防衛魔法で消してくるはずだ。

【イェーガー】の射撃ではその防壁を破れない。敵を倒すならば、魔法を何度も撃たせて魔力切れを起こさせるのが最適。

 アクセルを踏み切って逃げ惑う生徒の群れから飛び出したレイは、安全マージンを十分に取った上でUターンしつつ、その舞台を見つめた。

 密集した生徒たちは異形の格好の餌だ。そして――獲物を捕食する瞬間は、捕食者が最も隙を晒す瞬間である。


『ボクは結果を出します。ふふっ、感謝してくださいね、君たちはボクがのし上がる礎となれるのですから』


 レイはSAMの外部装甲を外して排熱を行うと同時に、次なる魔法の発動のために魔力をチャージしていく。

 クラスメイトを犠牲に自身の攻撃準備を進めるレイに、シバマルは怒りに声を震わせた。


『あ、あいつ、おれたちを見捨てやがったのかよ!?』

『犬塚くん落ち着いて! 月居くんと一緒にこれまで勉強してきたのは、こういう時のためなんじゃないの!?』


 動転するシバマルを叱咤するマナカ。

 ロノウェの指先が味方の一機に届こうとした瞬間、彼女は狙い澄ました一撃でその爪をぶち抜いた。

 

『みんな焦らないで! 統制さえ取り戻せば、まだ何とかなるはずだよ!』


 その訴えは混沌にもみ消される。

 SAM操縦に不慣れな生徒たちは満足に逃走することも叶わず、その場で右往左往する者が大半だった。

 地獄を知らずに鳥籠の中の安寧を享受し続けてきた彼らは、死に物狂いで戦う意思もなく――教官の指示がなければ、まともに動けさえしない。


『おい月居、お前最高司令の息子だろ! さっさと俺たちを守れよ!』

『そっ、そうだ! お前が倒せ! まともに喋れねぇガ■ジには、化け物の相手がお似合いだ!』

『あ、あたしはこんな所で戦いたくなんかなかったのよ! あんたの母親が徴兵制なんて作ったから、仕方なくここに来ただけで――』

『戦いなんてあんたらだけでやったらいいだろ!? 俺たちを巻き込むんじゃねえよ!』


 ――なんで、この人たちは自分が守られて当然の立場だと思っているんだ。


 ――なんで、この人たちは僕に全部押し付けようとするんだ。


 ――なんで、一方的に被害者面して僕を罵倒するんだ。

 

 一人、また一人と『異形』の杖に貫かれて「死亡」しているにも拘らず、生徒たちは無責任にカナタへ悪罵の言葉を浴びせかける。

 望んで月居家に生まれたわけでも、吃音症というハンデを背負ったわけでもないのに――どうして、責められなければならないのか。

 小学時代はその吃りのせいでいじめられた。中学時代に引きこもっていた最中も、ネットでは根拠のない彼への中傷が後を絶たなかった。


 危機的状況は人の仮面を剥ぎ取り、本性を暴く。

 マナカやシバマルが側にいたお陰で表立って言われなかっただけで、『兵士として戦うことを強いられた元凶の息子』としてカナタへのヘイトを燻ぶらせていた者も多かったのだ。

『レジスタンス』は全国民が望んだ組織ではない。先の見えない『異形』との戦いよりもその場しのぎの安寧を人々は求め、地上を取り戻すという夢を忘れようとしている。おそらくカナタを攻撃した子供たちは、そういう考えの親の下で育ったのだろう。

 

「ぼっ、ぼぼぼ僕はっ……」


 僕は何も悪くないのに。

 悪いのは、人類を攻めた『異形』なのに。

 彼らにとって『異形』は人智で対処できない災厄のようなもので、それに対して抗おうとするなどそもそも無意味だと思っている。

 だから行き場をなくした不満の捌け口を、他人に求めるのだ。カナタはその、格好の的だった。


『月居くん! 月居くん! このままじゃ、みんなが……!』


 てんでばらばらに逃げようとする生徒たちを異形の光線はまとめて薙ぎ払う。

 モニターに映るその光景に、カナタは何も出来なかった。いや――しなかった、というのが正しいか。

 少年にとって、彼らは同じ人の皮を被った敵なのだから。


『ツッキー、どうすんだよ!? あの光線を避け続けるのにも限度があるぞ!』


 それを聞いて、「良かった」とカナタは内心で呟いた。

 マナカもシバマルもSAMに順応し、敵の攻撃を回避できている。

 SAM操縦には魔力という脳が生み出す力が要求され、それは単なる理論で極められるものではない。機体と自らを一体とす――その鍵を握るのは、「想像力」。感覚から入るカナタの教え方は、SAM操縦という分野に限っては正道であったのだ。


