第17話 二人目の契約者 ―Pitiful child―
SAMパイロット養成学園における「試験」は筆記試験のほかに、『異形』との戦闘という実戦形式のものもある。
クラス単位で行われる勝負は一度きり。生徒たちの成績は、その戦闘中の貢献度などをAIの分析で総合的に評価し、SランクからDランクまでの五段階で表される。
試験を目前とした五月末の昼下がり、屋上に出たカナタたちはよく晴れた青空の下で弁当を広げ、一息ついていた。
「来月からはテストかー。『異形』戦はツッキーやレイ先生がいるから何とかなるだろうけど、問題は筆記試験のほうだな」
「だ、大丈夫だよ、犬塚くん。ぼ、僕たち一緒に頑張ってきたじゃない。そ、その成果はちゃんと実を結ぶはずだよ」
「……いや、カナタくんはちょっと楽観的すぎだよ。だって――」
マナカはそう首を振ってシバマルの前に一枚の紙を突き出す。
それを見てたちまち顔を青ざめさせるシバマルの様子に、リサやイオリたちもその紙を覗き込んだ。
「……おいおい」
「ちょっと駄犬、どういうことですの!?」
上から下までペケだらけの小テスト用紙。科目名は『魔法学』である。
悲惨な点数を目にしてカナタたちが唖然とする中、シバマルはおそるおそるマナカへ訊ねた。
「…………マナっち、それどこで手に入れた?」
「どこかの誰かさんが授業終わりにゴミ箱に突っ込んだのを、回収してきたの! シバマルくん、何か弁明することは?」
「だ、だってしょうがないじゃんか! 苦手なもんは苦手なんだよっ! 『魔法』だとか『SAM』の理論だとか、そーいう細かいのよく分かんないし……」
言い逃れしようとするシバマルに対し、マナカの微笑みは極寒の冷たさを放っていた。
ひっ、と身体を縮こまらせる少年へ、少女の鉄槌が振り下ろされる。
「『分かんない』を分かんないままにしない! 勉強会で見た時はよくできてると思ってたけど、得意科目だけやってたってわけね?」
「……言い訳の余地すらないぜ、マナっち……」
シバマルがマナカのお叱りを受ける光景を眺めるカナタの中では、「『分かんない』を分かんないままにしない」という彼女の言葉がリフレインしていた。
GWの『パイモン』戦を最後に、カナタの力の「覚醒」は起こっていない。あれが起こったのはグラシャ=ラボラス戦とパイモン戦の、二回だけだ。
得体のしれない力の暴走が起こっていないことに安心しつつも、三週間経っても何もないのは少し不気味にも思える。カナタはあの戦い以来『異形』戦には臨んでいないため、『異形』との接触が力の発現のキーだとすれば、納得できる話ではあるが。
「……わ、分からないこと、か」
カナタは【ラジエル】という新型機を得て、日々の授業や訓練も順調にこなし、友達との関係も良好に続けられている。
傍目には特に問題はない。だが、それは彼に問題を見出していない者の見方だ。
「どうしたのです、月居くん?」
「う、ううん、何でもないよ」
訊いてくるリサにカナタは首を横に振る。
曖昧な笑みを浮かべる少年に「なら良いのですが」と返し、リサは水筒の蓋を外すと、カップ状になっているそれにレモンティーを注いでカナタに渡した。
「天気も良いことですし、お茶でも飲んでリラックスしなさいな。私が選りすぐったブランド品ですから、よく味わって飲むのですよ?」
「……あ、ありが、とう」
甘酸っぱい味が口内に染み渡っていくのを感じながら、少年は礼を言う。
好意と厚意。それが仮に打算だとしても、今の彼には有り難かった。
風に揺れる縦ロールの金髪を横目に、カナタは何となく訊いてみる。
「か、神崎さんは、も、もし隣にいる人が急に別人のように変わってしまったら、どうする?」
