第6話 生き残るために、戦え ―Kill weak yourself.―

 目覚めてまずカナタの視界に入ってきたのは、見覚えのない真っ白な天井だった。

 照明の眩しさに思わず目をつむる。

 自分は知らない場所にいる――それを認識した少年は、きつく閉じかけた瞼を再び開いた。


「こ、ここは……?」


 覚醒と同時に、感覚も少しずつ冴えていくのを感じる。

 指先に触れるのは、きめ細やかな繊維の布。鼻で感じるのは、微かに空気中に混じる薬品のような匂い。耳が捉えるのは、すぐ近くにいる誰かの息遣いと、ガラス窓を軋ませる風の音。枕に預けた首を横に傾けると、白いシーツと布団が視界に映り込んだ。


「おい、マナっち……ツッキー、起きたぞ」


 その声に、カナタは自分が昏睡する前に何があったのかを思い出す。

 彼はカナタから戦う機会を奪った。彼が止めなければ、カナタは『異形』に一矢報いることができたはずだったのに――。


「なっ、なんで……なんであの時、ぼっ僕を戦場から遠ざけたの!? ぼぼ僕は戦わなきゃいけないのに、ににに逃げるわけには、いっいかないのに……!」

  

 情動の留め金が外れる。

 がばっと上体を起こしたカナタはベッド脇の丸椅子に座っていたシバマルを睨みつけ、詰問した。

 声を上擦らせ逆上するカナタを、立ち上がったマナカは悲痛な面持ちでなだめる。


「月居くん、落ち着いて! あなたはまだ安静にしてないといけないの!」


「ぼ、僕の状態なんてどうでもいいんだよ! こここ答えて、犬塚くんっ!? どど、どうして僕を――」


「自分の状態をちゃんと見つめられないやつに答えることなんて、ない」


 友からの初めての拒絶に、カナタは返す言葉を失った。

 シバマルが答えてくれない理由が、自分を愛せない少年には分からない。

 それきりシバマルは口をつぐみ、カナタも黙り込んでしまう中、どうにかその場を取り持とうとマナカは状況を説明する。


「あのね、月居くん。養護の先生によると、君が意識を失ったのは精神的にショックを受けたからだろうって……初めて『第二の世界』で『異形』と戦った生徒には度々見られる症状だから、あまり気に病まなくてもいいんだって」


「…………」


「君が倒れたのが六時間前……今は、夜の十一時だよ。食堂のラストオーダーは過ぎちゃったけど、何か食べたかったらコンビニに行って買ってきてあげる」

 

「……あ、ありがとう」


 少年の声は酷く乾き、ひび割れていた。

 マナカは微笑み、ベッドの隅に腰を下ろしてカナタの手をそっと握る。

 彼女はカナタの事情を詮索しようとは思わない。それは彼が話そうと思った時に聞くべきだ。

 ただ、今は――こうして肌に触れているだけでいい。それで少しでも彼が休まるなら、十分だ。


「……い、犬塚くん。ごっ、ごめんね。ぼぼ僕が動けなかったせいで、きっ君には負担をかけてしまった。あ、あの状況下で、無理をさせた。あ、あれが仮想じゃなくて現実の戦いだったなら、ぼっ僕は、君を殺していたかもしれなかった」


「謝るなって。友達だから助けるし、そのためなら多少の無理だってする。あれが現実の戦いだったとしても、見捨てて生き延びるくらいなら一緒に死ぬ」


 深い自己嫌悪に陥り謝罪するカナタに対し、シバマルは揺るぎない口調で言い切った。

 何故そこまで――と問いかけようとしたカナタの唇を指先で押さえたのは、マナカだ。


「君がいなくなったら悲しいから。まだ知り合って二週間しか経ってないけど、三人で一緒に頑張ってきた仲じゃない。一人でも欠けちゃいけない……君との『契約』抜きに、私はそう思うよ。それに、まだ――」


 マナカは「まだ想いを伝えられてないし」と言おうとして、やめた。

 言ったところで鈍感な彼には分かってもらえないだろうし、後でシバマルにからかわれるのは目に見えている。

 

「な、何でもないわ。気にしないで」


 照れ隠しなのかぶっきらぼうな口調になってしまうマナカに、首を傾げるカナタ。

 ほんのり赤くなる顔を俯いた前髪で隠し、そそくさと席を立った彼女は、医務室の出入り口へと足を運びながら銀髪の少年へ訊ねた。


「コンビニ行ってくる! 何食べたい、?」



「えー……なんだ。昨日は結構なお祭り騒ぎだったらしいな」


 レイ以外の生徒が『死亡者』となる結果に終わった昨日の『異形』戦をそう振り返るあたりに、矢神キョウジという男のひねくれた性格がにじみ出ていた。 

 教壇から望める生徒の表情はただ一人を除き、一様に暗い。

 あれだけ叩きのめされりゃな――と内心で気の毒な子供たちを哀れみつつ、キョウジは教師として淡々と「反省会」を進行していった。


「ロノウェの攻撃に大半の生徒は抵抗さえ出来ず、『死亡』。一部にはSAMに順応し、回避・反撃に出ていた者もいたようだが、敵への致命打は与えられなかった。戦闘を終結させたのは早乙女・アレックス・レイくんの【テンペスト】で、ロノウェを討伐したものの、その際に残る味方を全員巻き込んでしまった……というわけだな。