『くっ……こんな所で散るわけには……!』


 初日のホームルームで担任へ啖呵を切った令嬢、神崎リサは銃剣を構える機体の腕が震えるのを抑えられずにいた。

 それは彼女がSAMとシンクロできている証左であり、評価に値することではあったが――それも、この戦いで結果を出せたらの話だ。怯えたまま散るだけだったら、成績はプラスマイナスゼロ。


『神崎さん、聞こえる!? 私が敵の注意を引きつけるから、あなたは『魔法』の準備を!』


『瀬那さん……わ、わかりましたわ! えっと、魔法のコマンドは――』


 指図を嫌う性格のリサだが、そのマナカの指示には素直に従った。

 もはやプライドを保っている余裕すらなく、リサはモニターのナビ通りにコマンドを打ち込み、渇ききった喉を震わせ『詠唱』する。

 

『いやぁあああああああああああっ!?』

『ぎゃああああああああああああっ!?』


 爪が機体の頭部を鷲掴みにし、首を引きちぎる。

 振るわれた杖が背後から胸部を穿ち、その向こうにいた機体をも光線で焼き尽くしていく。

 悲鳴の連鎖は止まらない。

 破壊の舞台を彩る悲鳴の残滓は、SAMの爆砕音に上書きされて消えていく。

 その声は、音は、彼にとってまさに喝采。

 蹂躙することを使命として地上に降臨した『異形』は、仮想空間に蘇ってもなお衰えることを知らなかった。


『ツッキー! おい、どうしちゃったんだよっ!? ツッキー!?』


 少年には友の声が届いていない。

 頭の中に反響するのは、黒い感情に満ちた「敵」たちの声。

 お前が倒せ。お前がやれ。やれないのならば、降りてしまえ。


「い、いいい嫌だっ!! ぼっ僕は、おお降りたくなんかない! 降りたくなんか――」


 がくがくと震える手で操縦桿を握る。――動かない。

 必死に叫ぶ。コンソールにコマンドを入力。――動かない。

 SAMはパイロットの心の写し鏡。現在、カナタとのシンクロ率90パーセントを超えている【イェーガー】は、その武器を構えてはくれなかった。


「なっなんで……なんで動かない!? ぼ、僕は戦いたいんだ、たっ戦わなくちゃいけないんだ! な、なんで、なんで、いいい言うことを聞かないんだよッ!?」


 狂乱するカナタの声にシバマルは意を決して飛び出し、立ち尽くすカナタの機体を横抱きにして持ち上げる。

 歯を食い縛り四肢に【強化魔法】をかけるシバマルは、初めて聞いたカナタの叫び声に動揺しつつもそれを押し隠して言った。


『ツッキー、深呼吸しろ! いいか、とにかく焦るな! 動かない理由なんて、後で考えりゃいい!』


 格納されていた足底部のホイールを表出させ、シバマルは最大速度で戦線を離脱する。

 既に倒れた機体は全体の3分の2を超え、残るはカナタたちを除けば8人。マナカとリサ、そして他の6名は連携を取ってロノウェを包囲し、一斉掃射するが――『魔力』を最大限に扱う術を身に着けていない彼らでは、硬く強化された『異形』の皮膚に穴一つ開けることも出来なかった。

 

「オオオオオオオオオオオオ――ッ!!」


 抵抗され、苛立ちを露にロノウェは咆哮する。

 そしてまた一人、死んでいった。


「た、戦わなきゃ……ぼ、僕だけ逃げるわけにはいかないんだ! こ、ここで逃げたら……僕は、母さんに――」


 轟音が吹き荒れ、少年の叫びを遮る。

 その風が味方もろとも『異形』の肉体を木っ端微塵にしたことをカナタが知ったのは、仮想空間から現実へ帰還した後であった。

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