「……奇妙な質問ですわね。まあ、答えるとするなら……」
碧い瞳で少年を正視して、少女は回答した。
彼の長めの前髪にそっと触れ、撫でながらリサは微笑む。
「その人は、その人ですわ。たとえ、これまで見せていなかった顔があって、それを見てしまったところで私の付き合い方は変わらない。私か、それ以外か――私の世界のあり方は、常にそれだけですから」
神埼リサは誰に対しても平等に、尊大に接していた。
自分の家柄という誇りが彼女を高め、堂々たる振る舞いの原動力となっている。態度の彼女を気に食わないと言う者もいるが、リサにとってそんな声は雑音に過ぎない。
「月居くん、あなたは優れた人間ですわ。何も卑屈になることはない、堂々としていればよくってよ」
カナタやレイが新型機を支給されることになった経緯――対パイモンにおける戦果が評価された――を、クラスメイトたちは知らなかった。そのため、彼らの中には「えこひいき」だと二人を
リサはそれを気にするカナタに胸を張ってみせ、「あなたも倣いなさい」と目で訴える。
「う、うん。さ、早乙女くんも、いつも通り孤高を貫いてるし……ぼ、僕だけ気に病んでるわけにも、いかないからね」
リサと仲良くなれて良かった、とカナタは思う。自分とは全く違う精神性の人がそばにいて、生き方を見せつけてくる――それによって少しでも、自分が変われる気がした。
*
月居カナタと早乙女・アレックス・レイが新型機を獲得したという情報は既に学園全体に広がっており、来る「中間試験」における「目玉」と騒がれていた。
試験での『異形』戦は、戦闘に臨むクラスの同学年以外の観戦が許可されている。試験での『異形』戦を四度乗り越えてきた二年、三年の生徒たちの間では、二人の新星の話題で持ちきりだった。
彼らを見に一年A組の教室まで足を運ぶ野次馬根性の者も多く、食堂でも上級生に話しかけられてカナタは辟易するばかり。
そんなある日の放課後の出来事だった。
「やっほー、王子様ー。ちょっち、相手してくんない?」
食堂で席を探していたカナタの正面で見知らぬ女子生徒が立ち止まり、彼に声をかける。
定食を載せたトレーを持ったまま硬直するカナタ。
彼の白いヘッドホンをそっと外し、その女子生徒は整った顔に柔和な笑みを浮かべた。
「別に、怪しいもんじゃないわ。あたしは2年B組の
長い黒髪をポニーテールにした、赤い縁の眼鏡をかけている背の高い女子。
制服の下から激しく主張している双丘にカナタが思わず目を逸らすと、不破ミユキと名乗った彼女は猫のように喉を鳴らして笑った。
「怖がらないで? 変なことしようってわけじゃないから。まぁ……君が望むなら、ちょっちサービスしてあげてもいいけど♡」
「お、お断りします。ぼ、僕、今日は一人で食べるので、失礼させてください」
「じゃ、ちょうどいいじゃない。月居くん、お願いだから一度だけ付き合ってくれない? もし不快に感じたら、席を立ってもらっても構わないから」
声音を真剣なものに改めて頼み込んでくるミユキに、カナタは逡巡した。
正直、こういう女性はカナタの苦手なタイプだ。だが、一度だけだからと言われると何となく断りづらい。
「わ、わかりました。か、軽く話すくらいなら……」
「決まりね。じゃ、取り敢えず席探しましょっか。……あっ、あそこの窓際空いてるわね」
ただでさえカナタは人目を集めるのに、上級生の女子と一緒にいればなおさら注目されてしまう。
彼は空席へとずんずん向かっていくミユキの後を俯きがちに追いながら、時おり視線を上げて、揺れるポニーテールを見つめた。
(……さっきの声音からして、興味本位ってわけでもなさそうだ。でも、だったらどうして……?)