 よかったな、君たち。早乙女くんのおかげでクラスとしての面目は辛うじて保たれたぞー。一年の全クラス中、勝てたのは君らA組だけだ」

 

 パチパチパチ、と男の拍手は空虚に響く。

 無言の生徒たちに大仰に肩を落としてみせるキョウジは、前髪をかきむしりながら呆れたふうに言った。


「おいおい、そこは一応喜ぶところだぞ。死亡者が大半だったとはいえ、クラス単位で見れば勝ったわけだ。他クラスと差をつけ、『レジスタンス』の狭き門へより近づけたというのに。……まぁ中には、戦うことをよしとしない者もいるようだが」


 眼鏡の下から生徒たちの顔をなぞる、冷たい視線。

 自分たちは望まぬ戦いを押し付けられている――子供たちのその反発は形を持って、相対する大人へ向かう。

 初めに起立したのは、一人の男子生徒。カナタが名前も知らず、顔だけぼんやりと覚えていた、とりわけ目立ちもしなかった黒髪の少年だ。


「『異形』と戦って、何の意味があるんですか? 俺の親父は『レジスタンス』の任務中に死んだ。兄貴も姉貴も、従兄弟も。家族が死んで、お袋は日に日にやつれていってる。もし、俺まで死んだら……お袋はどうなる? ……俺は降ります。『第二の世界』で『異形』と戦って、抵抗なんて無駄だって思い知らされましたから」

 

 キョウジは咥えタバコの煙を深く吸い、それから吐き出す。

 何も言わない男は、生徒たちが不満をぶつける的に徹した。

 男子生徒の訴えが起爆剤となって、教室はにわかに紛糾する。


「あたしもこんな学校辞める! 兵士になんてなりたくない!」

「そうだそうだ! 前から『国民皆兵』なんてずっとおかしいと思ってたんだ! 『我々の地上を取り戻しましょう』だ? そもそも俺たちは地上なんて知らないのに!」

「人類が地下都市に住み始めてから一度だって『異形』の侵入はなかったんでしょ!? だったら、わざわざ地上に死にに行くより地下で平和に暮らしたほうがましよ!」

「『レジスタンス』が戦うのは勝手だけど、俺たちを巻き込むんじゃねえ!」


 無理もなかった。『レジスタンス』は現状維持が精一杯で目覚しい戦果を挙げられておらず、『新東京市』には厭戦ムードが漂っている。加えて、新暦元年以降に生まれた子供たちには地上への執着がない。狭く不便な地下都市での生活が、彼らの「当たり前」なのだ。

 これは教師の一声でどうにかなる問題ではない。キョウジは子供たちに言わせるだけ言わせて、その怒りが燃焼し切るのを待っていた。


「――少しは静かにしたらどうですか、皆さん!?」


 そんな中――艶めく金色のポニーテールを揺らして一人の少年が立ち上がり、机を思い切り叩いた。

 小柄な身体には似つかわしくない大音声。その叫びに、騒然となっていた教室は一瞬で静まり返る。

 口笛を小さく吹くキョウジを押しのけ、教壇に立った早乙女・アレックス・レイは、同輩たちを睨み据えた。


「何故この学園に来たのですか、と問われれば皆さんの大半が『義務教育だから』と答えるのでしょう。ですが、分かっていたはずです。この学園は兵士を育成するための機関であり、卒業すれば『レジスタンス』の兵になるのだと。しかし主張を聞いてみれば、兵士にはなりたくないだの、戦いたくないだの……初めからそう思っていたのなら、不登校扱いになってでも別の道を探せば良かったじゃないですか。なのに君たちがそれをしなかったのは、何も考えていないから。平和な日常が『当たり前』だと思い込んで、のうのうと生きているからです」

 

 地下都市に『異形』が入ってこないのは、『レジスタンス』が懸命に防衛しているためだ。

 戦わなければ平和は掴めない。兵士が減れば、人類の寿命は刻一刻と縮まっていく。


「舞台を降りたければ降りればいい。でもその結果、近い将来『新東京市』が滅んでも文句は言わないでくださいね。生きたければ戦う――それしか、選択肢はないんです」

 

 この場の生徒で唯一、地上を見た経験のある彼だからこそ言える言葉だった。

 少年の正論は現実を知らない子供たちの心を穿つ。これまで享受してきた安全が絶対のものではないと、彼らは初めて自覚した。

 

「……七瀬ななせイオリくん。お母様を守りたいのならば、あなたがSAMに乗るべきです。お母様はあなたを信じて、この学園に送り出してくれたのではないですか?」


「早乙女……誰もがお前みたいに強いわけじゃ、ないんだよ」


 最初に発言した黒髪の少年へ、レイは強い語気で言う。

 だが少年――七瀬イオリは、首を横に振りながら掠れた声を漏らした。

 イオリには母親が自分を信じてくれていることがもちろん分かっている。だが、彼は自分を信じられずにいた。『異形』に対しての恐怖に竦み、何も出来なかった無力を呪うしかなかった。