席に着いたカナタは、夕食を買いにカウンターへ行ったミユキが戻ってくるのを待つ間、奇妙にざわつく胸を押さえていた。
コップの水面に浮く氷を、意味もなくストローで掻き回す。少年はカランカラン、という音の軽さに、胸のうちに湧き出た微かな期待を重ね合わせた。
「おまた~。さ、食べましょ」
豚骨ラーメンを前に手を合わせ、「いっただきまーす」と元気よく言うミユキ。
曇る眼鏡越しに見つめられて、カナタは居心地悪そうに身体を揺すった。
「どしたの、食欲ないの? 食べれないならあたしが貰ってあげるけど」
「た、食べれます。……いただきます」
ミユキは訊ねながら真っ白くなった眼鏡を外し、それをハンカチで拭く。
眼鏡を取った彼女の顔は、どこか野性味のあるボーイッシュな雰囲気で、カナタはついまじまじと見つめてしまう。
大きな瞳は透き通る緑色で、つり目がちな切れ長。鼻梁は高く、薄い唇には淡く紅が差されている。
「あたし、眼鏡外すと年下に見られがちなのよね。別に視力が悪いわけじゃないんだけど、舐められないように伊達眼鏡かけてるの。言ってみれば自己防衛の手段の一つ……君のヘッドホンと同じね」
少年っぽい顔に笑みを浮かべて言ってくるミユキに、カナタはこくりと頷く。
話題が浮かばず黙々と食事を進めるカナタを凝視して、ミユキは呟いた。
「やっぱ似てるわね、女王様に。ふふ……可愛い」
「じょ、女王様って、月居司令のことですか?」
「それ以外ないでしょ。……ねぇ、王子様。お母さんのこと、好き?」
学園の一生徒にも拘らず、この女子生徒は月居司令と面識があるらしい。
驚くカナタの胸中でミユキへの興味が湧き上がる中、彼女からそう問われて彼はぽかんと口を開けた。
「……え、えと、まぁ……は、はい」
「良かった。女王様の対応、いつも雑でしょ? あまり部下を気にかけたりもしないみたいだし、夜な夜な愛人と遊んでばかりって噂もあるそうだけど、きっと君を愛しているはずよ。……他人であるあたしが勝手に保証することじゃないかもしれないけど」
知ったふうな口で語るこの人は、果たして何者なのか。カナタは訊ねようと思ったが、聞いてもはぐらかされるだけな気がした。
ラーメンを啜って「んま~いっ!」と声を上げるミユキを眺めて、悪い人ではなさそうかな、と心中で評価する。
「あ、あの……たっ、ただ僕に興味があるわけじゃないんでしょう? な、何か、本題が……も、もしかして、母さんのことですか?」
「んー、半分は合ってる感じかしら。私が知りたいのは、君の『例のアレ』のこと。……食べ終わったら場所、移すわよ」
ミユキはそう答え、最後に小声で付け加える。
自分のことが周囲の生徒たちに聞かれるのも嫌なので、カナタは素直に頷きを返した。
かなりこってりした豚骨ラーメンを五分足らずで完食したミユキは、カナタの定食のおかずを予め用意していた小皿に取り分ける。
「……ほ、ほんとに食べるんですね」
「そっ。あたしね、こう見えて結構食べるほうなのよ。食べまくっても頭と身体毎日使いまくってるから、肥満とは無縁。まあ、筋肉で体重が増えるのは女子的にはビミョーなんだけど」
「た、確か二年からはコース選択で、め、メカニックになる道も選べるんでしたよね? み、ミユキさんは……?」
「あたしは普通にパイロットコースよ。同級生のうち、SAMの整備士や設計士のコースを取ったのは全体の三割ってとこ。王子様、君はパイロットになるの?」
SAMの整備や設計に従事する、いわゆる「裏方」の仕事を請け負う人たちはメカニックと呼ばれている。魔法を提唱した早乙女博士や『コア』と『魔力』に関する技術を体系づけた月居カグヤ博士などの科学者も、広義ではここに含まれる。
彼らはパイロットにとってなくてはならない存在だ。実機に乗って任務を行う『レジスタンス』隊員は、一人ひとりが個人、あるいは複数人のメカニックと契約を結んでいる。腕利きと評判のメカニックは何十人ものパイロットと契約し、隊員からは『影の英雄』と呼ばれるほど讃えられていた。
「は、はい。僕は兵士として『レジスタンス』入隊を目指すつもりです」
「そう。女王様の息子ってことは、操縦技術も母親譲りで凄いんでしょうね。試験を観戦するの、楽しみにしてるわ」
「……あ、あの、かっ母さんは、SAMに乗ったことがあるんですか?」
月居カグヤは元科学者で現在は『レジスタンス』の司令である。パイロットとしてどこかに所属していたという記録は、ない。
カナタに聞かれて「あら、知らなかったの」とミユキは驚きつつも首肯した。
「あくまでも『レジスタンス』内で囁かれてる噂なんだけど、司令は過去に何度か試作機に乗ってたらしいの。第二世代のSAMで、第四世代の【イェーガー】にも劣らない速度と攻撃精度を実現してたそうよ。彼女がメカニックに付けられたあだ名は、『神速のカグヤ』! もう聞くだけでかっこよすぎて鳥肌立っちゃうわ!」