「ボクだって、初めから強かったわけではありませんよ。ボクが君たちより強いのはドイツでの三年間の学びがあったから。初搭乗でSAMを完璧に乗りこなしてみせた誰かさんとは違ってね」


 窓際の席に突っ伏し、ヘッドホンを耳に当てている銀髪の少年を引き合いにレイは語る。

 教壇を離れ、かつかつとカナタの席へ詰め寄った彼は、そこに伏せている銀色の髪を鷲掴みにした。


「早乙女くん、何を――!?」

「何やってんだアイツ……!?」


 咄嗟に立ち上がったマナカとシバマルも意に介さず、レイはカナタの頭を揺さぶって詰問した。


「入学式の模擬戦で、君はボクに勝ちましたね。素晴らしい両親のもとに生まれ、恵まれた環境でSAMを学び、初めて触れた実機に即座に適応できるほどの天賦の才を持つ。君は、そういう人です。そんな人が何故、あの時戦わなかったのか……ボクには理解できません」


 見下ろしてくる青色の瞳に宿るのは、激情だ。

 気圧されるカナタへ、レイは矢継ぎ早に


 憎しみにも近い嫌悪をぶつけられ、カナタは瞼をぎゅっと閉じる。

 その少年の態度に失望したように溜め息を吐くレイは、徐ろに銀髪を掴んでいた手を脱力させた。

 

 ――何も、言い返せなかった。本当に、みじめだ。


 自己嫌悪に苛まれる少年。彼をフォローする声は、なかった。



『第二の世界』の時間は現実と完全に同期している。

 青白い月明かりが旧米軍の訓練場を照らす中、月居カナタはそこで一機の【イェーガー】を起動して、独り無断での射撃訓練に臨んでいた。

 

 ――目標に照準を合わせて、撃つ。それは、できる。


 構えた小銃から流れるように放たれる連弾は、立ち並ぶSAMを模した的の頭部を狙い違わず撃ち抜く。

 弾切れなど気にしない。ひたすらに、SAMと一体となることを意識して、撃つ。

 それでも、モニターに表示される機体とのシンクロ率は五割を下回っていた。着用している『アーマメントスーツ』の密着した感触も、以前は気にならなかったのに窮屈に感じる。

 

 ――何がいけない? 僕の、何が……。


 機体が正常に動かないのは、パイロットが異常なせいだ。そしてあの時、カナタは周囲の声に――黒い感情に犯されて平静ではいられなかった。

 

 ――いけないのは、心だ。僕の、弱さだ。


 撃つ。撃つ。撃ち続ける。目の前にあるのは、弱い自分の分身だ。

 逃げることを禁じた母の言葉は呪縛となって少年を突き動かし、感情に任せて撃鉄を引かせる。

 

「あ、ああ……あああああああああああああッッ!!?」


 撃てば弱い自分を殺せる。そうすれば、母親が望む優秀な戦士になれる。人の役に立つ兵士になれる。自分を殺してでも――カナタは、強いSAMパイロットになる義務がある。

 

 ――死ねよ。死ねよ。死んじまえ。弱い僕なんか、戦えない僕なんか、誰からも必要とされないんだから。僕の価値を認めてもらうには、みじめな自分なんていらないんだ。


 頭が爆ぜる。左胸に風穴が開く。肩が弾け飛び、膝が破壊されて機体が崩折れる。

 この破壊は儀式だ。そのはずなのに――少年は、辛くなるだけだった。


「ごっごめんなさい、かか母さん……。ぼ、僕には、何も……できないよ。でっできるわけ、ないよ」


 変わり方が分からない。前に、進めない。

 暗いコックピット内で涙を流す彼は、孤独だった。

「帰ったらどうですか?」――レイにそう言われた後、その日カナタは初めて授業をサボった。保健室まで会いに来たマナカやシバマルも、拒絶した。

 このままでは母親との繋がりだけでなく、友達との繋がりも失ってしまうかもしれない。それでも、カナタはマナカたちと顔を合わせるのが怖かった。下の名前で呼んでもらえたのは嬉しいはずなのに、何か裏があるのではないかと思えてしまう。


 ――ごめんなさい。ごめん、なさい……。


 少年が心中で謝罪の言葉を連ねた、その時だった。

 銃声が、背後から打ち上がった。

 直後、衝撃。バランスを崩した機体が前に倒れ、地面に膝と手を突く。


「なっ……!?」

言葉の刃を浴びせる。


「戦わない者を世話するだけのリソース的余裕は、この学園にはないはずです。それを踏まえた上で言いますが――戦わないなら、帰ったらどうですか? 昔のように家に引きこもって、嫌なことから逃げ続ける……『異形』相手に動けない君には、それがお似合いですよ」


「っ……ぼ、僕は……っ」

 咄嗟に振り向いたそこに立っているのは、一機の【イェーガー】。

 無言で殺気をぶつけてくる襲撃者に対し、カナタは震える手で自分の銃口を敵へと向けた。

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