「も、もしかしてミユキさん、母さんのファンなんですか?」
「あたしみたいな貧乏学生がファンなんて名乗れるか分からないけど、ブロマイド集めたりインタビューが乗った雑誌を買い集めるくらいには入れ込んでるわね。同じ女として、強い女性には憧れちゃうものなのよ」
瞳を輝かせて熱弁するミユキに、カナタは顔を綻ばせた。
少しばかり二人の距離が縮まったところでカナタも食べ終わり、ミユキに連れられて学生寮の外へ出る。
冷えた夜の風に腕をさすりながら、少年は一つ年上の少女へ聞いた。
「あ、あの……これからどこに行くんですか?」
「目的地とかは特に決めてないわ。強いて言うなら、遊園地かしら」
「こんな夜に遊園地?」と首を傾げるカナタに悪戯っぽく笑い、ミユキは彼の手を引いて歩き出す。
ほとんど人気のない道路を二十分ほど歩いて辿り着いたのは、遊園地行きのモノレール乗り場であった。
ICカードを改札にかざし、ピッ、という軽やかな音を小耳に無人のホームへと出る。『新東京市』の交通システムの全てはAI『エル
ほどなくしてモノレールがホームに到着し、音もなく空いた一両に二人は乗り込んだ。平日の夜ということもあり、同じ車両には誰もいない。
窓から見える学園の校舎をぼんやりと眺める二人の間には、しばしの沈黙が降りた。
「…………」
何も考えない。ただ静かに空間を、時間を、二人きりで共有する。
隣に座るミユキの横顔はひどく穏やかだ。カナタのことをすっかり忘れてしまったかのように、窓の外を凝視して微動だにしない。
モノレールが稼働するモーターの音を聞く。段々と近づく観覧車を見つめ、そこで先日あった出来事に思いを致す。
カナタの中の得体の知れない衝動が目覚めて、マナカを傷つけようとした。大切な友達を、彼は自らの手で食らおうとした。自分の力では制御できない「力」の暴走――それだけは、繰り返してはならない。少なくとも、マナカや他の友の前では。
「……本題に入ろうか」
赤縁メガネをくいと上げ、ミユキは唐突に言った。
少年の沈黙を了承と受け取って彼女は話し始める。
「君はどこまで知っているの、月居カナタくん? カグヤの秘密を、『異形』にまつわる真実を、どこまで掴んでいるの?」
獰猛な獣のごとき鋭い眼差しが、少年を射止めた。
立ち上がってカナタを見下ろし、懐から取り出したナイフを指先で回しながらミユキは詰問する。
(な、何で、ナイフなんか――)
隠されていた殺気を露にするミユキを前に、カナタの血の気は急速に引いていた。
何も答えなければ殺される。本能でそれを察した少年は、震える膝を叩き起こして席を立ち、正直に言った。
「ぼ、ぼっ僕には、なな何も分かりません。かかか母さんとは殆どの時間を別々に過ごしてきたし、いっ『異形』についても、きょきょ教科書に載ってること以上は知りません」
真っ向から迫る敵意。それに対して少年が取った手段は、自らに抵抗の意がないのを示すことだった。
両手を挙げ、自身が何の情報も持たないのだと明かす。脅したとしても何も出てこないのだと、必死に訴える。
「……はぁ、そう。可哀想ね、君」
「な、何が……!?」
「何も知らない。何も情報を与えられない。誰も、何も、正しい方向に導いてくれない。信じられてないんだわ、母親に。だから意図的に全てを隠されてる。……あたしと同じね、坊や」
止まらないモノレールの中で、カナタの時間だけが静止していた。
――可哀想。僕が?
――信じられてない。誰に?
「う、嘘、だ」
「嘘なんかじゃないわ。君があたしの求めるものを持たない理由は、母親に――月居カグヤ博士に信じてもらえてないからよ」
聞きたくなかった。それでも聞かないでいることはできなかった。ヘッドホンは食堂で取られてからまだ返してもらっていない。逃げ場はどこにも、ない。
「それを知った上でどうするか、選びなさい。その答え次第では、あたしが手を貸してあげる。でも、もし対立することになれば……その時は、おもちゃのナイフじゃ済まないわ」
握ったナイフ――塗装や造形を完璧に本物へ似せた紙の模造品だ――を握りつぶし、ミユキは宣告した。
自分と利害関係を結べ、と彼女は言っているのだ。暴力をちらつかせて逃げ道を封じながら。
鍛えた年数の差でカナタはミユキに勝てない。性別の差があっても、元ひきこもりの貧弱な身体ではそれを埋め合わせられない。
つまるところ、選択肢は一つだった。
「あ、あなたが求めるものを、僕が母さんから手に入れる。そ、それで、構いませんか」
「いい子ね。……これ、返したげる」
満足げに笑って白いヘッドホンを放るミユキ。
その正体も分からぬままカナタは彼女に従い、「契約」を結ぶこととなった。
ヘッドホンから流れる物悲しいバイオリンの音色は、その演奏が最高潮に達する直前にぷつりと途切れた。
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